千寿智『冷タク照ラス者』
一日目
熱が酷い。筋肉から生まれる熱なのか、それとも内臓から生まれる熱なのか、どちらなのか分からない。ただ、この熱を感じる時は、俺の中にある『価値基準』が変化する時だった。初めてこの変化があったのは十三歳の時だった。興味を持ったクラスメイトに対し、俺は異常なほど執着を抱いた。彼女が好むモノを全て越えようとする。嫌いなモノは全て排除するといった常軌を逸した行動を取り続けた。何故そんな事をしたのか、理由は簡単。
クラスメイトの彼女が持つ基準の上書き。その後は自分の物にする。
この二つの思いのみで行動していた。その期間は一ヵ月。終わる頃には彼女は精神崩壊し、自殺した。
俺といえば危険な存在と認識され、興味を持たれたら人生が終わる。と、周囲から言われていた。誰もアイツを止められない。変態。早くこの世から消えるべき存在。とも呼ばれていた。
この話は知っていた。ただ、この身体の内側から生まれる強烈な熱が無い時は、一切周囲に興味を示さず、無表情で過ごしているのだから、その異常性は酷くなる一方だった。しかし、俺はそんな事を全く気にせず生活していた。
ただ、両親に迷惑を掛けてしまった事には罪悪感があった。
それから一年後、俺の『価値基準』が再び変わる。
今度は早々に興味を抱いた年上の女性は自殺した。非常に似た妹も、俺の異常な行動により精神が崩壊。その後、俺を殺そうと左右を確認せず大通りを渡ろうとして大型トラックに轢かれた。頭が潰れ、内臓が飛び出した姿が晒され、周囲から叫び声が上がる。その死体を見て、俺の身体は再び熱を失った。それ以降、元々良かった体格が成長し、180cm以上の身長と筋骨隆々の身体。しかし、熱が無かった。長髪を赤く染め、刈り上げた中は青く染めている。その姿で街を歩いていると誰もが道を開けた。熱を失った目は世界を冷たく映している。歩く速度に合わせて流れていく景色の中、考える。
――次はいつだ? この生き方を死ぬまで続けなければいけないのか――
希望と不安の言葉が順に流れては消えていく。解決手段が見つからないまま時が過ぎ、俺は高校に入学した。こんな存在を入学させるなんて変わった学校だと思った。それが可能になった理由を知るのは数週間後で、市内で有力者である両親のお陰だった。以前から抱いていた罪悪感はこの瞬間に消えた。
入学して一年が過ぎ、俺の立ち位置は全く変わらない。変えようと思うつもりもない。ただ、
あの『価値基準』の変化が訪れるのを待ち続けている生活。無駄に時間を過ごしているのか、
それとも待つだけの時間なのか判断しづらい中で、過去にしていた剣道をもう一度したいと思ったある夜。『水面駅』付近を徘徊していると妙な感覚に襲われる。
冷たく、触れた部分から伝わってくる負の感情を持った透明で若干弾力がある境界。
初めての感覚に驚くが、心の中に侵入してくる複雑な感情に苛立ちを覚える。だが、その境界から手を離すことが出来ない。いや―― 正確に言うのならこの感覚に浸っていたかった。冷えた身体が暖房で暖められるように、ゆっくりと溶かされていく。
不意に向けた視線の先、そこには同じ高校に通う特に目立つことはない生徒の一人が、俺の様に何かに触れ、同じ様な表情している。
男だが、その姿と表情と雰囲気が淫らに見えた。次の瞬間、身体から熱が生まれる。その熱さに喜ぶ。
ようやく来た!! 遅いんだよ、このクソ野郎が!! あぁあああ!! この感覚、この感覚だ!
『価値基準』の変更が完了。肺に溜めた空気を一気に吐き出す様な勢いで叫ぶ。
「葉月リュウ! お前は俺の物だ! 無限と思う性的拷問を与えてやる!!」獣すら硬直してしまうような声が周囲に響く。
身体に張り付くシャツが鬱陶しい。引き千切るように脱ぎ捨て、太い筋肉を包んでいた黒のスラックスが足の動きで裂ける。名を呼ばれた少年は、人生の中で一番の危険が迫っていることに気づき、恐怖を顔に貼り付けながら何も無い空間に飲み込まれる様に消える。
「何処に行くつもりだ!!」
葉月リュウが消えた場所に手を突っ込み、掴む。先程とは違い、しっかりとした感触がある。それを両手で無理矢理広げ、その中へ飛び込む。
早く早く早くアイツを捕まえて拷問したい。逃げられるチャンスを何度も与えて、逃げたら捕まえる。その度に暴力を振るう。何度も何度も繰り返して、諦めたら希望を与える。永遠に繰り返してやる。今度は男だ―― 前の二人は女だから体力が足りなかっただけ。今度は簡単に壊れないだろう―― 俺の空虚さを埋めるのはお前だ! 勝手に死なせるか。
新しい世界は俺に優しかった。情報を遠慮無く流し込み、相手がどうなろうと全く気にしない暴力だった。ただ、俺に比べれば優しすぎる。
眩暈と多少のふらつきはあったが、すぐにそれは消えた。そのせいで身体の奥底から生まれる熱に焼かれる。身体を少し動かすだけで、皮膚の下で激しく動き回る熱によって全身から汗が出る。熱せられた内臓からは異常な食欲。全てが滅茶苦茶な状態。だが、楽しくて嬉しくて仕方なかった。
呼吸を荒げながら、今頃、自分が何処に居るのかを確認する。少し見渡しただけで分かった。
運が良い。自宅から少し離れた場所。数メートル先には住宅街が終わり、少し開けた土地がある。『青月市』の四丁目と二丁目の境で、後方には『影の部分』があり、近くには大き過ぎる家が在る。
千寿家。俺の家だ。
身体の熱が一気に上がると同時に走り出す。数メートルの距離は自分が思っている以上に簡単に無くなり、加速した身体を受け止める事が出来ない。次の瞬間、思考が簡潔になる。躊躇いは完全に消えていた。
跳躍。伸ばした右足が鉄製のドアに激突。衝撃により歪み、蝶番が破損。蹴りの勢いを殆ど軽減出来なかったドアが家の中に飛び込む。そのまま転がり、玄関に置かれた調度品などを全て破壊。二階に向かう階段も破損する。その光景を視界の端で見つつ、右腕を伸ばす。支柱を掴み、家が揺れるほどの回転で、身体の勢いを制御。今度は二階に在る自室に向かって飛び出す。壁をブチ破り、着地。身体の打撲は瞬時に回復。
「うおおおおおおお」咆哮。窓ガラスが音圧に負けて粉砕。
自分が少し動くだけで周囲の物が簡単に破壊される―― とても気分が良い。この暴力に『葉月リュウ』は耐えられるか――? 思わず歪んだ笑みを浮かべてしまう。
「この世界に来たヤツが簡単に壊れるはずがない。もし、壊れたとしても無理矢理心臓を動かして生かしてやる」クローゼットに向かい、ドアを開ける。中には思った通りに用意されていた。それらを急いで身に着けていく。
外していたピアスを右耳に刺し、痛々しいほどに耳が装飾される。そのまま舌を出し、ピアスを刺して止める。羽織った半袖シャツは下品な色合いで尚且つ極彩色。熱が収まっていない下半身を黒のレザーパンツに収め、厚底のレザーサンダルを履く。ソール部分は人型に対して首を絞めているデザインが施されている
両腕を大きく振る。先程まで無かった十指の黒のマニキュアがされていた。夜の闇を照らす様に青い光でレースが描かれていた。最後にサンダルと同じデザインのネックレスをする。大きなアクセサリーは筋肉質の身体に負けないほどの存在感がある。自身のサディスティックを現しているようで気に入っている。
先程破壊した窓から庭へ飛び出し、ガレージのシャッターを乱暴に引き上げ、中で溶接機を動かす。準備が出来るまでの間、適当に家とガレージ内にある物で、目についた物を引き千切り、集める。機械の準備が整い、集めた物を溶接していく。
「いいじゃないか。コレでアイツを殴ったらどんな反応をするんだ? ははっ、ヤバいな。ヤバいだろ? コレは」
即席で作った武器は、適当な鉄パイプに色々な物を溶接したガラクタの様なモノだったが、刀身の役目をしている鉄パイプは青い光を放っていた。
家から出て、『葉月リュウ』が居る場所を探す。それにしても情報が無さすぎる。この『青月市』に来た時に流し込まれた情報を受け止める感覚と逆の行為を試すが、何も情報を得られない。
「チッ!」舌打ちの後、『ダークムーン』が望む残酷光景をイメージし、それを実行させろ―― お前はそれを望むのだろう――? だったらさっさと情報を寄越せ!! 殴る様に、叩きつける様に思う。
しばらくすると『ダークムーン』から反応があった。
『青月繁華街』から『青月駅』に向かえ―― か、何? この順を変えない事が重要だと――?
その程度の条件なら気にもならねぇ。此処から少し距離があるな―― 此処は『水面市』と表裏一体なら、アノ場所に親父が置いた大型バイクが有るはず。自室から地下ガレージへ移動。道楽で買い、数回しか乗っていないバイクが予想通りにあった。カラーリングは赤から青黒く変化していた。
「何だ、『水面市』バージョンから『青月市』バージョンになったわけか。これでスペックも上がっていれば文句無し…… ん?」バイクから青黒い光の鎖が伸びて来て、両足に絡みつく。そのまま引き上げられ、シートに乗せられる。
「何だ何だこのクソバイクは、欲求不満なのか? 何? ……ははっ。てめぇも大概な存在だな。いいぜ、これからは俺がお前の主人だ。クソみたいな速度しか出せねぇとか言ったらスクラップにするぞ」バイクからの意思に、それを煽るような言葉で返す。それが嬉しかったのか、逆にキレたのかは、分からないが凄まじいエンジンの唸り。
何だよ―― マジで狂うぞ、この状況。これだけイカれた存在が周囲に集まってくるだけで、全身が熱い。両足でバイクのエンジンを叩く。それを合図に握っていないアクセルが捻られた。ガレージから飛び出し、自宅の壁を破壊、そのまま庭を走り。岩をジャンプ台にして住宅街に飛び出す。
「そのまま『青月繁華街』へ行け!」俺の声に呼応し、エンジンが唸る。
バイクを乗り、『青月市』移動する。道路だけではなく、建物の壁面までも走行し、多角的に移動。持ち主の乱暴さを全て受け止める優秀なバイクはアクセルを豪快に捻る。『千寿智』に呼応する様にエンジンが熱し、マフラーから獣の様な咆哮が噴き出す。
「最高すぎるぜ! オイ、バイク! 『葉月リュウ』の気配を探れ。そこへ俺を連れて行け!」言い終わると同時に先程以上の轟音をマフラーから吐き出し、ハンドルが勝手に切られる。俺は手を離し、胸の前で腕を組み、バイクが向かう先を睨みつけ、口元を醜く歪める。その形は三日月が口元にある様。
「興奮しすぎて頭が沸騰するぜ」頭を乱暴に引っ掻き、頭皮が捲れる。流れ出す血が顔に流れるが、それが傷口に向かって戻る。傷よりも再生速度の速く、傷は瞬時に修復される。この不思議な感覚すら、俺にとって全ては『葉月リュウ』に繋がる行為になってしまう。
あぁ―― 早く拷問してぇ。絶叫を聞いたら俺は簡単に絶頂しそうだ。
視界が安定しない状態で、バイクが四丁目方面に向かっている事だけ分かった。
バイクが四丁目に着き、しばらく周回していたが奴の姿を見つけられない。時間が経てば経つほど苛立ちが増し、次第に建物などの壁を破壊する。
歯が粉砕しそうなほどの歯ぎしり。あの野郎―― 何処へ行きやがった。
ガラクタで作った武器の刀身が俺の怒りに反応して青い光を明滅させる。その間隔が短くなり、急激に光を強める。
「こんばんは。『千寿智』君」夜気に響くのが正しい声が耳元近く聞こえた。
持っていた武器を一気に振り抜く。手応えは無い。素早く周囲を見渡す。少し離れた場所に立っていたのは女性だった。
この女―― 普通と違う。何か仕掛けて来るつもりか?
警戒を解かず、バイクからゆっくりと降りる。そのまま武器の切先を女に向ける。
「テメェは誰だ。俺に何か用があるのか?」
「私は『櫛鬼』。君の願いを叶える為にサポートする人物として考えてもらえばいい。それ以外に何かをするつもりないし、干渉するつもりない」
『櫛鬼』が言い終わる前に、跳躍で距離を潰し、武器を振り下ろす。アスファルトに穴が空き、破片が宙に舞う。その中に『櫛鬼』はいない。視線を動かし、女を探す。居た―― どんな方法で移動したのか分からないが、関係無い。アイツの動きよりも速く攻撃をすればいい。
気配がする方向へ腕を振る。横薙ぎから、振り抜く腕の力を無視した返しにも手応え無し。視界の端に残像。身体を反転させ、連続の突きを放つ。肉を抉る感触が伝わり、更に攻撃を増やす。しかし、それ以上に相手を傷つけられない。
何で当たらねぇ――? 苛立ち全てを叩きつける振り落としを放つ。轟音と共に破片が舞い上がる。小型爆弾が爆発した様な爆心地には『櫛鬼』は居なかった。
背後に気配。回転肘打ちを放とうした瞬間、「君の攻撃は凄いね。スピードも破壊力も最上級。狙われたら最後、死ぬしか君から逃げられない」
攻撃を途中で止めて言う「世辞なんていらねぇ。お前……人間じゃねぇな。『青月市』に居る奴らが普通じゃねぇことぐらい分かる。肉体って言うのか……俺みたいな存在は殆どいねぇ。影が立体化して、その中に青い光がある奴等は多くいるがな」
「面白い事を言うね。君の話からすると、自分は人間ではないと言っているようなものだけど? それに関してはどう説明するつもり?」
「答えはお前が言っているじゃねぇか。今の俺が人間とは思っていねぇ。普通の人間がこんな意味の分からねぇ力を使えるはずがない」
「なるほどね。君は見た目と違って冷静に状況を判断している。更に質問。そんな君は今の状況を幸運と思うのかな? それとも不幸と思う? 聞かせてくれないか」
「馬鹿な質問だな。お前が分かっていることは俺を構成する中でのたった二つの事。その程度で何を知ることが出来る。自惚れるなよ」
「『価値基準』が変わったことが嬉しくて仕方無い。それによって、『水面市』から『青月市』へ移動した事に関して一抹の不安も抱かない。あの何も感じない日々に比べればどうって事がない。自身が人間としての存在から遠くなったとしても」
何でもお前が『価値基準』の事を知っている――? 振り返ると、そこには『櫛鬼』は居なかった。周囲を見渡すが姿は見えない。チッ――、逃げやがった。
路地の闇から声が聞こえて来る。「逃げてはいないよ。ただ、私なりの距離を取らせてもらった。だって、君は素敵なほど暴力的だからね。こんな形で別れなくてはいけないのは失礼だと重々分かっているが、君に抉られた傷が痛むからね、逃げさせてもらう。ただ、このまま消えてしまったら私達の出会いは意味が無いもので終わる。なので、有益な情報を一つ。君が探している『葉月リュウ』は『月見廃墟地区』に居るよ。彼が持つ異能で建物内は変化しているが。『千寿智』君の願望が成就すること祈っているよ。限りなく残酷な光景で叶えられる瞬間を」
声が聞こえなくなると同時に、闇は普段感じるものに戻っていた。若干感じていた『櫛鬼』の気配も無くなっていた。
成程ね――、『月見廃墟地区』か。異能の力で建物内が変化か――
それを全部破壊して、俺が作る暴力の世界にアイツを落としたらどんな顔をするのか――
笑いが止まらない。少し痛みが欲しい、腕を掻きむしろうとした瞬間、凄まじい眠気に襲われ意識が途切れた。
二日目
目を開くと、見えたのはよく知る天井。身体を起こす。寝汗を相当かいたのかシーツは濡れていた。ベッドから下り、全裸の身体を見る。汗を流したい気分だったが、昨日の夜を思い出す。『青月市』は夜の時間しかない―― その時間も短い。行動をしていても唐突に時間終了で終わってしまう。俺が、『葉月リュウ』を追い込んでいる状況で、その時間が来てしまえば全てが振り出しに戻る。仕切り直しが起きれば、相手は対策を考えてくる。日が経過すればするほど面倒事が増え、俺の楽しみが遠ざかる。気づくことで苛立ちが急激に膨らんでいき、そのままベッドに右腕を振り下ろす。剛腕によって真ん中からへし折れ、両端が天井を向く。舞い上がるスポンジや木片の中、俺は身体の熱を上げる。汗が急速に乾いていき、蒸気が上がる。部屋の隅にまとめて置かれていた服を着て、昨日同様に刀身を青く輝かせた武器を掴み、窓から飛び出す。着地の準備をしようとした時、俺を待っていたかのようにバイクが滑り込んで来る。そのままシートに座り、アクセルが自動で捻られていく。そのままギヤが素早く切り替えられ、一気に加速していく。道なんて関係無い、そんな動きを再び見せるバイクに、俺は興奮する。
「お前は良いバイクだな! これからも俺の為に動け! 俺の『価値基準』が変わらない限りはずっと面倒見てやる」燃料タンクを軽く叩く。
バイクは嬉しかったのか、更に速度を上げる。あと数分で『月見廃墟地区』に着く距離まで来ていた。
『月見廃墟地区』の周囲を走りながら、目を細める。視界に映るビル、崩壊しかけた建物などに青い靄の様なモノが見えてくる。その濃度は部分的に違うが、二つの種類に別れていた。建物一つだけかかっているモノと広範囲に広がっているモノ。範囲が小さいところは内部に青い光の点が見える。まるでトラップの様に。直観だが、これはアイツが仕掛けたモノではないと思う。となると――広範囲に広がっているのが『葉月リュウ』が根城にしている建物か―― さて、何処から侵入するか。――まあ、何処でもいいか。バイクに俺の意思が伝わり、急ハンドルを切り、そのまま廃ビルの二階辺りに向かって突っ込む。心地良い衝撃と舞い上がったコンクリート片が身体に当たる痛み。全てがこれから始まることに繋がる感覚と考えれば考えるほどに興奮する。身体から放たれる熱によって室内の温度少し上がったのが分かる。その変化に反応した存在がもう一つ。
視線が合う。時間の流れが急激に遅くなる感覚。驚愕の表情を浮かべる『葉月リュウ』。真逆の表情を浮かべる俺。時が正常に戻った瞬間。全ての音が蘇生する。
様々な音が響く中で、「見つけたぁ!」と叫ぶ。
相手は絶叫しながら逃げる。部屋の隅に新たな入口が出来上がり、長方形の闇に『葉月リュウ』は背を向けたまま飲み込まれる。バイクから下り、急いでその穴を覗く。アイツは奥に向かって伸びる空間の中で周囲を見渡していた。このビルにはそれだけの奥行は無い。となると、アイツが支配している建物の何処かへ繋がっているはず。ここで見失うと次がいつになるか分からない。目覚めた後に考えた面倒事が増えるが現実になる。
「チッ! オイ!! バイク。こっちに来い! アイツを追うぞ」呼びかけに素早く反応したバイク飛び乗り、穴に向かって走り出す。
中に入ると濃淡がある闇のから獣の腕、腐った腕、女性の腕を何十本絡ませた一本の腕、丸太の様に太い男性の腕。様々な腕が持つ拳が俺に襲い掛かって来る。打撃、刺突、掌底、併せて全ての攻撃に毒が含まれていた。多角的に襲って来る攻撃を回避しつつ、青い刀身で斬り落としていく。その際に回避出来なかった攻撃で肉を抉られ、その部分は毒で腐食し始める。意識をそこへ向けつつ攻撃を避け、襲ってくる腕を破壊し続ける。傷は数秒で回復。解毒もされた。肉体と意識の結びつけで何が出来るのか分かり、更に回避不能と思われた三連撃も、脳内で強烈なイメージを作り上げ、腕に流す。動かすという意思よりも早く腕が振るわれ、腐った腕は悪臭と腐汁を撒き散らしながら六本にはなって吹き飛ぶ。俺の戦いぶりに呼応する様にバイクは速度を上げる。『葉月リュウ』との距離が一気に縮まるが、それと同時に上下左右から様々な腕が伸びて来る。数は先程の二倍。手には槍、ナイフ、鎚などの原始的な武器を握っている。それらが一気に襲い掛かって来る。
「馬鹿野郎がぁ!! お前は俺を楽しませ過ぎだ!!」空間自体を揺らすほどの大声。
両耳を塞ぎ身体を縮めるヤツを見て、俺は興奮する。早く拷問されたいくせに、それから逃げようとトラップを仕掛ける―― この変態野郎め! 笑みが止まらない。笑みが止まらない。腕の動きが止まらない。俺の意思よりも、とにかく襲い掛かってくる存在を破壊する事に専念する。その中で俺はヤツから視線を外さない。恐怖を感じている顔を見ているだけで頭が狂いそうになる。
離れようとする事を許さない。距離を更に潰す。今以上に周囲から攻撃を仕掛ける。だが、それをあっという間に斬り倒し、粉砕、破裂させる。
この空間に俺とアイツしか存在しない状態になる。俺は左腕を伸ばす。ヤツの身体を掴もうとした瞬間。意識が途切れた。
天井に向けた左腕。その先の手には何も握られていない。元に戻っていたベッドの上で目を覚ました俺は、怒りで真っ赤に染まる視界の中で伸ばしていた左腕を振り落とす。へし折れだけではなく、その衝撃は床にも伝わり、抜けてしまう。一階のリビングに落ち、家具を破壊した中で俺は起き上がる。服を着ている時間すら無駄には出来ねぇ―― 全裸のまま庭に出るとどこからともなくバイクが現れる。
「オイ! 今夜こそは必ずアイツを捕まえる。いいか、一切時間の無駄は許さねぇ。全てを時短に済ませ。最速で動け。分かったな!」その言葉に反応し、エンジンが吹け上がる。
「行くぞ!!」シートに座り、バイクが一気に加速する。右手には召喚された武器。青く光る刀身が輝きを増す。同時に、住宅街の影に隠れていた影の存在を斬り倒す。青い光を散らしながら消滅していく。この程度なら何も問題無い。そうだろ? 『葉月リュウ』。
住宅街を抜け、再び『月見廃墟地区』へ向かう。その視線の先。整列した影の存在達を見つける。
「上等だよ。これだけの人数が一夜で死んだら、『水面市』ではとんでもない大量殺人事件として扱われるな」
『櫛鬼』との会話の後、この『青月市』と『水面市』の関係が分かった。それは直接聞いたわけではない。脳内にその情報が流れただけ。
「今夜こそはお前を必ず手に入れる。それだけは覚えておけ!」周囲から叩きつけられる殺意の全て跳ね返す怒声。バイクが加速し、その中心に向かって行く。
三日目
統制された影の軍隊は全て『千寿智』により殺された。そのまま『月見廃墟地区』に向かい、『葉月リュウ』が支配する建物内に設置されていた罠は全て破壊し、今、足元に転がっているのは『葉月リュウ』の死体だった。何ともあっけない最後だった。影の存在に紛れて逃げようとしていたところ、俺の横薙ぎによって頭蓋を破壊された。同時に全ての影の存在が動きを一回止め、しばらくすると勝手に部屋から出ていった。
俺とヤツだけになった。この空間は壁をぶち抜き、三部屋を一部屋にした場所だった。その中心に俺は力無く立つ。足元には死体。
絶望の感情は無い―― 『価値基準』が変わった感覚は無い。となると―― ヤツは生きている。ただ、何処にいるのか分からない。
部屋から出ていく影の存在に違和感。
「見つけたぁ!!」不自然な身体の捻り方をしながら振り返る。俺の声で変化が解けた『葉月リュウ』が悲鳴を上げながら逃げる。
これもいいな―― 逃げるヤツを追い続けることで『価値基準』は変わらない。二度とあの虚無を味わなくてもいい。そうだ、これが完璧な形だ。俺は誰かを追い続けなければならない。それを満たせるだけの力を持っているのが『葉月リュウ』だ。最高だ。最高だ。お前は、常に俺から逃げ続けろ。そして、俺を裏切り続けろ! 最上の裏切りでな!
狂っていると言われる笑い声を上げながら追い掛け始める。
『青月市』は俺にとって天国だった。