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Nore  作者: 池ノ水
6/7

6──前半終了

◇男と女の子と竜

 飛び上がろうとするドラゴンの羽根元を鎖が掴んだ。

 片翼だけをつかんだから、鎖はすぐに引きちぎられたけど、もがいたドラゴンは少しバランスを崩した。鎖は執拗に片翼を追いかける。

 ───助かるぞ、トーマシン。

 アイクは心の中でそう思いながら、ドラゴンの懐に潜り込んだ。

 背中よりは少し柔いだろう。刺さりはしなくとも、衝撃は与えられるはずだ。決定打は目に。

 あとは、アイクが剣を伝わして体内に送り込んだ悪霊が毒となり、ドラゴンの動きを鈍らしていることを利用して。

 トーマシンが投げた杭はドラゴンが首をひねったことにより避けられた。

 アイクはこぶしを突き上げる。

空気を伝った衝撃はドラゴンの体を殴り、悶えさせた。

 アイクは体を引き返し、悶えている間に、ドラゴンの鼻先に移動する。

 トーマシンが放った杭は地面に突き刺さり、その手元から伸びるワイヤーがドラゴンの角先に引っかっていた。トーマシンは紐を操って、ドラゴンの口を封じ、手元の杭を地面に埋め込む。

 ──終わりだ。

 アイクは空中で、懐から二本のナイフを抜き、両手に構える。

 それをドラゴンの両目に叩きつける。

「はっ!」

 次のコマでは、ナイフはドラゴンの脳に深く突き刺さっている。

 アイクが着地したころには、ドラゴンは両目から血液を吹き出し、うなりを上げていた。

 もたげた鎌首はしかし、力なく地面にひれ伏した。

「やったか」

 そう思ったとき、ドラゴンは首だけを地面に残して立ち上がった。体の中からマグマが噴き出すみたいに、うろこの間の肌が赤く光った。

 それから起こったのは、再生でもない、確かな改変。

 まず肩が盛り上がり、新たに六本の首が生えた。七つの頭、合わせて十本の角が生えている。一つの頭に生えた角の数は七つの頭で一致しない。だから、それぞれの頭は形が異なっており、七つの生き物のようだった。六つの頭には、それぞれ別々の面がかぶせられていた。

 それから倒れ伏した最初の首も再生し、起きた。隣の首が、咥えていた面を再生した首にかぶせた。そいつはさらに彼の頭をぺろりと舐めた。犬みたいに。

 さらに翼が広がり、片翼あたり三枚羽となった。

 ………ああ、これは……この赤い蜥蜴は……

 きっとこれが本来の姿だ。今までのは不完全な存在だった。

 翼を広げたドラゴンは、今までよりもさらに大きい。

 それは異教徒たち。黙示録の獣。混ぜ合わされ使役された、仮面の竜獣。

「わー」

 今日は夢みたいなことが良く起こる。

 良くない方の夢が。


◇青年と巨人

 巨人はどっしりと構えていた。ニックは短剣を構えた。

 お互い戦士として戦闘の間をくみ取り、二人、同時に走り出す。

 迫力で言うなら迫ってくる巨人は、騎馬に乗った騎士、それ以上だ。

 歩兵と馬、正面から当たれば、踏みつぶされるのは普通、歩兵の方。

 迫る二人、死は免れられない力が貯められた肉薄。

 振り下ろされる大斧。

 大きな打撃音が周囲に響き、一陣の風が吹いた。

 キリキリと火花を散らしながらしかし、両者の剣は拮抗していた。

 二倍は対格差のある相手の、十倍は大きい武器を、少年は小さなナイフで受け止めていた。

 しかも押し切ったのは青年だった。

 青年は縦横無尽にナイフを振るう。しかし巨人はこれを巨大な斧で捌いて見せる。

 そのたびに火花が散って、二つの鋼がぶつかる音が響く。

 巨人は巨人で、自分より小さな青年の小さなナイフを防ぐ、俊敏さと巧みさを持っていた。

 ──そういった点で両者互角である。

 しばらく剣劇が続いた頃、少女の悲鳴が響いた。

「エル──」

 とびかかる骸骨の向こうに、こちらを振り返るエルの顔が見えた。

 目じりに涙を浮かべ、戸惑う表情が。

「くっ──!」

 ひときわ重い一撃をナイフで受け止める。衝撃をいなしきれず、数メートル後退する。

 エルは死霊の山に埋もれかけていた。左手のナイフを、次は右手のナイフを、群がる死霊に向かって投げる。

 ナイフは重なる死霊のいくつかを削ったが、彼らがはがれて現れた、黄金の面を付けた修羅にキャッチされた。

 ──なんだあれは。

 無表情な黄金の面が少し怒っているように見えた。一本の腕を上げ、指に挟んだ二本のナイフを投げ返してきた。

 青年はとっさにそれを避けた。それから懐からナイフを抜き、巨人の一刀を崩れた体制のまま防ぐ。しかし、ナイフは巨人の斧に弾き飛ばされた。

 巨人は空手になった少年の肩をつかみ、思いっきり投げた。少年の体はビルを突き抜けて、地面に落下した。

「ぐッ──」

 すぐさまドシンと音を立てて、巨人が降り立つ。街灯の明かりを背負って、巨人の堀の深い顔が陰になって見える。

 左肩がつぶれていた。振り下ろされる斧に備えた。


◇少女と修羅

 声は囁く。もう心配はいらないと、楽になれると、もう不幸は存在しないと。

 抗う私の意志はなだめられ、抵抗する体を押さえつけられた。

 それは無慈悲で見当違いな優しさだった。

 カタカタと触れ合う骨に包まれ、異教徒の意志に、体の内側まで浸食されるみたいだった。

 もがく体を痛みが貫く。楽になれと叫ぶ。それは死だ。死へといざなう声だ。

 どっちみち、このままでは溺れ死んでしまう。

 見えない中、一本の腕がじわじわと腹をつつく。鈍い鈍器が食い込むように。肌は裂けず、拳が押し込まれていく。

「がはッ──!」

 息が逆流して、血が口から洩れた。頭が詰まるみたいに、耳鳴りのような頭痛が一閃。

 術を放とうとする手は、骸骨に握られた。剣を握ろうとする手は骸骨の手を掴んだ。

 途方もなく悲しかった。絶望した。涙が止まらなかった。

 光は見えない。

 骸骨の手を振り払って空に手を伸ばすけど、そこは空なのかもわからない。

 ただ、抱きしめる修羅(母)の冷たさがあった。

 掴んでくれる誰かはいな───


◇青年2──if

 撒きあがる穂脳と粉塵。なんだここは、ハリウッドか。

 左腕を抱えながら青年は走った。

 向かう先は決まっていた。さっきから頭の中で聞こえていた、彼女の声が。誰かは良く分からないけど、知っている人な気がする。いざなわれるように、俺は走るのだ。

 それがきっと、俺がこうして生きている使命なんだろう。俺はきっと彼女を守るために生まれてきたんだ。

 そう思わないと、進めない気がした。そんな臆病な足を奮い立たせて走った。

 ──見えたのは半円状の山で、それは無数の骨からできていた。ああ、あの中から聞こえる。

 傍らに少女が立っていた。無機質な表情の彼女は通り過ぎて、山に向かう。

 とびかかるとカラカラと骨のかけらがこぼれた。頂上まで登って掘る。

 ただひたすらに。時折変なところに入って爪がはがれそうになるが、知ったこっちゃない。

 そうして見えた細い手を、握った。

 周りの奴らを蹴っ飛ばしながら、引っ張り上げる。

「ジャック」

 こちらを見る顔が見えた。首元に絡みつく腕を引き離す。

 知っている気がする。

 闇の中から這い上がってくるみたいに、黄金の面が首を突き出してくる。

 彼女にしがみついて離さないそいつを蹴り飛ばしながら、ついに引き上げる。

「ジャック」

 しがみついてくる少女。その背を抱きしめようと、手を伸ばすけれど……だめだ、俺には抱きしめられない。

 月明かりが照らす街の中。

 ───骸骨の山の上で、ボロボロな二人は再会した。

「いかん」

 死霊が再び俺らを引きずり込もうとしていた。彼女の手を取って、半球から滑り下りた。

「ジャック何でここにいるの?」

「さあ、分からん………俺はジャックというのか?」

 少女は怪訝なそうな顔で僕を見た。

「……………」

「君は……なんていうんだ?」

 その瞳に問いかける。

「エル」

「そうか、エル……僕は君を守るために来たんだ」

 こちらを見る……エル。

「だから、一緒にいてもいいだろうか」


◇甲冑と少女──現実

 突如光が晴れた。

「ニック……?」

 街灯の光を背負った影は大きく、ごつごつとしている。

「……甲冑?」

 甲冑やん。

 手が伸びて、私を骸骨の山から引っ張り出した。

 立ち上がった山は半壊していて、甲冑の手には私の剣が握られていた。

「あり……がとう?」

 肩に担がれて、山から降ろされる。半壊した山はカタカタと動き出し、再び私たちを捉えようとする。それを甲冑は剣を一振り、薙ぎ払う。

 破片が散って、現れたのはさっきのやつだ。振り向けなかったけど、金色の仮面をかぶっていたみたいだ。それから、腕がいっぱい生えている。

 辺りを見回すと、骸骨の破片が散らばっていた。私が最初の攻撃で薙ぎ払ったものだろうか。それから、振り返ると、すでに敵の少女はいなくなっていた。

 ドラゴンが空を舞い、遠くで粉塵が上がっているのが見えた。小さく、その顔に眼前の敵と同じ金色の仮面がはまっているのが見えた。ニックと巨人が戦っているのも見えた。

 再び前を向く。

 骸骨の破片が浮き上がり、金仮面の腕の辺りで渦を巻いて、集まって大きな槍となった。細身で全長3メートルぐらいある。甲冑の持つロングソードが1メートル40センチぐらい。

 ……こうして剣を持っていると、騎士って感じがするね。

 その頭で、赤い薄紐が風に揺られてなびいている。私の斜め前に立つ大きな背中はたくましい。

「なんだい。私のために戦ってくれるのかい?」

 騎士は手首を回して剣を回し、構える。私には少し大きすぎる剣は、彼が持つとしっくり

きた。剣が淡い霊気を纏っていた。

 ──接近する二人。それは一瞬の交錯だった。

 金仮面の槍は騎士の剣に逸らされ、胸当てに受け流される。

 騎士は腕を引き、接近が終わるのと共に突き出す。金仮面の胸を剣が貫く。

 貫いた剣を赤い血が伝っていた。決着はついたように思われた。

 しかし、金仮面の複数ある腕が騎士の首に伸びる。

 騎士は剣を引き抜き、金仮面の体を引き離す。騎士が一閃すると、首がポトリと落ちて、血が噴き出した。首が地面を転がり、仮面が外れた。頭を失った体は動きを止めた。

 仮面の下から現れたのは知らない少女の顔で、少女の頬を血が伝っていた。

「ああ……」

 首は言葉を発し、数秒間動いてから、動きを止めた。

 金仮面が持っていた剣は再びばらばらになって、骸骨となり、死霊の形になっていた。パーツがばらばらで、ちぐはぐな奴らもいた。

 その時、周囲の地面が盛り上がって、新たな死霊がはい出てきた。その数はとてつもなく、私たちは彼らの輪の中にいた。

 ……倒しても再び再生する。ゾンビというのは大抵そういうものだ。これではキリがない。しかし、動かなくなった骨も辺りには散らばっていた。

 ……騎士の剣が砕いたものだろうか。崩しただけでは再生するが、軸を捉えれば殺せた? あの剣には浄化作用か何かがあるのだろうか。

 ……それと、私の魔法でちったものも散らばっている。少しこげ付いている。なんで殺せたんだろう? 普通の幽霊ならば浄化できるが、アイツらは形式が違う。死霊の形をしているが、その実態はもっと得体のしれないもののように感じる。それこそあのドラゴン、巨人、金仮面と同じ。……その正体こそが私たちの敵なんだろう。

 そんな思考をめぐらせてから、術式を組み立てる。背後で甲冑が剣を構える音が聞こえた。そうして戦いが始まった。


「多いわ!」

 いや、殺せてはいるがキリがない。騎士もデパートの屋上で私に見せたような砲撃を撃つが、そう何度も打てるわけじゃあないから、全方向からくる死霊に手こずっていた。

 左手を振って薙ぎ払う。近づいて来た骸骨を蹴り飛ばす。……んー。どうしよう。助けが来ないかなと思った、そのとき、

 それはドラゴンの息吹のように──青い炎が死霊の群れを吹き飛ばした。

 死霊は消し炭となって消失していく。

「あっ!」

 男の相棒の女の子だった。ビルの上に立って、こちらを見下ろしている。目線が会った。女の子は無表情に、視線を死霊の群れに戻した。

 ……おお、何もしてなかったのに、働いてくれてるぜ。

 群れの間からマグマのように炎が噴き出し、群れをかっさらう。マグマは周囲に広がって死霊を燃えつくす。私も前も向いて、敵を薙ぎ払う。

 すぐに辺りは骨の残骸だらけになっていた。最後に残っていた骸骨を、女の子が放った焔の矢が貫いた。

 スタっと女の子は残骸の中に降り立って、こちらに歩いて来る。

「助かったよ。ありがとう」

「うん。私頑張った」

 両手グッとしていた。柔らかい笑顔が私を見る。

「皆は?」

「あっち」

 少女は向こうを指さす。

 炭でところどころ汚れた男と、左肩を負傷した青年が歩いてくる。二人の後ろで炎がドカンと上がる。

「待たせたな」

 きざにいう青年の頭を叩く。

「いてっ」

「何で助けてくれなかったの?」

「いや、こっちはこっちで結構大変だったんだよ」

「ちゃんと守れや! それがてめえの役目だろうが!」

「ピンチを乗り越えて人は強くなるんだよ。強くなった?」

「なってない……彼が助けてくれたの」

 彼、と指さすと………甲冑は剣にほおずりしていた。

 ……異様だ。

 私の視線に気づいてか、頬ずりをやめ、剣をスチャリと鞘に納めた。紋様が綺麗にそろった。

 甲冑は満足そうに空を見上げた。

「……ひょっとして、君の剣を取り戻したかっただけなのかな」

 私が何故かしら幼いころから身に着けているペンダントの剣……お前のだったのか? 私を守ってくれた剣だ。

 甲冑は剣を再度抜き、地面に突き立てた。それから膝をつき、私にひざまずいた。

忠誠を誓う騎士みたいに。

 暗闇の向こうに瞳は見えないけど、私を見ている。

 こういうとき……なんて言えばいいんだろう。くるしゅうない? 面を挙げよ?

「……私と剣どっちが大切なんだ?」

 暗闇の向こうの瞳は見えない。じっと私を見て、項垂れる。困ってるぜ。オーベイベー。

 立ち上がって、私の手を握って握手した。それから剣を空に突き立てた。

 うぉー。うぉー。

 ………ごまかされた。

「君たちは?」

 ニックが男に語り掛ける。

「あー…俺たちは君が戦ったあの少女を追っているんだ。君たちを襲ったのは間違いだった。私たちはこれから捜索に向かうが君たちはどうする? 一応言っておくと、彼女は司祭クラスの人間を狙っている。君たちも危ないかもしれない」

 私とニックは顔を見合わせる。

傍らの少女はにっこりと私たちを見ている。

「じゃあ、一緒に戦うよ」

 私はそう返す。一緒に戦った方が都合がいいだろう。

「よし、じゃあ行くぞ」

 歩き出すアイク。その背中を止める。

「ちょっと待って、タバコ吸いたい」

「君さっきも吸ってたじゃないか」

「戦ったから」

「そんなの言い訳にならないだろ。死ぬぞ」

「いいじゃん別に今日ぐらい。それに、ほら、あんたも疲れてるでしょ。腕も怪我してるし」

「あっ! そうだよ! 何で誰もいたわってくれなかったんだよ! 誰か直して! というか君も結構な怪我してるし」

「俺はそんな技をもち合わせていない」

「私も苦手だけど、できないことはない」

「じゃあ……」

 私がニックを、女の子が私を直すことになった。

 一方の手でタバコをもって、もう一方の手をニックの方に当てる。

「いてっ。もっと優しくやってくれ。それにそんな片手間で直されたくないんだけど」

「贅沢言うなよ」

 押さえつけていると、いつしかニックはじっとした。

「面倒な奴らだな。まあ、俺も休めるとありがたいが」

「そうだね」


 ニックの治療を終え、ついでに男──アイクも治していた。

「ここ二か月で教会の祭祀四人が殺されている。討伐体も出向したが返り討ちにされた。けりを付けようということで、今回の作戦が行われた。まあ、最もあらかた返り討ちにされたようだが」

「君たちのほかにも教会の人が来ているのかい?」

「ああ、しかし、部門が違うんでな。互いに邪魔をしなという約束だけして、別口で動いている」

「仲悪いの?」

「うむ……なんでも、我々の長とあっち側の長が過去、同じ女を取り合ったらしくてな」

「へー。どっちが勝ったの?」

「どっちでもない。突然やって来た、教会のある他の人間がかすめ取ったそうだ」

「わー。少女漫画だね」

 そんな感じでグダグダ話していた。

「ちなみにその二人の娘が私」

 そう女の子──トーマシンがいった。

「えーまじかよ!」

 ニックがそう返した。


◇謎の男

 くそっ、予定違いだ。俺が出てくるつもりはなかったんだが。

 車に引かれた彼の治療を終えて帰ろうかと、街の中を歩いていた。

 向こうから男が歩いてくる。む……懐かしいじゃないか。

「やあ久しぶりだね。エドワーズ」

 向こうから声をかけてきた。長髪をなびかせる黒衣に身を包んだ男。アイツらの制服。黒いのは俺も同じだが。

「ああ、久しぶりだな。サー・ワトキンズ。どうだい魔女狩りは順調に進んでいるかい」

 彫の深い顔にしわを寄せ、ワトキンズは答える。

「いや。手こずっている」

 そう言って、折り畳み式の小さなナイフを取り出す。

「おいおい、信じる神は自由だが、あれはお勧めしないぜ?」

 歩み寄ってくる目に影が差す。

「俺は何も関わるつもりはないんだがな」

「娘たちの命を助けてやってもいいが」

「いや、あいつらは強いよ。ちゃんと、母親に似てな」

 こいつとやるのはいつぶりだろうな。

 一応万全の態勢で戦った方がいいだろう。俺も鈍ってる。

 懐から聖典を取り出す。


◇青年2

 声が呼ぶ方へと歩いて、歩いた先に少女が立ちはだかった。

 ああ──恐ろしい、それは魂に刻み込まれた恐怖の記憶。

 通り過ぎようとした肩が掴まれる。

「どいてくれ。僕はいかなくちゃならないんだ」

「ダメよ。もうあなたは必要ないの」

「どうしてだ」

「彼女には仲間がいるわ」

「でも、こうして、彼女は僕を呼んでいるじゃないか」

「そういやって駆け付けたところで、あなた、役に立たないわ」

 耳元で少女は囁く。

「あなた、何一つ守れなかったじゃない」

 ……やめてくれ。頭が痛い。だめだ、それは、思い出してはいけない。

「あなたただの哀願動物(ペット)よ。でも、それももういらない。彼女はあなたを必要としていない」

 その手が僕の手を取った。

「よかったら、私の所に来る? 慰めてあげるわ」

 囁く声が脳裏に響いた。

「そして私を慰めて」

 ──体を引いてナイフを突き刺す。ナイフは少女の手の中に納まる。少女の手を血が伝う。

「違う! 僕らの思い出を汚すな!」

 それもう思い出せない、いつかの記憶。

 歯を食いしばる。喉が震えて、息が洩れる。

「……ふうん。なら、好きにしなさい」

 そうして少女は霧のように消えていった。

 膝に手をついて、項垂れる。

 沸き起こる頭痛の中で一つ思い出したことがあった。恐ろしくて逃げ出したものだ。

 ……だが、俺にできる最大のことだ。

 青年は膝を叩いて進路を変え、歩き出した。



──────前半終了───────


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