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◇少女2
ビルが立ち並ぶ街並み。迷路のように入り組んだ裏路地。光も届かないその奥深く。
倒れた女を抱え込む少女がいた。
女性は、糸が切れた人形のように首を後ろに垂れ、微かに開いた口から顎に向かって血が垂れている。
その目はもう焦点を結んでいない。恋人への祈りを終え、すでに次なる世界を見つめている。もう助からないだろう。
「ねえ、人は死んだらどこに向かうと思う?」
女性の頭を支え、少女はかすれた声で呟く。
この場には二人しかいないし、声はもう女性の耳に届かない。乾いた呼びかけだった。
「あなた、そんなこともわからないの? 結構な司祭のくせして」
だったのだけれど、暗闇の中で闇が粒子となり、形を作る。それは娘の姿をして、傍らから少女の声に答える。
「どこにも行かないわ。ただ、私と共にあるの」
「あなたは死神でも救世主でもない。命とともに存在などしない。魂を語れる存在ではない」
「私はすべて、すべては私の中にあるの。貴方たちが慕うものもよ。何よ? つんつんしちゃって。私のこと嫌い?」
少女は女性の目を閉じ、頬を伝う涙をふく。
「………ううん。そんなことない。愛しのエーテル。私はあなたと共にある」
それから女性をコンクリートの地に置く。女性の体はそのまま地の闇に飲み込まれていく。
「さっ。次行きましょ」
娘は、しゃがみこんだ少女の手を後ろから握って、くるりと立ち上がらせる。
「早く終わらせて、かなえるの。私の世界とあなたの望みを」
少女は柔らかい笑みを浮かべる。
「そしたらきっと、幸せになれるから」
走り出すように、小さな両手で私の手を包んで
「アリア」
そう呼びかける声に、幸せだと思った。
◇でっかい男と小さい女の子
「なんとか撒いたな」
わき腹から血を流して歩く男と
「くそ、まんまと逃げられた」
その傍らを微かに悔しそうな顔で歩く少女。
「トーマシン……」
「どうしたの?」
傷はそれほど深くない。男の腹に手を当て、少女トーマシンは顔を上げる。
「……いや、何でもない」
「お前に何を言っても仕方がないな」と、男は思いなおす。
「声に出てるよ」
「あの男は面倒だな……」
「……うん。アイクは苦手だろうね」
そもそも肉弾戦がかなりの腕前なのに加えて、幻想をかき消す力がある。
青年にかける術はことごとく打ち払われるかもしれない。
「あの幽霊は誰のモノかわかる?」
あの甲冑は縛って屋上に放置した。倒すことはできなかった。束縛するのがやっとだった。
青年のことは見ていれば分かったけど、幽霊についてはボトルの方が詳しいから一応聞いてみる。
あの異質さ。普通の幽霊とは違う、かなり上位のモノだろう。
「俺にもわからん。知る限り。教会のモノではないな。あの男以外にも部外者がかかわっているのかもしれない。それから、あれは聖霊のレベルだな」
………あの青年に関してもそうだ。私の理解を超えた力にも思える。
この戦いは我々のあずかり知らない未知が含まれていた。色々と。
でもいつもそんなもんだったかもしれない。
「旅路よ旅路。我らが、ね」
「よし、もう大丈夫そうだ。ありがとうな。じゃあ、追うぞ」
治療は完了して、傷はもうふさがっていた。あてていた手を放して。
二人路地を歩きだす。
───歩き出して、上から降ってきた陰に気づく。
◇少女と青年
それから葉巻を吸い終わるまでもう少しゆっくりしていた。風もない街を雲が流れて行っていた。カラスが一羽飛んできて、電柱に止まった……ちょうどいい。
カラスに目線を向ける。
『少し借りるわよ』
そう心の中で語り掛け、こちらを向いた目から、乗り移る。
私は電柱の上にいて、突き抜けるビル街が見えた。羽ばたくと地面がさらに遠くなる。
風を切る音が聞こえる。遠くの空で月が一つ光っている。
黄金の月の中に一つ、黒い点が見えた。点はだんだん大きくなってくる。
そのとき、街の少し先の一角が、赤く燃え上がった。とてつもない轟音が街にとどろいた。
そこだけ夕焼けの空のように明るくなり、また光は消えた。
赤い空を背景に見えたのは、あれは──それは蜥蜴のような岩ばった赤い肌、大きな翼。ビル一つ分ぐらいの大きさはある、一頭のドラゴンだった。夜空を悠々と飛び回るのと共に、月明かりを受け、赤黒い肌がてらてらと光っているのがみえる。
カラスから自分の体に意識を戻す。ニックと目を見合わせる。
「逃げるぞ」
「ださっ」
「いや、あれは無理だよ。巻き込まれないようにしないと。アイツらが戦って互いに弱ったところを僕らが叩くんだ」
「姑息な」
「でも、それしかないだろう」
立ち上がった私たちは、しかし、曲がり角の向こうから現れた姿に足を止める。
「ウォォォォォ!!」
それは低いうなり声をあげる巨人。その体は黒い影に包まれている。薄暗い裏路地の闇がより深まって見え、どしどしと歩く姿は深淵の底から現れてくる魔物のようだった。
巨人はその手に握った大きな巨斧を振り上げた。
星のネオン、静かな町。冷え着いた空気をなぐ一筋───振り下ろされる。
見合わせるでもなく、私たちは左右に避ける。
巨人の剣は地に埋まり、コンクリに割れ目が走った。両サイドの建物の壁が削れ、ぱらぱらと破片が降った。
ドラゴン、巨人……なんだ、神話か。
「こりゃまずいって」
「それ、使いな」
青年は急に私の胸元に手を伸ばす。それからペンダントを引きちぎって投げてくる。
私はそれを水を掬うみたいに両手で受け取って、
「使うって?」
「掲げてみるんだよ」
私たちと巨人、お互い路地裏の端にいた。
物心つく前から持っている私のお守り──小さな十字架のペンダント。良く分からないけれど、掲げてみる。
甲冑から守ってくれたときみたいに、何度も私を守ってくれていた。今度も私を救ってくれるかもしれない。
掲げる。
青い光が渦を巻き、それは灯となり形を成す。
───小さな十字架は、誉高き白銀の剣となった。
◇少女2─回想─2
差し込む光が、ステンドグラスの模様を教会全体に映し出す。
色とりどりの模様は静かな空気の中で美しく………美しいのだろうか。
そんなに古くはなさそうだけど、それでも数十年。静かで好きだった。
長椅子に倒れる。日の光で埃が浮かんで見える。
寝床を確かめるように、体を直す。
うん。しっくりきた。
特にやることはない。
眠りそうで眠らないような、そんな日向の感覚だった。眠くはない。
やることはないけど、ずっといる。私はそうだった。
瞳を閉じて、日光で瞼が熱い。
………何だか眠くなってきた。そんな時。
ギシリと扉が開く音が響いて、私は起き上がる。曖昧な意識が驚いてさ。
コツコツと歩く音が聞こえた。小さくて、感覚が短い。私と同じぐらいの子供。
「あー。隠れないでよー」
背もたれの裏に戻した頭をもう一回上げる。
……さっきの、さっきの子供だった。
「あー。さっきのー」
元気そうな声でそう言って、駆け寄ってくる。
「何してるのー?」
「別に。何も」
「えー。私は、待ってたの。入口のカウンターで。おさ、中々戻ってこなくて、やっと帰ってきたの。それから探検してたの。そしたらここに来たの」
大きな目が私を見る。光を受けて、透き通って見えた。
「ふーん……」
「あそぼー」
「やだ」
「えー」
そう言って、私の隣に腰掛ける。
「じゃあここにいるね」
「やだ」
「えー」
「………」
「………」
「暇だね。どっかいこ」
「いやよ」
「ここで何やってるの? 祈ってるの? 歌歌う?」
「祈って……ないわ」
「じゃあ私歌うね」
「話聞いてる?」
「hu hu hu hu hu-hu hu……ねえあのさあ」
「ん?」急に、目の焦点が会ってない、ボーとした目で留まる。
「神様っていると思う?」
「………うん」迷って、私は頷いた。
「やっぱり!? うちさっきそこで神様っぽいの見たの!! 一緒に見に行こ!!」
「いやよ」
「くっそー。その手には乗らねえかー!……」
頭を抱える。
「……ねえ、宇宙人っていると思う?」
「いないわ」
「……ねえ、ネッシーっていると思う」
「ネス湖にはいかないわ」
「ビスコいる?」
「いるわ……センキュー」
「……ねえ、猫っていると思う?」
「それは、いるかもしれないわ」
「ねぇー。……じゃあ、何がいるの?」
そう悪態をつく。
何がいるんだろう……ちょっと考えて言う。
「あなたと………わたし?」
一瞬間があった。女の子は目を見開いて、私の手を取る。
「わー! そうだね。 じゃあ、遊ぼ!」
私がしまったと思った時には、腕が盛大に引っ張られ、首がガクンとなる。
「ちょっと!」
そのまま引っ張られて、教会を出た。
葉が日光に照らされて、キラキラと光を反射する。
外は眩しかった。
「わっ」
女の子が急に急ブレーキをかけるから、顔がぶつかりそうになる。
私の両手を取って、すぐ目の前にある目がきらきらと、薄い青色。流線を描くまつ毛がばっさばさ。
「んふっ」
くすりと笑って、それからまた前を向いて駆けだす。私は引っ張られる。
なんなんだ……。
それから寮に戻った。
「おかえりー」
シスター服を着たお姉さん──宿長がカウンターの向こうで出迎える。
「ただいまー」
私たちは階段を上って。私も引っ張られて駆け上って。
伸びる廊下と、並んだ扉を見通す。
私は自分の部屋に向かって歩く。
「あれ、私どこだっけ……聞いてくる!」
そう言って女の子は下の階へと駆けて行った。
私は自分の部屋に入る。私の荷物と、もう一人、同居人の荷物がすでに置いてある。
部屋の隅に二段ベッドが置いてあって、勉強机が二つ置いてある。
私は窓を開けて、夕方少し前の温かい風を受ける。カーテンが揺れる。
バタン、と扉の開く音がして、私は振り返る。
「同じ部屋だった」
そういって、私の隣に駆け寄ってくる。
下の階、部屋からそのまま続くように伸びたテラス。芝生の草原、遠くに見える海。それがここの景色。
アリアはバタンと板張りの床に倒れる。それから虫みたいに手足をわさわさ振る。
私もその隣に腰を下ろす。
床は日中光を受けていたからか温かかった。でも染まり切らない無機質さというか、冷たさもあって心地良い。
「ねえ」
「ん?」
髪が乱れて、細い房が口の中に入りそうな顔で、そういう。
「ここに丸い机と椅子おこ。ホテルみたいにさ」
「余ってるものがないか聞いてみる?」
「聞くー」
風が吹いて、女の子が目をつぶって。開けて。
「そういえば名前なに?」
そう問うてくる。
「アリア」
「私アリス!」
似たような名前だった。
「似たような名前だ……よろしくね」
「よろしく」