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◇少女と青年
「くそッ……ヤニ切れだ!」
路地裏に座り込んで、懐からタバコを取り出す。部屋から逃げるとき、机の上に置いてあったものをとっさに取って来ていた。ライターはない。
仕方ないので術を使って指でボッとつける。神の祝福よ。
「神センキュー」
煙がのどに染み渡る。冬空に煙が消えていく。
「…………」
何とも言えない目で青年がこちらを見ている。
「どうしたの?」
「いや、何とも言えないだけだよ」
「そう……これ吸い終わるまでに知っていることすべて話しなさい。なんか一つくらいあるでしょう」
「えーなにその言い方………まあいいけどさ」
ニックはコートの裏ポケットから、何やら一冊の本を取り出した。それは分厚くて、辞書みたいな分厚さだった。
ぺらぺらとページをめくりながら話す。
「たまたま通りかかった街でね、ある男に出会ったんだ。それで意気投合して、金をやるから仕事を頼まれてくれないかって──エルって少女を彼女を襲う敵から守ってくれないかって言われたんだ」
「金貰ってんのかよ。たまたま通りかかったただの旅人じゃねえじゃねえか」
「嫌、でも、君がどこにいるかは教えてもらえなかったんだよ。旅をしていればどこかで会えるって。だから嘘はついてない。それから彼にこんな情報をもらった」
ページを広げて見せる。
白い紙に下のようなことが書かれていた。
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少女エル……祭祀、攻撃的、and
甲冑……幽霊、and
でっかい男……霊媒師
ちっちゃい少女……焙煎師、and
東洋も混じった顔立ちの少女……預言者?
男……伯爵って感じ
青年……パツ金。青目
謎の男……探究者、and
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「君がこれから会う人だってさ。攻撃的なのが君だろう」
「andとか?とか、中途半端ね」
「そうなんだよ。答えは自分で探せってことなんじゃない? 予言してるし、何か神様ぶってて嫌だよね。なんだよ探究者って……何探してんねん」
あの女の子、焙煎師なんだ。コーヒー淹れるの上手いのかな。
「さっき君を襲った連中たちは、教会のモノだろうね。異端者である君を刈ろうとしている」
「異端者? 私が?」
そうは言いつつも思い当たる節はあった。
「君が言うところの『その他諸々』だよ」
神の守護とは違った力を感じていたから。
「あの甲冑は?」
「あの男の使い魔じゃないのかい? 霊媒師って書いてあるし」
「……あなたあれだけ戦えるのに分からないの? あの男とは繋がっていなかったでしょ。あれは違う人間の使い魔よ」
「へー」
感心するなよ。
「よく男と甲冑を戦わせようと思ったわね。アイツが紳士的で助かったけど」
「君と彼が戦っているを少し見てたしね。ああいう感じの騎士、知ってるんだ。彼ならそうすると思った」
話はそろそろ終わりなのか、青年は懐から新たな紙きれを取り出した。紙きれは鳥の形を成して夜空に飛んで行った。偵察用だろう。
ビルの隙間を小さく吹いた風に体を震わす。急いで飛び出したから、スカート丈の下着一枚だった。さっきまでは術を使ってたし、走ってたからちょうどよかったけど、整ってくると寒い。
「あんたその上着寄越しなさいよ」
「えー……まあしょうがないか」
そう言ってしぶしぶ脱ぐ上着の下は、白いシャツに、肩にかけたバンド。刑事みたいな恰好だった。
上着を受け取って羽織る。重いからポケットの本とナイフを渡す。
「せんきゅ」
デパートで一着くらいとってくればよかったかもなと思う。どうせ誰もいないんだし──そうだ。
「何で誰もいないの?」
まだ聞くことがあった。
「それは、あの男の能力に僕らが巻き込まれているからだよ。僕らは彼が切り取った、静かな世界のひとフィルムにいるんだ」
「…………はあ」
「だからこう、アニメーションみたいな感じだよ。時間が細かいシーンの連続とするだろう。彼は想像でシーンを創り出して、本来のシーンと差し替えることができる。僕らはその中の一枚にいるんだ」
「すげーじゃん、あいつ。神かよ」
「そんな男を──僕が倒して見せるぜ」
被害が出ないように人除けをしたのか。教会の人なら、善良な市民の味方なんだろう……私も善良な市民なんだけどな。
「がんば。じゃあ、私はあのちっちゃい女の子が相手か。あの子に戦う気があればだけど」
ないと良い。
「長い夜になりそうだ」
そうして二人、夜空を見上げた。
◇少女2─回想─1
電車を降りたホームから丘が見えた。丘の上には建物が色々立っていた。丘より左は海が見えた。
鞄を持って坂道を登ると、煉瓦の建物が近づいてくる。分岐路。ポケットから案内図を取り出して、宿舎を目指す。
木立を抜けて坂道を登り切る。
───風が吹いて草原がなぐ。影の波が流れていく。雲を貴ぶように空は青い。
宿舎の開いた扉の陰から少女が顔を出した。頭に大きなキャスケットをかぶっている。
張り切って、この学校の制服を纏った彼女は、私が名前を知る前のアリアだった。
少女は駆けてくる。風が吹く世界の中で、私と彼女しかいないみたいだった。
「ねえ、あなた新入生?」
「そうだけど」
「じゃあ一緒だー」
鞄を持った私の手を握って、
「よろしくー」
柔らかそうな頬で、ふわふわとしゃべる。花草の草原の人のように。
「はい。ちょうだい」
それから私の荷物を持つ。
「新しい人が来たら案内してねって、長に任されてるの」
この時春の始まりで、生徒はまだほとんど実家に帰っていて、宿舎にいなかった。
それに宿長も、結構いい加減な人だったから(それはこの後、十分すぎるくらいに分かった)、少し用事で出る間、新入生である彼女に番を任せたみたいだった。
「いこ!」
この頃のアリアはせわしなくて、いつも輝かしい未来を待ちきれないみたいに──それは今もそうかもしれない。
追いかける背中は光の中で淡く見える。振り返る笑顔は輝かしく。
「…………」
重い鞄に引きずられるように、
それでももう一方の手で私の手を引いて、
二人草原を走った。
───いい思い出だった……気がするよ。
私は父と名もない女の子供だった。
父と母の子供──兄弟と共に育ったが、邪魔な私は宿舎学校に出された。