第五話 怪異の呼び声
喫茶ギルマンを後にして、私は赤牟市南部にある自宅のアパートにまで戻って来ていた。
玄関を潜り、後ろ手に閉めて鍵をかける。
頭が軋む。割れそうに痛い。まるで金槌で殴られているかのようだ。
人目がなくなっとことに安堵し、私はスカートのポケットに仕舞っていた札を取り出した。くしゃりとした皺だらけの紙片を額に押し当てる。するとあれほど耐え難かった頭痛が遠ざかり、ずいぶんと楽になった。
ゆっくりと溜息を吐き、私は靴を脱いで上がり框を踏む。
安アパートの手狭なダイニングキッチンに移動して、冷蔵庫の中に買い置きしていた天然水のペットボトルを取り出す。その蓋を開けて、直に口を付けた。
冷たい液体が喉を滑り落ちていく。
火照った体が、胃の腑から冷却されていくのが分かった。
一息吐いてから、改めて先刻のことを思い出す。
……正直に言って、今でもあの霊能探偵とやらには不信感があるが。頭痛を軽減する術を手に入れられたのは僥倖だった。
額から札を引き剥がし、改めて観察してみる。
やはりただの紙ではないようだ。引っ張っても破れないし、汗に濡れてもふやけずインクが滲むこともない。この札に使われている素材が有効なのか、それとも描かれている図形が特別なのか。素人目には判断がつかなかった。
全く仕組みは理解できないが……だが、それでもよかった。
痛みから解放されるのならもう何でもいい。今の私なら、この札と同じ効果があると謳われただけで、見るからに胡散臭いスピリチュアルっぽい高額な壺でもダースで購入しただろう。それだけ私は追い詰められていた。
呪いのような、激しい痛み。
頭痛は私の日常を犯していた。
大学の講義に集中できないくらいならまだ可愛い方で、時には痛みのあまり吐き戻すことさえあった。念願叶ってミスカトニック大学の医学部に入ることができたというのに、もう半月も無断で休んでしまっている。その上悪夢を見るせいか、眠っても全く疲れが取れず食欲もない。
ここ一ヵ月は水以外ろくに食事すら摂っていなかった。
なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか――そう呪い続ける日々。
いつまで続くのかと思い煩ってきた時間。だがそれもきっともうすぐ終わる。根拠はないが、なんとなくそんな予感があった。
私は掌で札を押さえたまま、ベッドに仰向けに横たわる。
そして、目を閉じた。
遠くから蝉の声が聞こえる。
―――ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジッ
羽を擦らせて鳴らすというその鳴き声は――そういえば、あの悪夢で雪女が発していた呼び声に似ていた。