◆ 異人間 ◆
*
協定の条
協定に反したイビトは、協定に沿うイビトによって拘束、ときに罰せられる。ただし、確固たる証拠なく是を為すことを禁ずる。
*
「どういう、こと……」
呆然と虚空を見つめ、すみれの口から声がこぼれた。立っていられなくなったのか、崩れ落ちるように膝をつく。その目が美久を捉え、マサキは二人の間に入った。
視線を送ると、すでに俊介が美久の拘束を終えたところだった。協会から支給される縄で、両手を縛り付けている。
「説明してやれば」
マサキは、地面にぺたりと尻をつき、震えている美久にいった。できるだけ怒りを押し殺す。彼女は抵抗する様子もなく、しかし口を開く気配もない。うなだれ、ただ泣いていた。
その姿が、記憶のなかの自分と重なる。渇きのなか、わけもわからず己の母親を食らったあの日。まるで被害者のように、ひたすらに泣いていた自分。
「おまえがやったことだろ、藤ノ宮美久」
いらだちのままに声をぶつけると、大きな手がマサキの頭を撫でた。
「まあまあ、落ち着いて。どっちにしても話してもらわなきゃなんないんだから」
場にそぐわないのんびりとした声で、そんなことをいう。マサキは舌打ちした。
ちらりと見ると、屋上の入り口の前にはアオがいた。第三者が入ってこないようにするためだろう。
ということは、時間は充分にあるということだ。
息を吐き出し、マサキは一歩下がる。
「……ごめん、なさい……」
嗚咽を漏らしながら、美久がつぶやいた。
「ごめんなさい、すみれちゃん……わたし、すみれちゃんが喜んでくれるならって、本当にそれだけで……」
涙のなかで、それはほとんど声にならない。続ける様子もなく、ただしゃくり上げる。
「いやいや、君は使いこなした方だと思うよ。後天タイプでいきなり従属を得るっていうケースは珍しいんだ」
フォローのつもりでもないだろうが、どちらかというと褒めるような口調で、俊介がいった。
「それとも、ぜんぶわかっててやったのかな。君の特性は、ヒトから吸収した活力を美に昇華させること──そんなところでしょう。弱い特性で良かったよ。死者がいないのは幸いだ」
研究結果を口にして、肩をすくめる。二人に合わせるように、腰を落とした。しゃがんで、曲げたひざに腕を置く。
「これはまだ研究中だけどね。俺たちイビトの特性は、君のように後天的なものであった場合、自分の望みに関わっている場合が多いんだ。たとえば、男子が望まれていた家庭のひとり娘が、あるとき突然男の子の形態になったり、不老長寿を望んだ男が本当に歳を取らなくなったりね――」
俊介の口調は、どこか突き放したような、淡泊なものだった。まるで自分とは関係ないだれかのことを語るように、続ける。
「──ということは、君の望みはなんだったのかな。大好きなすみれちゃんを、綺麗な女の子にすること?」
美久は首を動かした。それは、肯定にも否定にも見えた。ただいっそう涙を溢れさせ、しゃくりあげる。
「こんなことになるなんて思わなかったの。すみれちゃんは、どんどん欲しがるようになって……まるでわたしみたいに、足りなくなったら、苦しむようになって。そんなつもりじゃ……」
「あんたもたいがいだよな、藤ノ宮美久」
いらいらと、マサキは足を踏み鳴らした。これ以上、聞きたくもなかった。こんなはずでは、と口を揃えて嘆く二人の少女。
ならば、ここに至るまでに、どうにかならなかったのか。
どうして、突き進んでしまったのか──いらだちがつのる。それはおそらく、過去の自分にぶつけたい思いと同一だった。だからこそ、マサキはやめなかった。
「いますることは、それじゃねぇだろ」
自分には、手を差し伸べるような真似はできなかった。
だから短く、それだけを告げた。
イビトである藤ノ宮美久は、最初の段階で気づいたはずだった。自分の一部を与えるということは、相手を従属にすることに他ならない。同じ苦しみを与えることと同義だ。
その味を知ってしまっては、もう抜け出せなくなる。イビトも属イビトも、隔てなく。
彼女はそれを、知っているはずだった。
結局、二人とも、自分の内側ばかりを見ていたのだ。
「わたしは……すみれちゃんと、いっしょにいたかったの……ともだち、なの……」
美久は泣きやむことはなかった。ひたすらに、泣いた。
そうすることで、自分を守るかのように。ともだちだというすみれの姿すら、もう見てはいなかった。
「それじゃあ、あたしは──」
すみれがつぶやく。続きはない。
口はぽかりと開けられたままで、美久を見つめていた。
彼女はいつだって美久を見ていることを、マサキは知っていた。光を遮り、膝を抱え、殻に閉じこもって、それでも彼女が見ているのは、結局のところ藤ノ宮美久でしかなかった。
「終わったことだよ、お二人さん」
俊介が、パンと手を叩いた。
「ケースバイケースで処置が決まるんだけどね、今回の場合は、まあ、なかったことにしましょうということで。あとのフォローは協会が承るので、ご安心を」
すみれも美久も、俊介の言葉など耳に入っていないようだった。
それでもかまわず、最初から独り言であるかのように、俊介はマイペースで続ける。
「イビト協定に則って、特性を行使します」
歌うように、決まり文句を口にした。
自らの指先を噛みしめ、皮を引きちぎる。
赤い血が、流れた。
*
──その日、筒賀高校一年二組に、長期に渡り欠席していた女子生徒が復帰した。同時期、授業を欠席気味だった女子生徒も復帰、以前のように二人で共にいる姿が見られるようになった。復帰した女子生徒については様々な噂が行き交ったが、噂に留まった。彼女は以前のままの姿であり、一部の生徒がいうような急激な変化は見られなかった。
同日、同クラスの男子生徒、及び二年一組の女子生徒が、それぞれ転入一週間あまりにして姿を消す。これについても諸説飛び交ったものの、学校側からの説明はなく、どれも噂の域を出ない。
復帰した女子生徒二人に関しては、記憶に空白あり。ただし、日常生活に支障をきたすものではない──
「──以上。うおお、慣れない。再提出とかいわれそう」
ファミリーレストランのテーブルにつっぷして、榊マサキは嘆いた。手書きのレポート用紙に顔をうずめる。ティーシャツにジーンズというラフな姿に、巨大なショルダーバック。胸のふくらみはない。
「いいよいいよ、そんなの適当で。協会もまともに読んでないんだから。それよりまず注文決めてくれないかな。俺これでも疲れてるんだよ」
向かいには、よれよれになったスーツ姿の鬼頭俊介。彼はあくびを噛み殺し、だらしなく肩肘をついた。
頬の下が冷たい。過剰冷房の店の空気は冬のように冷えていて、テーブルがすっかり冷気をい吸い込んでいる。マサキはひやりとした感覚に触れたまま、俊介を見上げた。
この男の本当の名を、マサキは知らない。世界中で、最古のイビト。
彼のことを、マサキは理解しているつもりだった。しかし、彼の存在のことを、多く知っているわけではなかった。
彼は、別格だった。
眠ることを与えられず、あまりに濃い特性ゆえに、従属の記憶を操る能力を持った、不老の男。
彼が生きている限り、彼の従属はイビトであることを忘れるだろう。それは、ただそれだけの措置だった。協定の存在を伝えるまでもない。彼女らは、あまりにも幼く、純粋で、危険だった。
知らなければ、為されない──それが、協会上層部の意だ。
もし、なんらかのきっかけでまたくり返されることがあれば、また他のイビトが動く。単純なシステムだ。
彼らは、だれかを罰するためにいるわけではない。
「ちゃんと読んでますよ、鬼頭俊介。いまの発言は上に伝えておきます」
イスの下からひょっこりと顔を出し、アオが囁く。あまりのことにマサキは声をあげることができず、目を見開いて、あわててバッグを開けた。首根っこをひっつかむと、複数の制服のなかに突っ込む。
「入ってくんなっていっただろ! 飲食店だぞ!」
「ですが、マサキさん、その素晴らしいレポートを受け取らなければ」
「素晴らしいとかって嫌味か!」
思わず声を荒らげて、視線を感じ、咳払いをした。ネコがいると気づかれるのもまずいが、ひとりで怒鳴るおかしなやつだと思われるのも嬉しくない。
「伝えてもいいから、さっさと姿消してよ。いまからランチデートなの。見ればわかるでしょうよ」
「ああ、そうでした、マサキさん、新薬をお持ちしました。これで好きなときにどちらにも、少ない頭痛でモデルチェンジできるかと」
俊介のことはきっちり無視をして、アオが嬉しそうに告げてくる。その青い腹に風呂敷が巻き付いているのを見て、マサキはため息を吐き出した。頭痛が完全になくなるわけではない上に、たいした量ではないらしい。
「そんなことより、休みをくれよ……」
思わず呻いたが、アオが大きく開けた口のなかに密閉された小さな袋を見つけ、マサキは今度こそ泣きそうになった。
一段落ついたばかりだというのに、もう次の用意は万端なようだ。
「まあ、せっかくだから楽しもう、マサキちゃん。手始めに、薬を一錠飲んでおくのはどうかな。そのほうがテンション上がるし」
「俺のテンションはだだ下がりだ」
どこまでも脳天気な俊介に、八つ当たりと知りながら、マサキは唇を尖らせた。
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協定の条
イビトは、協定に沿う限り自由である。
広義において、イビトとヒトとは同一であり、世界は平等に、そこに在る。
了