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イビト協定  作者: 光太朗
5/8

◆ 想い ◆

 *


 協定の条

 イビトは、ヒトの秩序を乱してはならない。是が厳守される限り、イビトとヒトに区別はない。


 *




 道は限られていないことを、マサキは知っていた。

 道を見るのは幻想だ。そんなものはどこにもない。在るのは、ただ、世界。足を踏み出し、進んだ跡が、道となる。

 それでも、がんじがらめだったあのころ──そんなふうには、決して、思えなかった。

 道は、二つだった。

 耐えて壊れる道と、逃げて朽ちる道。

 欲望も衝動も、抑えられなかった。


 人殺し。


 投げられた言葉を、覚えている。


 人殺し。


 涙を、覚えている。


 ひとごろし。


 たった五文字の、真実。

 目を閉じた。

 耳を塞いだ。

 願いを記した小さな紙を、何枚も何枚も貼り付けた。見ないで触らないで気づかないで。

 なじって。

 突き落として。

 ──たすけて。

 世界は乾き、決して満たされず、けれど満たされたいと思うことは許されてはおらず、そうして水分は抜け落ちて、息ができなくなっていった。

 それでも、手が、差し伸べられた。

 ひどく悲しそうに微笑んで、彼は、見つけてくれた。

 行き場を失った、いまにも消えてしまいそうだった、小さな小さな存在を。

 死にゆく母親の言葉を、いまならためらいなく、思い出すことができる。

 だいじょうぶ、安心してと、口にすることができる。


 ──目を開けて、胸を張って、生きなさい。




「……さん、マサキさん。だいじょうぶですか?」

 声が届いて、マサキは目を覚ました。

 しかし、そう思ったのは幻だった。瞳が乾いている。眠っていたわけではない。幻を見ていたのかも知れない。記憶と思考の入り交じった、色のない映像。

「顔色が悪い。熱があるのではありませんか」

 天井しか映っていなかった視界に、長いヒゲが割り込む。マサキの上にいたらしいアオが、心配そうにマサキの顔をのぞき込んできた。

 ベッドの上に身体を起こそうとして、目眩を感じ、マサキはおとなしく横になる。

「いま、何時?」

「まだ昼です。ひどい汗ですから、着替えられた方がよろしいでしょう。薬をお持ちしました。少しは助けになるかと思います」

 事務的に告げられる言葉が、そのまま脳を通り抜けそうだった。頭を揺らして、覚醒しようと努める。

「薬って……いつもの?」

「いえ、治癒です。安定には至らないと思いますが、動けるようにはなるでしょう」

 アオが尾を揺らすと、くくりつけてある小さな包みが見えた。マサキは礼をいい、アオを抱く。するすると尾から包みを抜いて、白い錠剤を取り出した。寝転がったままで、ごくんと飲み込む。

「できれば、水かぬるま湯で服用ください」

「遅ぇよ」

 冗談という様子でもないアオを、半眼で睨んだ。アオはごく真面目に、すみません、と謝ってくる。

 思わず苦笑した。

 意識がはっきりしてくると、ずいぶん汗をかいているのだと実感する。あの夜、自力で着替えてベッドに潜り込んだところまでは覚えていた。だれがやったのか──自分でやった記憶はないので、俊介しかいないのだが──エアコンはささやかな音をたて、冷風を送ってきていた。暑くないよう、かつ風邪を引かないように、という配慮。

 マサキはゆっくり息を吸い込んで、今度こそ、起き上がった。

「回収は?」

 ネコのようにニャアと鳴き、アオはベッドの脇に移動した。

「鬼頭俊介にいわれ、ぼくが済ましておきました。ぜんぶというわけにはいきませんでしたが、充分でしょう。鬼頭俊介に渡してあるので、そろそろ結果が出ているころではないかと」

 アオは、俊介のことをわざわざ『鬼頭俊介』とフルネームで呼ぶ。マサキよりも付き合いは長いはずだが、妙によそよそしい。マサキが『アオ』と命名するまでの間、俊介がアオのことを「ネコ」だの「アオネコ」だのと呼んでいたのが理由とのことだ。それならばアオという適当なネーミングも同罪だろうとマサキは思う。

「そんじゃ、オレも動くか。あいつは、大学か?」

「例の仕事のあと、大学だと。いや、しかしマサキさんはもう少し休んで……──というか、あの、ぼく自身はまったくかまいませんが、お着替えされるのでしたら、ちょっと……」

 シャツを脱ぎ捨てると、アオが前足で顔を隠す仕草をした。

 歯切れの悪いいい方に、気づく。

 ランニングシャツの胸元に、丸いふくらみが二つ。

「……うわあ、感覚が鈍ってる。オレ、ずっとこうだった?」

 そのまま問うと、アオはネコらしからぬ恥じらい方で、くねくねと身をよじらせた。

「あ、あの、昨夜お薬をお飲みでしたので、お帰りのときには男性でしたが、今日になってからはちょっと……」

「まあ、自業自得か」

 マサキは息を吐き出した。

 一軒一軒回っていった筒賀高校の欠席者たちにしてみても、だれもが風邪、もしくは疲労だった。活力がなくなり免疫力が低下、その結果、ウィルスにやられるのだ。これといって特別な病気というわけでもない。それがわかっていたから、無茶をしたともいえる。

 ただ、マサキや俊介や、アオ──そのほかにも、世界中にたくさんいる彼らの仲間たちの場合は、多少事情が違っていた。

 コントロールが、難しくなるのだ。

「鬼頭俊介から、マサキさんはゆっくり休んでいるように、と伝言を預かっていますが」

「聞くわけねえだろ」

 マサキは立ち上がると、クローゼットを開けた。裸になったわけでもないのに、アオがきゃっと悲鳴をあげる。

 ちょっと考えて、そのまま閉めた。代わりに、ショルダーバッグを開けると、セーラー服とカツラを取り出す。

「せっかくだから、顔売っとくか」

 そうしてそのまま、堂々と着替えはじめた。




   *




 福崎家に辿り着くと、門の脇で逡巡している藤ノ宮美久に出くわした。

 正確には、一方的に気づいた。三時を回っている。他人のことはいえなかったが、こんな時刻にここにいるということは、高校を早退したか、そもそも行っていないということなのだろう。マサキは身を隠すことなく、民家の塀にもたれかかり、美久を観察した。

 美久は、美少女ともてはやされる端正な顔立ちに、影を落としていた。夏の午後に汗ひとつかいていない様子は、超然としているというよりもむしろ不健康で、近寄りがたい。あの日、保健室で会ったときにも顔色は良くなかったのだと思い出す。

 マサキは、二階を見上げた。昨夜は閉まっていたカーテンは、いまは開けられている。窓の向こう側に、二人がいるはずだった。

 まだ、出てこない。

「福崎すみれ、ってさ」

 つぶやくと、美久は素早く振り返った。存在に気づいていなかったのだろう、マサキを見て目を見張る。まるで現場を押さえられた犯罪者のように狼狽した。やましいことをしています、と自白しているかのような反応だ。

 その様子に、マサキは苦笑した。この姿では、彼女とは面識がないはずだった。

「最近、学校に来てないよね? 病気とか、怪我とか?」

 腕を組んで、塀に体重を預け、口調に気を配りながら、何でもないことのように尋ねる。美久は視線をさまよわせたが、他に人がいないのを知ると、警戒心を露わにして口を開いた。

「……詳しいことは、わたしも」

「知らない? まさか。毎日来てるくせに。友だちなの? 向こうは、友だちとも思ってないみたいだけど」

 毎日、というのはかまをかけただけだったが、美久は顔色を変えた。とはいえ、マサキのセリフのどこに反応したのかはわからない。

 マサキは、昨夜のすみれの態度に、腹を立てていた。少なくとも、友人に対する接し方ではなかった。まるで、美久の雇い主でもあるかのような、高圧的な態度。

「あなた、だれなの?」

 美久の瞳に敵意が宿る。少なからず意外に思いながら、マサキは首を傾けた。

「どうして怒るの。──福崎すみれが、好きなの?」

 口にしながら、不躾な問いだと気づく。だが、浮かんだ疑問は、他にいいようがない。

「……すみれちゃんを悪くいわないで!」

「悪くいうつもりもないけど。友だちなら──」

 続きをいうべきかどうか、マサキは一瞬悩んだ。けれど、思ったことを口にしないのは主義ではない。まっすぐに、美久の揺らぐ瞳を見る。

「──友だちとして、考えた方が、いいんじゃないの」

 そのとき、扉が開いた。スーツ姿の俊介が、のらりくらりと姿を現す。すみれは一緒ではない。

 美久がはっとして、慌ててインターホンを押した。ただ立っているだけでは、怪しまれるとでも思ったのだろうか。何を今更、とマサキは呆れる。

 二階の窓に人影がちらついて、マサキはそちらを見た。

 福崎すみれだった。

 その姿に、胸の内が何かを訴えた。黒く、歪んだ、嫌な思い。昨夜のできごとが蘇る。

「──何してんの、マサキちゃん。寝てなくちゃだめでしょうよ」

「だれがマサキちゃんだ」

 俊介に頭をこづかれる。マサキは憤然と、仕事を終えてきた保護者を睨め上げた。

「ちょっと貴重なツーショットだったね。筒賀高校の二大美女。──なんで美少女ってことになってんの? ほとんど学校行かないから?」

 皮肉でも何でもなく、真剣に不思議そうだった。マサキは眉根を寄せ、話題を変える。

「手に入れたんだろうな」

「あたりまえでしょう。じゃ、このままデートってことでいいかな」

 どこへ、というのは、聞くまでもなかった。俊介は、手のなかの銀色の包みを、そっとマサキに見せる。

 回収済みであるというなら、行く場所はひとつだ。



 俊介が研究室を持つ山坂下大学は、すでに夏期休暇に入っており、閑散としていた。生物系の研究室が入る第三棟も、ほとんどの電気が落とされ、誰もいないのではないかと思うほどだ。

 セーラー服で堂々とキャンパスを闊歩するのは気が引けたが、学生の数が少ないのが救いだった。

 マサキは肘掛け椅子の背もたれに顎をのせ、豪快にあくびをした。

「眠ぅ」

 思わずつぶやくと、白衣姿の俊介が振り返る。掃除が行き届いているとは思えない白い床をつかつかと歩き、マサキの頭に手套を下ろした。

「そんなんならそもそも出てこないでくれないかな。家で寝てればいいものを」

「殴ることないだろ。充分寝たんだよ。家にいたって、どうせおまえの部屋の掃除ぐらいしかやることねぇんだし」

「やってくれればいいじゃないか」

 大まじめに返されて、マサキは唇を曲げる。いい大人が高校生にいう言葉とは思えない。

 見上げると、俊介は相変わらず、覇気のない顔をしていた。万年低血圧のこの男の、やる気に満ちた顔というものを見たことがない。こうして、本業である研究をしているときですら。

「おまえさ、夜はホスト、昼は研究で、最近休んでないだろ。一回お嬢さん方にやられてみたら、ぐっすり眠れるんじゃねえの」

「めずらしく優しいね。ごろごろしてると怒るくせに。──そう思うぐらいなら、やっぱり君は寝ているべきだよ。まあ、俺はそれなりに嬉しいんだけど」

 俊介が真剣に心配しているのはわかったが、それには答えず、マサキはそっぽを向く。

 俊介は肩をすくめた。マサキの隣の椅子を引くと、深く腰を下ろす。思い出したようにあくびをした。

「この件はもうすぐ終わるよ。明日あたりで、けりがつく」

「なんだよ、もうわかったのか?」

「あたりまえでしょう。君は俺のことをもうちょっと評価してもいいと思うよ。色々な面で」

 心底意外そうな顔をしたマサキに、俊介がため息を吐き出す。マサキは首をかしげた。

「なんだよ、何が不満だ?」

 何かとスゴイヤツだということは理解しているし、かつ評価もしているつもりだ。とはいえ、生活能力がないのも事実。これほど正確に鬼頭俊介という人間をわかっている人物も少ないだろうと、自分では思っているのだ。

「……いいけどね。それでは、結果発表。俺が手に入れた福崎すみれのと、君が地道に集めてくれた複数の検査ガムを調べたら、これがなんと……! まあ大体予想どおりの結果だったよ」

「盛り上げるなら徹底しろよ」

「といわれても」

 俊介は疲れたように肩を下げる。とはいえ、マサキも一緒に盛り上がってあげられるだけの気概はない。

「──じゃ、聞かせてもらおうか。今後の方針も兼ねて」

 促すと、俊介はのんびりとした口調で、話し始めた。どこか違う世界の物語を口にするかのように、感情を込めず、淡々と。それでも、マサキにもわかるよう、専門用語を省くという心遣いを見せた。

 終わるまでには、五分もかからなかった。

 それほど単純で──かつ、彼のいうように、事実を追う限りでは、それは予想どおりだった。

 ある一点を、除いて。

「アオには?」

「これからいうよ。行使状も出るだろうね」

「……オレは?」

 聞くまでもなかったが、それでも問う。

 俊介は楽しそうににっこり笑い、マサキの頭を撫でた。

「まあ、餌になってもらうかもしれないってことで。明日はがんばろうね、マサキちゃん」

「そうなるよなあ」

 マサキは顔を歪めた。







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