表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イビト協定  作者: 光太朗
3/8

◆ 取って食われて ◆



 *


 協定の条

 イビトは、ヒトのなかで生活する。極力ヒトであろうとすることを原則とする。

 是を知るヒトは、イビトを補助する。


 *




「い、いいにくいこと、なんだけど……」

 少年は言葉を濁した。最後まで聞かずとも何をいわれるのか想像がついたが、マサキは神妙な顔でうなずく。

「安心しろ。だれにもいわねえよ」

「ほ、本当だよ? お母さんやお父さんにも、ダメだよ?」

「わかってる、わかってる」

 高校生にもなって、お母さんやお父さんにナイショという念の押し方もどうか──そうは思ったが、マサキの役割は、ひたすらに彼らの味方であることだった。

「落ち着けよ。ほら、ガムでも噛んでさ。これ、オレのオススメ」

「あ、ありがとう」

 マサキが銀色の包みを差し出すと、少年は面食らいながらもそれを受け取る。

「甘いのと、こう、顎を動かすってのが、なんかいいらしいぞ」

 適当な知識を披露する。それでも多少は落ち着いたのか、少年は苦笑した。

 マサキは伸びをして、わざと少年から距離を置いた。

 親身になったようなふりをして、かつなんでもないことのように、やんわりと促す。

「何があったんだ?」

 それは、絶妙の間だった。答えずにはいられないというぐらいの。

 ベッドの上に座る少年は、小さな声で切り出した。

「……実は、藤ノ宮さんに…………──」

 もぞもぞと声は小さくなり、後半はほとんど聞こえなかった。

 だがもう、それは聞き返す意味などなかった。

 マサキは大仰に驚いてみせ、適当なことをいって彼をなだめ、ショルダーバッグを抱えて早々に部屋を出る。長居は無用だ。まだ数件、残っている。

 学校を欠席している面々の家へ、マサキは片っ端から突撃していた。アオから渡されたリストを元に、公共交通機関を駆使して、これでもう十件目になる。

 転校してまだ一週間のマサキが家にまで押しかければ、ほとんど例外なく、誰もが目を白黒させた。とはいえ、持ち前の明るさと、良くも悪くも裏表のないその性格、そして当たり障りのないいいわけがプラスされれば、追い返されるようなこともなかった。

 知らない相手の場合は、やはり見舞いという名目で家まで行くものの、その家族にそれとなく話を聞くだけだ。制服姿でノートやプリントの類を差し出せば、大抵は深く追求されない。高校生って素晴らしい、と密かにマサキは思う。

 外は暗くなり始めていた。七月のこの時期、薄暗くなるということは、もう午後七時を回っているだろう。

「続きは、明日か……」

 空を仰いだ。これで終わりというわけではなく、『回収』も残っているのだ。これはアオに頼むこともできるとはいえ、気が遠くなる。

「や、ちょっと待てよ」

 ふと思いつき、学生服のポケットから携帯電話を取り出した。あらかじめ転送しておいた、リストの一覧をチェックする。十数人の欠席者の情報が並ぶ最後に、数行分を空けて、記された二つの名があった。

 福崎すみれ。

 藤ノ宮美久。

 住所は同じ町内で、ここから歩いていける距離だ。

「……予定にはなかったけど。まあ、ついでか」

 すみれについては自分の担当ではないが、美久に会いに行くのは問題ないはずだ。すみれにしても、近くにいるのだから、接触しておくのは悪いことではないだろう──そう、結論づけた。

 元来、彼は動くことが嫌いではない。それに、憔悴した十人と顔を合わせ、苛立ちのようなものを感じてもいた。

「虎穴に入らずんば、っていうしな」

 つぶやいて、足を速めた。 



 藤ノ宮美久は不在だった。

 本人のみならず、家族の姿もなし。そのまま帰るのももったいないという思いから、マサキはその足で福崎すみれの家へ向かった。

 若干の逡巡ののち、インターホンを鳴らす。どちらかというと質素な市営アパートだった藤ノ宮家に比べて、福崎家は小さいながらも一軒家だ。

「……出てこない、か?」

 きっちり一分待って、マサキはつぶやく。携帯電話を開き、まぶしさに目を細めた。もう八時になろうとしている。

 いるとしても、すみれ本人だけのはずだ。父親とはずいぶん前に縁を切っており、母親は明け方まで仕事──データなら、しっかり頭に入っている。記憶力は悪い方ではない。

 二階のカーテンの向こう側から、灯りが漏れている。光が少し大きくなって、誰かがこちらを覗いたのがわかった。しかしマサキは気づかないふりをして、そのまま、静かに待つ。

 しばらくして、扉が開いた。遠慮がちに、小さく。

「どうも、ええと……福崎、さん?」

 資料で顔は知っているものの、初対面には違いなかったので、マサキは問いの形を取った。どう挨拶したものか一瞬悩んで、結局明確な言葉を避ける。家まで押し掛けておいて、初めましてというのもおかしい。

「だれ?」

「榊マサキです。福崎さんと同じクラスの。先週転校してきたんで、会うのはこれが初めてだけど」

「…………」

 福崎すみれは答えなかった。ただ、不機嫌そうに眉をひそめた。

 マサキが転入する以前から、約一ヶ月間、彼女は高校に来ていない。体調不良による欠席、というのがあながち嘘ではないと思えるぐらい、不健康そのものの風体をしていた。荒れた肌に、人を寄せ付けない目。顔色も悪く、痩せ型、というよりはやつれている。

「……美久に用?」

 胡散臭そうに目を細め、すみれは意外な言葉を口にした。

 マサキは、彼女の言葉に目を見開く。福崎すみれの家に藤ノ宮美久がいる――特に不思議なことでもないが、予想していないことだった。

 しかし、それ以上を考えるのは、マサキの役割ではなかった。彼は記憶力には自信があるものの、それを活かす術に関してはそもそも手を出す気がない。

「藤ノ宮さん、いるの? 仲いいんだ」

 あたりさわりなく返すと、すみれは敵意をむき出しにした。

「白々しいよ。美久に会いに来たんでしょう。そうじゃなかったら、あたしのとこに来るわけないじゃない」

「いや……――現社の先生が、福崎さんに渡す資料を忘れてたって。オレんちここの近所だから、持ってきたんだけど」

 いくつか用意している口実のうち、もっとも的確と思われるものを口にする。しかし、すみれは納得していないようだった。黙って、値踏みするように、じろじろとマサキを見る。きっと何をいっても同じなのだろうと、マサキは肩をすくめた。

 もう一押しが必要だと、とっさに思った。このまま帰ってしまってもいい。だがこの状況で、ただ帰るのは癪に障った。

 やる気のない家主の顔が、ちらりと脳をよぎる。

 手ぶらで帰るわけにはいかない──悩んだのは、一瞬だった。

「藤ノ宮さんがいるなら、ちょっと会っときたいかな」

 その言葉に、すみれの表情がより険しくなった。

 いってしまってから、ほんのりと後悔する。

 しかし、今更だった。すみれは扉を大きく押し開けると、ごくぶっきらぼうに、それでもマサキを通した。

「入れば」

 それこそ、帰るわけにはいかない。マサキは覚悟を決めた。

「おじゃまします」

 玄関でスニーカーを脱ぎ、少なからず緊張しつつ、丁寧に揃える。いるわけがないとわかっていながらも、しんとした一階に注意を払った。灯りすら落とされ、物音もない。

 黙って先を行くすみれに、少し遅れながらもついていく。階段の下には雑誌の類が積み重ねられ、掃除はされているものの、どこか乱雑な雰囲気が漂っていた。

「ご両親は? こんな時間だし、女の子の家に男の子、なわけだし……一応、挨拶とか」

「いないよ、仕事」

 普通なら出てくるであろうセリフを口にしたが、すみれは振り返りもせず、冷淡に答える。ハーフパンツにティーシャツというラフなうしろ姿に、世間話のようなものを投げようとして、マサキは口を閉ざした。まるで目に見えない鎧を着ているかのように、隙がなかった。話しかけるな、と背中がいっている。

「ここ」

 扉の前で、すみれは止まった。一歩横にずれ、自分では開けず、マサキを促す。ここまできて遠慮するわけにもいかず、マサキはノブに手をかけ、そっと押し開けた。

 飾り気のない、質素な部屋だった。

 目についたのは、勉強机とベッド、床に転がった大きなクッション。ほとんどそれだけで、ポスターやぬいぐるみのような、娯楽を匂わせるものは一切ない。閉められた青いカーテンは、エアコンから送られる冷たい風に揺らめいている。

 クッションの上には、制服姿の藤ノ宮美久がいた。

 彼女は、マサキを見て、明らかに狼狽した。身を強ばらせ、それから目を逸らす。

 マサキにしてみても、ばつの悪い思いがあった。昼間の保健室でのできごとが蘇る。熱さや匂いや、それらすべてを伴って。

「会いたかったんでしょ?」

 乱暴に、すみれは戸を閉めた。ガチャリ、と鍵をかける。

 背中から聞こえた問いに、マサキはどう答えるべきかと黙ってしまう。けれど、問われたのは美久の方だった。美久は、首を左右に振った。

「わたしは……」

「会いたかったんでしょ。あんた、こいつと仲良くしたいっていってたじゃない。榊マサキって、あんたがいってた転校生でしょ」

 まるで恨みでもあるかのように、すみれはひどく高圧的ないいかたをした。仲良くしたい、のいい回しが気になったが、それよりも態度そのものが感に障り、マサキは眉間に皺を寄せる。ほとんど本来の目的を忘れ、説教の一つでもするつもりで、すみれに向き直った。

「福崎、おまえさ──」

 しかし、言葉に詰まってしまった。

 すみれは、痛みをこらえるような顔をしていた。肩で息をし、唇を噛むようにして、小さく震えている。下で見たときよりも、よりやつれている印象すら受ける。

 思わず、だいじょうぶかと、聞きそうになった。

 その戸惑いが、マサキに隙を生んだ。

「ごめん、榊くん」

 声は、うしろから聞こえた。昼に聞いたときとは別人のような、控えめな声。

 何が、と聞くことはかなわなかった。

 痺れるような衝撃がはしる。首筋に小さな痛み。急速に、視界がぼやけていく。

 すみれが、薄く笑うのが見えた。

「…………っ」

 声は出なかった。

 マサキは、意識を手放した。




   *




 ゆらゆらと、世界が揺れていた。

 冷たい風と、あたたかいぬくもり。揺れているのは世界ではなく、自分自身なのだと知る。

 落とした視線に、現れては消える皮の靴。頬には柔らかい髪が触れ、鼻先には香水とアルコールの入り交じった匂い、そして慣れ親しんだ香り。少し先を、青い小さなネコが行く。

 この世界で一番安心できる場所にいるのだとわかると、マサキはもう一度目を閉じた。それならこのまま預けていようと、まどろみのなかで意識に別れを告げる。

 しかし、心底から呆れきった声が、意識を引き戻した。

「馬鹿だねえ」

 条件反射のように、反論したくなる。しかし、ことのいきさつを思い出してしまった。ぐうの音も出ない。

「……おまえがいるってことは、深夜とか、明け方?」

 代わりに、聞いた。大きな背中が、丸ごと肩をすくめるような仕草をする。

「深夜十二時。アオ君に聞いて飛んできたよ。客が減ったらどうしてくれんの」

「放っとけばいいだろ、稼いでろよ。このままじゃ次の牛肉は遠いぞ」

 わざとそんないい方をして、マサキは自分の声を初めて認識した。

 目で確かめるまでもなかった。もうあれから四時間経っているというのだから、尚更だ。

 思い出したように、頭痛が襲う。

「そんな姿で、公園に転がしておくわけにもいかないでしょうよ」

 俊介の言葉に、状況を正確に理解した。

「公園かよ」

 目眩がする。どこの公園に転がっていたというのか。女子高生二人の力なら、それほど遠くにも運べなかっただろう。人目につくわけにもいかない。

「まったく、ろくに考えずにすぐ突っ走るクセをどうにかしてもらえないかな。何のために俺がホストなんかやってんだか。心臓がいくつあっても足りないよ」

 心配してくれているというのはわかったが、それでも黙って聞いているのは性に合わなかった。気の利いたことを返そうとして、頭痛のなか、脳を動かす。

「仕方ねえだろ、そういうタンパク質でできてんだから」

「なるほど。それは仕方がないね」

 意外なほど効果絶大だった。俊介の背中の上で、マサキは思わず笑う。

「悪かったよ」

 笑った勢いで、そうつぶやいた。

 背中が黙ってしまって、唇を尖らせる。

「……なんだよ」

「いや、気味が悪くて」

「正直すぎるだろうよ!」

 足をばたつかせるが、攻撃力は皆無だ。背中が上下して、ため息をつかれたのだとわかる。

「いいよ。君の行為は無駄じゃない。少なくとも、俺のモチベーションが急上昇だ」

 とてもそうは思えない淡々とした声が続いて、マサキはばかばかしくなった。

「酒臭ぇから、下ろせよ」

「いまの君を? 笑えない冗談だよ。オヒメサマ抱っこでもいいけどね」

「それこそ笑えねえ」

 ずっと先の空に、月が見えた。丸なのかそうでないのかわからない形をしたそれは、まるでそこで彼らを待っているかのように、何にも脅かされず、ただ浮かんでいた。

 マサキは、思い出していた。

 俊介と出会ったころのこと。

「君は、優しいからね」

 何をいおうというのか、謎かけのように、俊介がいう。

 優しくない、という代わりに、マサキは苦笑した。

「俺が自分の足で、動いた結果だ」

 確かな反省を滲ませ、誓いを新たにするように、言葉を舌に乗せる。

 黙って先を進んでいたアオが、しびれを切らしたように振り返った。

「起きたのなら、薬を飲んだらどうですか。それでご自分で歩けばいいと、思うのですがね」

 不機嫌そのものの声。

「余計なことを。薬なんて飲まれたら、おんぶしてもしょうがないじゃないか」

「じゃ、飲むか」

 異を唱える俊介にあえて逆らって、マサキはポケットを探った。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ