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みんなの願いごと(4)






蹴人くんと二人きりになってしまったわたしは、とりあえず、蹴人くんの近くにあったベンチに腰かけた。


「ええと…蹴人くん、お腹はいっぱいになった?」


ゴミを入れたコンビニの袋を結びながら、何となく尋ねてみる。

すると蹴人くんはわたしの正面に立ち、じっとわたしを見てきた。


「うん。お腹はもう空いてへんよ」


「そっか、それは良かったね」


「でも、なんでお姉ちゃんのお願いごとはすぐに決められへんの?」


急に、話を引き戻す蹴人くん。

けれどわたしは、疑問に思ったことはすぐに訊きたがる子供ならではのことだろうと、特に不思議に感じることはなかった。


「そうね……、自分以外の人を一人、決めるのが難しいからかな……」


わたしの答えに、蹴人くんはまだまだ納得できない様子を見せた。


「なんで?お姉ちゃんにとって大切な人だったら誰でもいいねんで?」


「うん、それが決められないんだよ」


「なんで?お姉ちゃんの心ん中におる人でええやん。なんで分からへんの?」


「大切な人は何人もいるよ?でも、その中で一人だけを選ぶことができないの。蹴人くんも、パパとママどっちか一人を選ぶのは難しいでしょう?」


わたしの問いかけに、蹴人くんは「うーん……」と首を傾げた。

けれどすぐに持ち上げると、


「それは、お願いごとが大きい方を選ぶよ!」


名答だとだと言わんばかりに、胸を張って断言した。



「お願いごとが大きい方、か………」


それはある意味正しいのだろう。


蹴人くんが本当に願いを叶えてくれるかは別にしても、何かを選択する際に、一番重きを置くべきポイントを決めておけば、躊躇いも薄くて済むだろうから。


けれど今回の場合。

わたしは、家族や友達、周りの人の中で特に大きな願いごとを持っている人物が思い当たらないのだ。

みんなそれぞれに小さな願いはあるはずで、例えば資格を取得したいとか、彼氏が欲しいとか、あれが買いたい、どこどこのレストランのディナーに行きたい、そんな日常的な願いは盛りだくさんだけど、その中から一つを選ぶことはできない。

大きさで言えば、どれも似たり寄ったりだったから。


「それって、そんなに悩まんでもいいと思うけどなあ……」


考え込むわたしに、蹴人くんはわざとらしく笑い顔になってみせた。

子供相手に、なんだかフォローしてもらってるような気分になってきて、ちょっと恥ずかしい。


「わたしは何でも考えすぎちゃうのよね……」


初対面の幼児に対して打ち明けるような内容じゃないけれど、不思議と、蹴人くんには吐き出せていた。


そして蹴人くんは、悩めるわたしに、とある解決策を与えてくれたのだった。


「まあ、お願いの大きさも選ばれへんくて、どうしても決められへんのやったら、今パッと顔が浮かんだ人が幸せになりますように……てお願いにしたらええんとちゃう?」


「パッと顔が浮かんだ人………?」


言われて、即座にわたしの頭に浮かんだのは―――――――――



――――――――諏訪さん、だった。




「ほら、今誰かの顔が浮かんだんやろ?その人が、お姉ちゃんが今一番大切に想ってる人やで」


可愛らしい容姿をしているのに、蹴人くんの放つセリフは大人顔負けだ。

わたしは、蹴人くんに頭の中を見られているわけではないのに、反射的に誤魔化すように頭を振っていた。


「なにしてんの?ほら、その人のことお願いしたらいいやん」


楽しそうにすすめてくる蹴人くんには悪いけど、わたしは、諏訪さんのことをほとんど噂でしか知らないのだ。


「………ダメだよ。わたし、その人のことなんにも知らないの」


「せやから、その人が幸せになりますように、でいいやん。その人のどの願いがかなえられるかは分からへんけど、どれかはかなうんやから」


「でも……」


「じゃあ、お姉ちゃんやったらどんなお願いがあるん?お仕事のこと?なんか欲しいものないの?なんかそういう、お姉ちゃんの願いを、その人に置き換えたらええんとちゃう?ほら、お姉ちゃんかって、何か願いごとがかなったら嬉しいやろ?」


蹴人くんは具体的にアドバイスをくれるけれど、わたしは、自分の願いごとを思い浮かべてみても、気持ちを固めらなかった。


「それは……、どうかな」


「どうかな…って、こんだけ言ってんのに、まだ決められへんの?」


目をまん丸くさせた蹴人くんは、脱力したようにため息をこぼした。


「なんで?お姉ちゃんが嬉しいなって思うことでいいんやで?」


「うん、それはそうなんだけどね………。でもわたし、もし何かお願いごとがあっても、それがかなったら、嬉しいって思う気持ちの前に、なんだか、恐くなっちゃうかも。だから、なんだか想像もできなくて……」


「………へ?」


これには、子供の割におしゃべりだった蹴人くんも、さすがに閉口してしまった。



「……つまりね、不安に、なっちゃうの。なにか良いことがあったりすると、その代わりに、なにか悪いことがあるんじゃないかって」


わたしは、素直な胸の内を口にしていた。

いい大人が、こんな小さな子供に向かってなにをカミングアウトしてるんだと思うけれど。


ところが蹴人くんからは、予想外の答えが返ってきたのだった。



「お姉ちゃん、めっちゃネガちゃんなんやなぁ………」


「ネガ?…ちゃん?」


「そうや、”ネガちゃん”。お母さんがよく言ってるもん。ネガちゃんはアカン。ポジちゃんにならな……って」


ポジちゃん……、ああ、ネガティブとポジティブのことか。


わたしはそう推測したけれど、ネガちゃんだなんて、ちゃん付けするだけで言葉の印象もずいぶん違って感じるんだなと、ちょっと和やかに受け取った。



「蹴人くんのお母さんは、ネガちゃん、て言ってるんだ?」


「うん。なんか悲しいことあっても、ネガちゃんよりもポジちゃんでいかなアカン…って、いっつも言ってる」


「素敵なお母さんだね」


「うん!ありがとう。けどな、お母さんも、いっつもポジちゃんでいられるわけないから、どうしてもネガちゃんになる時は、無理やりポジちゃんにするんやって」


「無理やりって、どうやって?」


「例えばな、悲しいこと思い出したり、占いで最下位になって、ネガちゃんが出てきそうになったら、自分の頬っぺたつねったりするねん。それで、頬っぺたの痛みが最下位の理由やから、あとはもう悪いことは起こらへんはずや、って言ってた」


「頬っぺたをつねる……」


復唱しながら、わたしは、なるほどなと感心していた。

一種の厄払いみたいなものだろうか。

何か悪いことが訪れる前に、自分からわざと被害をつくる………

気分的な問題が大きいけど、それで不安が払拭できるなら言うことはない。


「その考え方は、すごいね」


わたしは、さっきの何倍もの賛辞を込めて、蹴人くんに伝えた。


「うん!お母さんはすごいねん!」


蹴人くんは満面の笑みで母親のことを誇ると、


「だからお姉ちゃんもやってみたら?」


と、わたしを指差したのだった。



「え、わたし?」


「そうや。お姉ちゃんも、なんか良いことあったあとに悪いこと起こらへんか心配になったら、自分で自分の頬っぺたつねってみたらいいやん。痛いのが嫌やったら、なんか好きなお菓子買って、それを自分で食べへんで誰かにあげたらいいやん。とにかくなんか自分で悪いこと起こして、それで帳消しにしたったらいいねん。ほら、なんて言うんやっけ、大人達がよく言うてるやん、プラマイ、プラマイ……」


「プラマイ0(ゼロ)?」


「あ、それそれ!プラマイ0(ゼロ)や!良いことあって不安になった時も、悪いことあって不安になった時も、どっちも頬っぺたつねったらええねん。ほんなら、それ以上悪いことは考えへんようになるやろ?」



蹴人くんの説明は、わたしの中に、何かを与えたようだった。



自分で悪いこと起こして――――――――プラマイ0(ゼロ)



なんだろう、なんて言えばいいのか分からないけれど、今感じてるのは、例えば、歩いてる道が、その幅を一気に広めたような、その視界に色が増えたような、そんな解放感に似た気持ちの変化だったのだ。



普段、考えすぎるくらいに色々考えているくせに、そういう視点では考えたことがなかった。

こんな小さな男の子に教えられるまで、気付きもしなかったなんて……

でも逆に、純粋な子供だからこそ、そういう考えができるのかもしれない。


そう思ったら、ふと、わたしは例の質問を、この小さな男の子に投げかけてみたくなった。

蹴人くんならなんて答えるのか、知りたくなったのだ。


「ねえ蹴人くん」


「なに?」


「もし、ここに…蹴人くんの前に、飲み物がコップに半分だけ入ってたとしたら、蹴人くんは、まだ半分残ってるから嬉しいって思う?それとも、もう半分しかないから悲しいって思う?」


「急に何なん?クイズ?」


「ううん。蹴人くんの思ったことを教えてほしいの」


蹴人くんは「んー…」と悩むような仕草をしたのち、パッと閃いたように眼差しを輝かせた。


「それを全部飲んで、すぐおかわりする!」



想定外の答えに、わたしは一瞬呼吸するのを忘れるほどだった。



「………おかわり?」


「うん!だってたくさん飲みたいもん!」


「でも、もしかしたら美味しくない飲み物かもしれないよ?」


「それやったら、最初にひと口だけ飲んで、美味しくなかったら吐き出す!ほんで、美味しかったらおかわりする!」


実に単純明快な解答だった。

ポジティブ、ネガティブ以前に、自分の想いに嘘のない、正直な答え。


わたしは、真正面から投げられたような蹴人くんの答えに、大人の敗北を感じたのだった。


「すごいね、蹴人くん…」


子供にこの質問をしたのははじめてだったけど、子供だからといってみんなが導き出せる答えでもないだろう。

そう思うと、まだ就学前に見える蹴人くんだったけど、もしかしたらもう少し年上なのかもしれない。


わたしは蹴人くんに年齢のことを尋ねようと口を開いた。

けれど、


「ところで蹴人くんは、いくつ…」


「あ、お母さんが来た!」


わたしの質問を遮って、蹴人くんは突然、広場中央に向かって叫んだのだ。


「お母さんが見えたの?どこ?」


わたしは、蹴人くんのお母さんが来たら、挨拶して、サンドイッチとかオレンジジュースを与えたことを報告しなきゃと、蹴人くんの視線の先を探した。


「もうちょっとでこっち来る」


「え、どこ?どんな服着てるかな?」


「ほら、もうすぐや」


「どこにいるの?」


朝の通勤時間帯なので、駅ビルの中を行き交うのは仕事用のキッチリした服装の女性が多い。

学生っぽい、若い女の子もいるけれど、蹴人くんの母親の年齢ではないだろう。


「ね、お母さんはどの辺りにいるのかな?」


すると、蹴人くんの母親らしき人物を見つけられず焦れるわたしの背後で、蹴人くんは大きく呼びかけたのだ。



「お母さん!」



その声は一段と大きく、クリアで、蹴人くんの母親にもすぐに伝わるように思えた。


…………けれど、誰一人として私達に向かって歩いてくる人はいない。



わたしはおかしいなと思って、蹴人くんに振り返った。


「ねえ蹴人くん、お母さんって…」


どこにいるの?


そう尋ねようとしたわたしのセリフは、音を成すことはなかった。




わたしの目の前には、誰も、いなかったから。




「え…………?」


無人のベンチが並ぶ光景を、わたしは瞬きも忘れて凝視した。


「………蹴人、くん……?」


か細く名前を呼んでも、何も返ってこない。



どういうこと――――――――?



わたしがよそ見をしたわずかな隙に、蹴人くんがいなくなったのだ。


「……蹴人くん?!」


慌てて見まわすものの、子供の姿なんてどこにもない。



あんな小さな子供が、走って行ってしまったのだろうか?

お母さんを見つけて嬉しさのあまりに全速力で駆け出したのだとしたら、考えられなくも、ない…………だろうか?


「蹴人くん?」


もう一度、男の子の名前を呼んでみる。


けれど、やはり、どこにも、どこにも蹴人くんはいなかった。



本当に、お母さんのところに走っていったのだろうか?

いや、それにしても姿かたちが忽然と消えてしまうなんて、ちょっと説明つかないんじゃ………



朝の通勤ラッシュの隅で起こった不可解な出来事に、わたしは、ただただ呆然とするしかなかった。


それでも、


「きっと、お母さんのところに行ったのよね……?」


そう思うことで、無理やり自分を納得させようとしていた。


だってそれ以外、あり得ないもの…………





いつもと変わらない朝、いつもと変わらない通勤シーンだったはずなのに、

たった数十分の間に、色々なことがあり過ぎだ。



わたしは、まだ出社前だというのにもかかわらず、もう、気持ち的には疲労に満ちていたのだった……………









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