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小さな男の子の伝言






「あんな、ぼく、お母さんのお腹の中におった頃から、お母さんの声が聞こえてたし、思ってることもわかってたんや。せやから、ぼくの病気が見つかったときのことも覚えてる。お母さんがどんだけいっぱい泣いたのかも知ってるで?毎日毎日、信じられんほど泣いてたよな。でも……」


そこまで大路さんを見ながら話していた蹴人くんが、こちらに視線を投げてきた。

おそらく、一旦ここまでを大路さんに伝えるようにとの意図だろう。


「……蹴人くん、お腹の中にいる頃から、お母さんの声が聞こえていたし、思ってることも分かってたみたいです。蹴人くんの病気が見つかったときのことも覚えていて、お母さんがたくさん泣いていたのも知ってると言ってます。毎日、信じられないほど泣いてたと、言ってます」



そう伝えると、大路さんの顔色が悪くなっていった。

自分を支えるように両腕を体にまわし、ギュッと掴んでいる。


「大路さん…?」


気になったわたしは大路さんの様子をうかがったけれど、それを阻止するかのように蹴人くんがまた話しだしたのだ。


「でも、ぼくだけやなくてお母さんにも病気が見つかったときは、ぼくも一緒に泣きたくなった。せやけど、ぼくとサヨナラしたらお母さんは助かるって聞こえてきたから、それやったら、悲しいけどぼくはサヨナラするって思ったんや」


「え……?」



蹴人くんの話した内容を、わたしはすぐに通訳することができなかった。



”命がけ” の意味が、ここにつながるのかと理解すると同時に、こんな小さな子供が ”サヨナラ” を迷わず選んだことに、やるせない感情があふれてきた。



「ほらお姉ちゃん、お母さんに伝えてよ」


蹴人くんはケロッとしてるけど、わたしはそのテンションごとを大路さんに伝えることはどうしても不可能だった。


通訳のテンポが崩れたわたしを、大路さんも旦那さんも心配そうに見ていて、今か今かと続きを待っている。

大路さんはまだ自分を抱きしめていて、そんな大路さんに、蹴人くんが言ったことをそのまま伝えていいのか迷いが生まれて。

けれど、


「お姉ちゃん、これはぼくの ”命令” や。なあ、お母さんに、ぼくが言ったことを伝えてくれへん?」


蹴人くんに催促されてしまう。


詳細までを聞いたわけではないけれど、蹴人くんの話から、ある程度の想像はできてしまうわけで、もしそれが正しいのであれば、それは…………あまりにも悲しくて、残酷な出来事だ。


まだ躊躇いをみせるわたしに、蹴人くんはしびれを切らしたように言った。


「お姉ちゃん、ぼくの話をお母さんとお父さんに伝えてくれるってお願いしたやん!」


「そうだけど……」


「蹴人くん、オレがお母さんに伝えてもいいかな?お姉さんは、どうしても言いにくいみたいだから」


郁弥さんが見かねて助け船を出してくれた。

けれど蹴人くんは首を横に振った。


「別にお兄ちゃんでもええねんけど、ぼくが ”命がけで大切な人” の話したんは、お姉ちゃんだけやから、お姉ちゃんに伝えてもらいたいねん」


あかん?


小首を傾げて訊いてくる蹴人くん。

わたしはその言葉を受け、躊躇いを払拭しなければと、ひとつ深呼吸をした。


わたしの様子と、郁弥さんの蹴人くんに向けての発言を聞いた大路さん、そしてご主人は、蹴人くんがなんて言ってるのかが気になってしょうがないようだ。


「ねえ、蹴人は何を言ってるの?」


大路さんはたまらず、わたしに身を乗り出してくる。


「それは、ですね……」


話そうとしたけれど、やっぱり、赤の他人であるわたしが、こんなデリケートでセンシティブな話に介入していいものか、迷いが完全に消えたわけではなかった。


すると郁弥さんがわたしの肩をトントン、と軽く叩いてきたのだ。

見ると、少したれぎみな目にわたしを映して、片想い中は見たこともなかった、優しい優しい微笑みをくれた。

こんなときでなかったら、もしかしたらわたしはその微笑みに心臓がひっくり返されていたかもしれない。


そして郁弥さんは蹴人くんを小さく指差して、それに素直に従い蹴人くんに向くと、彼も不穏な陰りなどないまっすぐな面差しで純粋に笑いかけてくれて、こくりと首を上下に動かした。


………蹴人くんが望むことは、叶えてあげたい


その気持ちを思い出したわたしは、もう一度、今度は短く息を整えてから、唇を動かしたのだった。



「蹴人くんが言ってることを、お伝えしますね……」


わたしの前置きに、大路さん夫婦が唾を飲み込む音が聞こえてきそうだった。



「……蹴人くん、お母さんのお腹の中にいるとき自分に病気が見つかって、そのあと、お母さんにも病気が見つかったことも知ってたようです。お母さんに病気が見つかってものすごく悲しかったけど、自分がお母さんとサヨナラしたら、お母さんは助かるんだと聞いて、だったら…………ぼくは、悲しいけどサヨナラする、と」


どういういきさつで、蹴人くんが死産になったのかは知らない。

けれど、蹴人くんが言った『サヨナラする』というのは、おそらく………


「じゃあ蹴人は、全部、何もかもを知ってるんですね」


ご主人がわたしに尋ね、蹴人くんが頷いてみせる。


「……そうみたいです」


「お姉ちゃん、続きしゃべってもいい?」


わたしがメッセンジャーとしての役割を果たすと認めたのか、蹴人くんは仕事の続行を求めてくる。


「あ……、うん、わかった。いいよ」


わたしは、心を奮い立たせて請け負った。



「でな、お母さんは ”自分のためにぼくとサヨナラした” って思って泣いてるけどな、ホンマは、”ぼくが、お母さんのためにサヨナラした” んやで?そこは間違ったらあかん。………ほら、お母さんに伝えて」


同じように聞こえるけど、全然違う。

母親である大路さん主導か、蹴人くん主導か。

結果は同じでも、当人達の受け取り方は大きく違ってくるのだろう。


「……『お母さんは、自分のためにぼくとサヨナラしたと思ってるけど、ホンマは、ぼくがお母さんのためにサヨナラしたんやで』…と、蹴人くんが言ってます」


わたしが伝えると、大路さんは、大きく目を瞑った。

キュッと目蓋に力が加わって、なにかを必死に抑えてるような形相で。


蹴人くんのお父さんは、体を大路さんに近寄せて、支えるように肩を抱いた。


けれど大路さんはその腕には頼らず、そっと目を開くと、ゆっくり、大きな瞬きをしたのだった。









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