みんなの願いごと(3)
咄嗟に言葉が出てこなかったのは、べつに注目を集めてどぎまぎしたせいではなく、”願いごと” について何も考えてなかったせいだ。
だって、自分のことならともかく、自分以外の人のことなんて、おいそれと勝手に口にするのもどうかと思うし、自分以外で誰か一人だけとなると、誰を選べばいいのか決められない。
家族や友達の中から…といっても、誰か一人を選べば、他の選ばなかった人達に申し訳ない気もするから。
即答した女性や男性のように、周りに大きな悩みを抱えている人がいれば別だが、そういう人物も思い当たらないわたしは、おおいに困ってしまった。
いや、そもそも、蹴人くんに話をあわせるだけならメルヘン風味に答えてもいいわけだし、こんなに悩まなくてもいいのだろうけど、女性や男性の願いごとがやけにリアルを帯びていたせいで、わたしの頭までもが、そっち方面に流されていたのだ。
でもやっぱり、思いつかないなら、ここは適当に無難な願いを答えておけばいいだろうか。
……いや、あまりにわざとらしいものは、いくら子供相手でも失礼じゃないかな。
あれこれ考えてしまう悪癖が、こんな些細なところでもでしゃばってくる。
わたしが先を繋げずにいると、
「お姉ちゃんは決められへんの?」
しびれを切らしたのか、蹴人くんがからかうように言ってきた。
「………うん。ごめんね。一つには決められないみたい」
仕方なくそう答えると、蹴人くんは「しゃーないなぁ……」と、生意気にもため息をついてわたしを見上げてきた。
「じゃあ、今度会うときまでに考えといて!」
今度なんてあるはずがないのに、蹴人くんは、また会う機会が必ず訪れるような言い方をしてきたのだ。
そのあたりは、やっぱり純粋無垢な子供だなと思った。
彼が一期一会という言葉を知るのは、きっと、もっと先なのだろう。
「うん、それまでに考えておくね」
もう、おそらく二度と会うことはないだろう蹴人くんに、わたしは笑って答えた。
するとそのとき、着信を知らせるバイブ音が、二つ、聞こえだした。
「あら、私かしら……」
「あ、僕もですね……」
女性と男性が二人してスマホを操作するや否や、
「まあ大変!」
「え、変更?」
また二人して、同時に驚いた声をあげた。
「どうかしたんですか?」
「それが………、今娘からメールが来たんだけど、今日夜勤明けで、実家に来るみたいなの。…デパートはキャンセルねぇ。なにか美味しいもの作って待っててあげなくちゃ」
「僕の方は、約束の時間が早まってしまいました。すぐに行かないと…」
二人とも、突然予定が変わってしまったらしい。
その慌てた様子からして、もうここに留まっている時間はないように見えた。
わたしは、二人の焦った顔を見たとたん、
「それなら、わたしが蹴人くんのお母さんを待ちますので、お二人とももう行ってください」
そう、申し出ていた。
考えるよりも先に、言葉が出ていたのだ。むしろ頭でごちゃごちゃ考えてる余裕はなかった。
だって二人が、困っていたから。
わたしが促すと、二人はかすめるように視線を交わしながら、小さく息を吐いた。
しょうがない…という感じに。
「じゃあ、悪いけど、あとはお願いできるかしら?」
「僕ももう行きますんで…。蹴人くん、一緒にお母さんを待ってられなくて、ごめんね」
申し訳なさそうに言う二人に、わたしは「大丈夫ですから」と返した。
蹴人くんも諏訪さんの時とは違い、
「大丈夫!」
わたしと同じセリフを、さらに元気に言った。
笑って、右手でピースなんか作っている。
そして、
「二人のお願いはちゃんと聞いたから、後はその人のお願いがかなうのを楽しみにしててな!」
自信たっぷり誇らしげに、二人に伝えたのだった。
「…そうね、楽しみにしてるわね」
「うん、待ってるよ」
二人はそれぞれ蹴人くんに話をあわせて答えてあげる。
やっぱり優しい人達なのだ。
けれどよほど急ぎたいのだろう、わたしに「じゃあごめんなさいね」「お願いします」と素早く会釈したあとは、通勤ラッシュの人混みの中、それぞれ逆方向に駆け出していったのだった。