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小さな男の子のこと(3)






大路さんのご自宅はリビングとキッチンダイニング、そして和室が一続きになっている間取りだった。

全体的にベージュやホワイトなど、淡い色合いでまとめられており、やわらかな印象は大路さんらしい感じがした。


「お花、蹴人のところに飾らせてもらうわね」


大路さんはそう言いながらリビング奥に進んでいく。

わたしと郁弥さんもそれに続いた。


入口扉と対角になるところにはマホガニーっぽい木目調のキャビネットが置かれており、その上、中央に、小さな円柱形の、例えるなら茶筒を縮めたようなものが乗せられていた。


そしてその周りには、小さなサッカーボール、ミニカー、乳幼児用の衣服や靴下などが並べられていて、ガスで浮かんだ風船もいくつか泳いでいる。

お菓子や飲み物なんかもたくさんあって、わたしはそのうちのひとつに釘づけになった。


それは、小皿に乗った、手作りと思われる玉子サンド。



「………玉子サンドって、蹴人くん好きなんだよね?」


わたしは蹴人くんに訊いたつもりだったのだけど、そうとは知らない大路さんがキャビネットの前に花を置きながら「朝お供えしたままなの」と答えてくれた。


すると郁弥さんが、静かに話し出したのだ。


「はじめて会ったときも、蹴人くんは玉子サンドを食べていました」


「え?蹴人が?」


郁弥さんの話に、大路さんは前のめりに、ご主人は黙って引き気味に聞いていた。

大路さんが早く話を聞きたがっているのはよく分かっていたけれど、わたしはまず、こちらの蹴人くんに挨拶をするべきだと感じた。


「……蹴人くん、ですか?」


大路さんご夫婦に何か問われる前に、先に短く問う。

すると大路さんも、「ええ」と短く返してくれた。

そのあと、なんとも言えない空気が流れるかと思いきや、


「ぼくはここにおるんやけどなぁ」


蹴人くんがわたしのとなりで笑うから、少なくともわたしと郁弥さんは、暗い顔をせずにすんだ。


でも心はやっぱり複雑で、わたしは小さな男の子にかける言葉が見つけられなかった。


「あの、手を合わせてもよろしいですか?」


「もちろん。あ、どうぞここに座って」


「失礼します」


わたしはすすめられるまま、まるでそれ専用で置かれているようなスツールに腰をかけた。


「せやから、ぼく、ここにおるのに」


クスクスと笑い続ける蹴人くんだったけど、それはそれで、ちゃんとけじめの挨拶は必要だと思った。

静かに手を合わせている間は、蹴人くんはおとなしく待っていてくれた。

わたしと入れ替わりで郁弥さんもこちらの蹴人くんに挨拶をした。



「二人とも飲み物はなにがいいかしら?うちは夫婦そろってコーヒーを飲まないから、用意できるのは麦茶、緑茶、紅茶と、あとオレンジジュースくらいだけど」


郁弥さんが立ち上がるのを待っていたかのタイミングで、大路さんが訊いてきた。

蹴人くんのことを聞きたがっているのは間違いないのに、大路さんは大路さんで、自分の気持ちをコントロールしようとしているようだ。

けれどわたしと郁弥さんは、”オレンジジュース” に、二人揃って蹴人くんを見てしまった。

すると蹴人くんは、


「ぼくはオレンジジュース」


と真っ先に答えたのだ。

そして肘でわたしの体をつんつんとつついてくる。


「ほら、(はよ)うお母さんに言ってや」


戸惑ったわたしは、反射的に、眼差しで郁弥さんに意見を求めた。

郁弥さんは黙って頷いた。


「あの、どうぞお構いなく。わたし達はなんでも構いません。でも…………蹴人くんは、オレンジジュースがいいそうです」


意を決してそう言ったわたしに、大路さんとご主人が同時に振り返った。

大路さんは「そうなのね。分かったわ」と、嬉しそうに返した。

そしてご主人は、いまだ信じられないものを見るような顔で、わたしと郁弥さんを見ていた。


「座って待ってて」


言い残して飲み物の用意にかかる大路さんに、わたしも手伝いを申し出ようとしたものの、ご主人にさりげなく制されてしまった。


「家内とは、入院中に知り合ったとうかがってます」


ご主人はわたし達を背もたれのあるソファに案内し、自分はオットマンのような真四角のソファに座った。


「そうらしいですね。私も当時は眠ったままでしたので、詳しいことは後々聞いたんですけど」


郁弥さんは営業のトップ成績者らしく、柔和で如才ない態度で会話を運ぶ。

蹴人くんはわたしと郁弥さんの間にちょこんとおさまっていて、足をブラブラさせていた。



「私が病院の手洗い場でナンパしたのよね?」


キッチンの方からは、大路さんも会話に参加してきた。

すると、おとなしくしていた蹴人くんが、急にわたしの手を引っぱってきたのだ。


「お姉ちゃん、いつもの小っちゃなコップやなくて、お姉ちゃんとかお兄ちゃんにあげるみたいな大きなコップがいいって、お母さんに言って!」


「コップ?」


わたしは蹴人くんに訊き返したけれど、「早く!」とせっつかれ、


「あの、大路さん」


キッチンに向かって声を投げた。


「その、蹴人くんが……、いつもの小さなコップではなくて、大きなコップがいい、…と、言ってます」


「え?」


大路さんは忙しそうに動かしていた手を止め、わたしに顔を向けてきた。


「だって前にお母さんこぼしたやん。ぼくのお供え用のコップは小さすぎて、うまく入れられへんって言ってたし」


ひとり言のようにぶつぶつと、でも蹴人くんは、大路さんにまっすぐ言い放った。

わたしは急いでそれも伝えた。


「大路さんが、前に、お供え用の小さなコップは入れにくいと言ってたから、って………」


わたしは大路さんに説明したのだけれど、それにいち早く反応したのは大路さんではなかった。


「……蹴人が、今、そう言ったんですか?」


大路さんのご主人…蹴人くんのお父さんが、信じられない様子を維持したまま訊いてきた。

わたしの周りに視線を巡らせながら。

大路さんは蹴人くんからの伝言を素直に聞き入れたらしく、「あらまあ、そんなことまで聞かれちゃってたのねえ」なんて、それを楽しむ余裕も感じられた。

すると蹴人くんがわたしの腕をトン、と叩いた。


「お父さんにも言って。昨日、公園に連れていってくれてありがとうって」


わたしは伝言係にも慣れつつあるのか、テンポよく蹴人くんのお父さんに伝えた。


「お父さんには、昨日公園に連れていってくれてありがとう、と言ってます」


「でもちょっとぼくを落としかけたけどな」


「……ぼくをちょっと落としかけたと、笑ってます」


蹴人くんとお父さんを交互に見ながら、なるべく一言一句逃さずに伝えようとしたけれど、同時通訳はなかなか難しい。

わたしは、多少の言葉の変換は仕方ないと半ば諦めて、とにかくスピード感を重要視することにした。


お父さんは、わたしと郁弥さん、そして蹴人くんと向かい合う位置に座っていたけれど、その表情はみるみる変わっていった。

信じられない、という疑いが混じっていたものから、驚きの中に悲しみとか切なさとか、いろんな感情が混ざったものに………








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