四人の再会(2)
大路さんは、郁弥さんの入院中に出会った、同じく入院患者だった、あのガーベラの女性だ。
わたしは立ち上がって、彼女に駆け寄った。
「大路さん、お久しぶりです」
「久しぶり。私が退院するときに見送ってくれた以来よね?」
郁弥さんが眠ったままだった間、水間さんと同じように、わたしはこの大路さんからも元気をもらったのだ。
そのせいか、郁弥さんがすっかりもとに戻った今、こうやって大路さんと会うと、なにか感慨深いものがある。
「そうですね。その後、いかがですか?」
何の病気だったかは聞いてなかったけれど、入院していたくらいだから体のどこかが良くなかったのだろう。
そんな、社交辞令的なわたしの質問に、大路さんはけらけらと軽く笑って答えた。
「元気元気。元気すぎて困っちゃうくらいよ。今日は退院後の検診で来ただけなの」
入院してた頃から明るかったけれど、それがさらに増したように見える。
そして、大路さんとのやり取りを郁弥さん達がにこやかに眺めているのに気付いたわたしは、大路さんを彼らに引き合わせた。
「あの、大路さん。わたしもさっき知ったばかりなんですけど…、こちら、水間さんのお母様です」
「え?水間さんって、看護師さんの?」
「そうなんです。水間さん、こちら大路さんといって、水間さん…あの、看護師の方の…ともお知り合いで…」
少し前まで入院していた、と説明したらすぐ理解してもらえそうだけど、それは大路さんのごくプライベートなことにも思えて、わたしの口から説明するのは気がひけてしまう。
するとわたしのジレンマを悟った大路さん本人が、「大路と申します。入院中は水間さんにお世話になりました」と自ら名乗ってくれたのだった。
「まあ、そうなんですか?わざわざご丁寧にありがとうございます」
水間さんと大路さん、年齢は大路さんの方がずっと年下に見えるけれど、雰囲気とか話し方とかが似てると感じた。娘さんの方の水間さんもそんなところがあったし、こういう人達は、相手にも明るい気分を与えてくれるようだ。
ぺこり、ぺこりと、互いに会釈をやり返している水間さんと大路さんに、わたしは遠慮がちに間に割って入った。
「それで、あの……。大路さん、こちらがあのとき入院していた諏訪 郁弥さんです」
わたしのセリフに、大路さんはパッと顔を向けて、満面の笑みを咲かせた。
「ああ!あなたが!」
郁弥さんも立ち上がり、
「諏訪です。その節はみゆきがお世話になったと伺ってます。ありがとうございました」
サッと頭を下げた。
「こちらこそ、みゆきさんにはお花までいただいて、家族で喜んでたんですよ?あ、そうそう、あなた宛てのお花を拝借したことは、ごめんなさいね」
大路さんが言ってるのは、わたしが処分しようとして大路さんに引き取られた黄色のガーベラのことだろう。
「でもそんなことより、」
なごやかな会話が広がるなか、大路さんがニヤリとわたしに目配せをした。
「あの時は何度訊いても『ただ同じ会社なだけです』とか言ってたのに、その後変化があったのかしら?」
からかうように言われて、わたしはカッと体が熱くなる。
郁弥さんの入院中、水間さんをはじめとする看護師さん達や、この大路さんからも、郁弥さんとの関係をさんざん訊かれていた。けれどあの当時は本当にただ同じ会社に勤めてるだけの間柄だったので、そう答えるしかできなかったのだ。
関係に発展があったのは、大路さんが退院してからのことだったから。
返事に詰まりかけたわたしに代わって、郁弥さんがクスッと笑いながら、メガネのズレを直して言った。
「それは嘘ではなかったんです。付き合いはじめたのは、おそらくその後のことだったと思いますので」
「そうなの?」
大路さんがわたしに視線を投げる。
するとそれまで特に会話に加わってなかった安立さんが驚いたような声で言った。
「やっぱりお二人はそうだったんですね」
わたしと郁弥さんを交互に見て納得顔をした安立さん。
「こんなところに一緒にいらっしゃるから、きっとそうだろうなとは思ってましたけど…。和泉さんはお仕事の格好ですけど、諏訪さんは完全にプライベート仕様ですし、ちょっと確信は持てなかったんですよね」
確かに、安立さんが郁弥さんを見かけたのは社内が多かったのだろうから、スーツ姿しか知らないことになる。
それに今日の郁弥さんはメガネもかけているし、こんな服装で二人で会っていて、わたしとの親密さを想像しない方が無理があるだろう。
「付き合いはじめたのはつい最近なんですけどね」
わたし達の関係を隠さない郁弥さんに、わたしは、自分を叱り付けたい気持ちになった。
社内での噂にちゃんと答える自信がなかった自分が情けない。
こんな風にさらりと認めてしまえる勇気が、どうして持てなかったのだろう。
わたしが密かに後悔と反省をしていると、診察室が並んでいる廊下の奥の方で何か動きがあったようだった。
「ありがとうございました」とか、「はい、わかりました」といった女の人の話し声と、それに対応する複数の人の声や気配が。
ちょうどそちらに背を向けるようにしていたわたし達だったけれど、しばらくして、
「あ、坂井さん」
と安立さんが立ち上がったのだった。
偶然が偶然を呼んで、再会の連鎖が途切れなかったけれど、坂井さんの登場で、それもひと段落を迎えるかのように思えた。
坂井さんを出迎えに行く安立さん。
そしてそのときタイミングよく携帯に着信があった大路さんは、安立さんとは反対に椅子に腰をおろした。
病院の待合という性質上、電話に出てもいいのか躊躇っていた大路さんだけど、たまたま通りかかった事務員から「出られても大丈夫ですよ」と声をかけられ、「もしもし?」と話しはじめたのだった。
わたしは、郁弥さんと一緒に、坂井さんの方に注目していた。
彼女の体調が心配だったからだ。
「もう歩いて平気なんですか?」
「ええ、ごくごく軽い貧血ですから。お騒がせしました」
遠くから近付いてくるそんな会話を聞きながらも、背後の大路さんの電話の声も耳には入ってしまう。
「……うん、大丈夫。え?……うん、そうよ。晩ご飯?特に考えてはないけど………」
相手の話す内容までは聞こえないけれど、どうやら通話相手はご主人のようだ。
ひとりで検診に来ている奥さんを気にかけての電話だったわけで、夫婦仲がいいことがうかがえる。
これ以上聞いたら盗み聞きになってしまうかな、そう思い、こちらに歩いてくる坂井さんと安立さんに意識を向けながら、水間さんと目が合い、ニコッと笑いかけられたときだ。
「……それやったらお願いしようかな。あ、しゅうとの分もお願いやで?」
大路さんが電話の向こうに投げ放ったセリフに、わたし、郁弥さん、水間さん、そして安立さんもが、目を見張って、大路さんを凝視したまま、表情を固めてしまったのだった。
けれどそんなわたし達の変化が目に入っていない大路さんは、そのまま電話相手と普通に会話を続ける。
それも、関西弁で。
「せやね、その方がええかもしれへんね。………うん、わかった。ありがとう。じゃあもうちょっとしたら帰るわ」
通話を切った大路さんに、わたし達四人の注目は解かれることはなかった。
そしてその雰囲気に気付いた大路さんは、
「……?」
わたし達の顔を見回しながら、不思議そうに首を傾げる。
「みゆきさん?どうかした?」
名指しで訊かれて、わたしは四人を代表して口を開いた。
「あの、今……しゅうと、って言いました?」
「ええ、言ったけど……」
すると、わたしが次の質問を用意する前に、
「もしかして、大路さん?」
今度は、今ここに来たばかりの坂井さんが声をかけてきたのだった。
わたし達に向かって不思議顔をしていた大路さんは、わたしの後ろにいる坂井さんを見つけると、ぱあっと表情を弾ませた。
「坂井さん…?坂井さん、よね?」
大路さんは、やや自信なさそうに、けれど嬉しそうに返した。
「そうよ、わあ…久しぶり。元気だった?」
「うん、まあまあかな。坂井さんは……、もしかして?」
坂井さんのバッグに付けられたものを見た大路さんは、その顔を覗き込むようにわずかに上体を反らし、顎を引いて訊いた。
「そうなの。色々あったけど、やっとよ。大路さんの息子さんとは二つ違いになるのかな?」
そう言って、自分の腹部を優しく撫でる坂井さん。
わたし達四人は、”大路さんの息子さん” という単語が、さらに気になっていた。
「そうなるのかしら……?あ、とにかく座って?なんだかちょっと顔色も悪いみたいだし」
大路さんは坂井さんの腕を取ると近くの椅子に座らせた。
坂井さんのそばにいた安立さんは、二人のやり取りを黙って見守りつつも、ちらりとわたしや郁弥さんに目で何かを訴えてくる。
そしてそれにつられるようにして、水間さんもわたしの方を見てきた。
”どういうこと?” 二人にそう訊かれたような気がしたので、わたしは ”さあ…?” という思いを込めて首を傾げた。
すると郁弥さんが、
「坂井さん、貧血はもう大丈夫?」
と尋ねた。まるで、それ以上の大路さんと坂井さん、二人だけの会話にストップをかけるように。
その意図は的確に功を奏したようだった。
「え、諏訪さん?…あ、そっか、ここは諏訪さんが入院されてた病院ですよね」
坂井さんは郁弥さんがここにいることに驚いた反応をしたけれど、すぐに自分で納得したようだった。
「私服だとずいぶん印象変わりますね。メガネもはじめて見ました」
社内の人気者の普段とは違う姿に、坂井さんも多少色めいた声色になったものの、そこは既婚者の落ち着きで和やかな会話に舞い戻った。
ちらりとわたしを見て、「和泉さんも一緒なんだ」と笑いかけてくれる。
そんな坂井さんの態度に、郁弥さんは社内での ”無口でクールな諏訪 郁弥” を取り繕うことはしなかった。
「仕事復帰の前に念のため診てもらったんだ。ところで、お二人のお話の腰を折って申し訳ありませんが、大路さんの息子さんは、しゅうとくん、と仰るんですか?」
郁弥さんは坂井さんに告げたあと、わたし達の疑問の核心を言葉にして大路さんに訊いたのだった。
「そうなんですよ」
ごくごくナチュラルに受け答えする大路さんに、次はわたしが尋ねた。
「もしかして、”蹴る” に ”人” で、蹴人くん、ですか?」
冷静に…そう心がけたけれど、どうしても気持ちは逸るばかりで。
そしてわたしの問いに、郁弥さんも、安立さんや水間さんも、じっと眼差しを強めたような気がした。
それが単なる好奇心なのか、それとも何かを期待してなのかは分からないけれど。
大路さんは、あら?と眉を上げたと同時に答えた。
「そんな話までみゆきさんにしてたかしら?」
気分を害したようではなかったけれど、自分の記憶にないことを訊かれて、眉間には訝しそうなシワができている。
「いえ、それは……」
大路さんの息子さんが、あの蹴人くんなのだろうか?
本当に、大路さんが蹴人くんの母親なのだろうか?
いや、珍しい字ではあるけれど、絶対に誰かとかぶらない名前でもない……ような気がしないような、そんな感じもあるかもしれなくて、わたしは著しく答えに窮した。
けれど、別にわたしへの助け舟のつもりではないのだろうけど、坂井さんの楽しげな声に、大路さんの眉間はもとに戻ったのだった。
「わあ、男の子だったらサッカー関連の名前にしたいって言ってたの、実行したのね」
「そうなのよ。主人がそこはどうしても譲らなくて。あ、でも他にも理由があってね、お腹の中にいるときに、とにかく私のお腹を蹴りまくる子だったのよ。4Dエコーでも凄くって。先生が『この子はよくキックする子やなあ』ってびっくりするくらいだったの」
「それで、蹴る人、なのね」
「そうなったのよ」
母親どうしの微笑ましい風景が展開していくけれど、大路さんの説明を聞いて、もうわたし達には確信の種がまかれたようだった。
「あら、もしかしてあなた、関西の方なのかしら?」
どの切り口から大路さんに当たろうかと迷っているうちに、年の功なのか、水間さんが平然と、そしてゆったりとした口調で口火を切った。
「あ、やっぱり分かりますよね」
大路さんは少々照れたように肩をすくめてみせた。
「外では出ないように注意してるんですけど、主人も大阪出身なので、主人と話したあとはどうしても関西弁が出るときがあるんですよね」
――――――『お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはみんな大阪におるよ』
あの朝の蹴人くんの可愛い笑顔を思い浮かべていたのは、きっとわたしだけじゃないはずだ。
ダメ押しとばかりに確かな情報を得たわたしは、意を決して、大路さんを正面に捉えた。
「あの、大路さん……?」
「なあに?」
「実は、あの、こんなことお話しして、変に思われるかもしれませんけど、あの、わたし……、いえ、わたし達、その………蹴人くんと、会ったことがあるんです」
あの不思議な男の子が、まさか現実に存在する男の子だとは、到底信じられなかった。
信じられない気持ちだったけれど、ここまで条件が重なったものを否定することもできない。
恐る恐る打ち明けたわたしに、大路さんはぽかんと口を開けて、この人は何を言ってるんだろう?とでもいうような、呆気にとられたような表情をしていた。
それは、決して驚いた顔ではなくて、わたしはそのリアクションをどう受け取ればいいのかわからなかった。
するとわたしのすぐ隣にいた郁弥さんが、「失礼ですが、」と大路さんに話しかけた。
「息子さんのお歳をうかがってもよろしいですか?」
大路さんの反応が思っていたのと違ったのは郁弥さんも同じだったようで、どことなく控えめに訊いた。
そしてその質問に、大路さんはぽかんとしていた表情をやめて、唇を一度だけキュッと強くしぼった。
やがて口を開いた大路さんの答えに、わたし達全員が、言葉を失ってしまったのだった。
「もうすぐ三歳になります………………………生きていたら」




