みんなの願いごと(2)
わたし達三人が諏訪さんについてああだこうだと話しているうちに、もう噂の当人の姿は見えなくなっていて、残ったのは、”不服” という表情を一切隠さない蹴人くんだった。
「あーあ、お兄ちゃんのお願いも教えてほしかったのにぃ…」
プウッと頬っぺたを膨らませる蹴人くんはやはり可愛らしい。
そんな蹴人くんに、女性が、ふわりと話しかけた。
「ねえ蹴人くん。じゃあ、私のお願いごとを叶えてくれるかしら?」
それを聞いた蹴人くんは膨らんだ頬っぺたをへこませると、一瞬で笑顔に変わってしまった。
そういう単純で素直なところが、子供らしくて、母性をくすぐられそうだ。
「うん!いいよ!じゃあ、誰のことお願いする?」
「そうねえ…自分以外といったら、やっぱり娘のことかしら」
「ムスメって、女の子の子供のことやんな?」
「そうよ?子供といっても、もう大人なんだけどね、娘がいるの」
「わかった!じゃあ、その人の何をお願いする?」
嬉々として尋ねた蹴人くんに対して、女性はかすかに顔色を曇らせた。
「実はね、私の娘が仕事で悩んでるみたいなの」
「仕事?」
「そう。もう結構長いこと働いてるから、…なんて言えば分かるかしら、責任、て言葉は知ってるかな?」
「うん、分かるよ!」
「あら、お利口さんね。それでね、娘が、その ”責任” ある仕事を任されるようになってから、いろいろと大変みたいなの。だからね、その大変さが、少しでも減りますように……ていうのが、わたしのお願いごとかしら」
はじめは表情が曇っていたものの、最後の女性の言葉は、母親らしい、包み込むような温度に変わっていた。
そのお願いごとは、娘さんのことを心配する親心に思えたけれど、願いが叶ったかどうかを、○か×か、イエスかノーかで判定できないというところは、女性の、大人らしい気遣いにも思えた。
蹴人くんのメルヘンなお礼に水を差さないように……
すると、蹴人くんは大きく頷いた。
「うん、分かった。そのお願いかなえてあげるよ!それじゃ、次…お兄ちゃんはどうする?」
そう言って、クルッと体ごと男性に向いてしまう蹴人くんに、女性が「あら、」と声をかける。
「もういいの?おまじないとかしないのかしら?」
女性は拍子抜けしたとばかりに、蹴人くんに尋ねた。
確かに、『お願いごとをかなえてあげる』と言ったわりには、蹴人くんの反応は呆気なくも感じられた。
けれど蹴人くんこそ、不思議そうに目をぱちくりさせた。
「え?おまじない……?せぇへんよ?だってぼく魔法使いちゃうもん」
顔だけを女性に戻して驚いたように答えた蹴人くん。
「まあ、そうなの?」
「それじゃ、いったいどうやって願いを叶えてくれるんだい?」
今度は男性が興味深そうに蹴人くんに訊いた。
「それはヒミツや」
くしゃっと目が極端に細くなる笑い顔をして、蹴人くんは人差し指を唇に当てた。
それは、今までの子供らしい純粋で無邪気な笑い方とどこかが違うような気がしたけれど、蹴人くんはすぐに目を開くと、「ほんで、お兄ちゃんのお願いは?」と男性を促した。
「そうだな、僕は……。あ、知り合いの女の人に、赤ちゃんができますように…かな」
「ふうん。その人、赤ちゃんが欲しいの?」
「そうなんだ。ずっと不妊治療…って分からないよね。赤ちゃんが来てくれるように、病院に通ってたんだけどね、一度は赤ちゃん来てくれたのに、流産っていって、お母さんのお腹の中にいるうちに空にかえってしまったんだよ。だから、その人のところにまた赤ちゃんが来てくれたらいいなと思ったんだ」
男性の願いは、その人の悲しみを癒したいという、優しい願いごとだった。
「そうなんや。うん、分かった。任せとき」
少しの重たさを孕んだ願いごとだったけれど、蹴人くんも子供なりにちゃんと受け止めたようだった。
すると、
「失礼だったらごめんなさい。それは…もしかして、奥さまのことかしら?」
隣から、女性が遠慮ぎみに尋ねた。
それはわたしも一瞬頭を掠めたことだった。
けれどそんなこと訊いてプライバシー侵害にならないか、個人情報にならないのか、なにより、男性が嫌な気にならないか、そんなことを考えて躊躇してしまったのだ。
男性は、静かに首を振った。
「いいえ。僕はまだ独身ですから……」
一瞬、ぎこちない空気が流れかけるも、女性がすかさず、
「あらそうでしたの?デリケートなことを伺ってごめんなさいね」
さっぱりした大らかな口調でその場を包んだ。
男性も気にした様子はなく、「いえ、大丈夫ですよ」と応じていて、ぎこちなさを感じたのはわたし一人だけだったのかもしれないと思った。
最近はちょっと奥まった質問をすると、例えそれが会話の流れ的に不自然でなくても、やれセクハラだとか個人情報だとか言われてしまうから、わたしみたいに考えすぎてしまう性格のネガティブ人間には、言葉でコミュニケーションを取るのが精神的な重労働になっている。
わたしは、パッと見、あまり深く考えずに会話を展開させていそうな目の前の二人を、少しだけ羨ましく感じた。
「じゃあ次!お姉ちゃんは?」
わたしが男性と女性の会話に入っていけずにいると、まるでその二人の会話を終えさせるように、蹴人くんがわたしを指さした。
それにつられて、男性と女性もわたしを見る。
けれどわたしは、
「わたし…?わたし、は……」
咄嗟には、言葉が出てこなかった。