告白(2)
「諏訪さんっ!諏訪さん!目を開けてください!見えますか?わたし、和泉です!」
わたしは勢いつけて立ち上がり、諏訪さんの肩を叩いて、片方の手はナースコールのボタンを連打する。
一度でじゅうぶんと理解していても、そんなの全然足りない。
指がつってもおかしくないほどの速さで刻んで、でも全然足りないのだ。
はやく、はやく………
《―――――はい、どうされました?》
「諏訪さんが目を覚ましそうなんです!はやく来てください!」
《え?わ、分かりましたすぐ行きます》
ナースコールに出たのはどうやら水間さんだったみたいだけど、そんなことはどうでもよくて、わたしは一心不乱に諏訪さん諏訪さんと呼び続けた。
「諏訪さん、分かりますか?諏訪さん!しっかりしてください!」
顔を近付け、諏訪さんにどんな些細な変化があっても絶対に見逃さないように、瞬きもせず、諏訪さんに話しかける。
「諏訪さん、ここ病院ですよ。聞こえますか?目を開けてください、諏訪さん!」
すると、わずかに瞼が揺れた……ように、見えた、気がした。
「……諏訪さん?」
わたしは諏訪さんに触れていた手を離し、確かめるような問いかけに変えた。
「っ……」
今度は確かに唇が動くのを見た。
「諏訪さん!」
わたしの呼び掛けに、諏訪さんの瞼が一瞬開いて、また閉じて…………
そして、
眩しそうに目を細めつつも、諏訪さんは、確かに、目を覚ました。
「諏訪さん……」
わたしは胸が張り裂けそうでたまらなくて、まるで今の今まで叫んでいた声を奪われたように、掠れた囁きを絞り出すのがやっとだった。
けれどそんな小さな囁きさえも察知してくれる諏訪さんは、ゆっくりと首を動かし、
「和泉さん……」
わたしを見つけて、ホッとしたように笑った。
もう、もうそれだけで嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて、わたしは完全に言葉を失ってしまった。
ああ、諏訪さんだ…………
そう思った瞬間、思わず涙ぐんでしまったけれど、今ここで泣いたりしたら、目覚めたばかりの諏訪さんを混乱させてしまうかもしれない。
わたしは懸命に堪えた。
「和泉さんがここにいるということは、あれは夢じゃなかったのか……」
諏訪さんはまだスムーズに動かせない腕をかすかに震わせながら持ち上げて、わたしに伸ばしてくる。
わたしはそれを両手で受け止めて、指先から包み込んだ。
さっきと同じ手なのに、さっきよりも温かく感じるのは、気のせいじゃないだろう。
これが、本物の諏訪さんのぬくもりなのだ。
「和泉さんが、オレに、好きだと、言ってくれてた」
途切れ途切れになりながらも、諏訪さんは、自分の頭に反芻させるように言った。
その仕草は、質問や確認といったものではなくて、記憶の呼び返しのような作業に感じられた。
「それ、は………」
わたしは、あれほど諏訪さんに目を覚ましてもらいたかったはずなのに、その諏訪さんから思わず目を逸らしてしまう。
わたしの声が、眠っている諏訪さんにまで本当に届いていたことに、急激に恥ずかしさが込み上げてきたのだ。
けれど諏訪さんは、俯いたわたしの手を握り返してくる。
ぎゅっと、けれど優しく。
”逃げないで” と制するように。
それから、ほんのひと呼吸置いて、
「オレも、好きだ………」
短い、呟きのような告白が、ふわりと、ベッドから降ってきたのだった。
まるで羽根のようにやわらかに舞っておちてきた言葉を、わたしはうまくキャッチすることができなくて。
それは、指の隙間からすり抜けていくようで。
「………え?」
反射的に顔を戻したわたしだったけれど、諏訪さんはさらに微笑んでくる。
………聞き間違い、だろうか。
わたしは訳も分からず、呆然と、その端正な微笑みを凝視した。
二人だけの病室で、会話を妨げるものはなにもないはずなのに、わたしは諏訪さんのごく短い言葉を、ちゃんと理解できなかったのだ。
―――――今、何て言ったんですか?
穏やかな表情を見せる諏訪さんにそう訊こうとした、そのとき、
「諏訪さんの意識が戻ったんですか?!」
水間さんや担当医達が、バタバタと病室に飛び込んできた。
驚いたように目を大きく開く諏訪さん。
それはあまり見たことのない表情で、印象的だった。
けれど一気に人が増えて、とても会話を続けられるような状況ではなくて、わたしはサッと椅子から立ち上がると、邪魔にならないよう部屋の隅に移るしかできなかった。
二人だけの時間は、あっという間に、曖昧に、終了となったのだった。
「諏訪さん、分かりますか?」
医師がモニターを目視しながらテキパキと諏訪さんを診察していく。
諏訪さんも戸惑いながらではあるけれど、質問されたことにはしっかり応答していった。
そのスムーズな様子を見た医師や看護師からは、部屋に入ってきたときの緊張感が抜けていくようだった。
彼らからは明らかに安堵の色がうかがえて、わたしの方は、そんな彼らの反応に安堵した。
意識が戻ったとしても、後遺症のようなものがあるかもしれないと危惧していたからだ。
けれど今の諏訪さんからはそんな気配はない。
もちろん、このあとも検査は必要だろうし、楽観視してはいけないのだろうけど、ひとまずは喜んでいいように思えたのだ。
だとすると…………さっきの一言は、きっと目が覚めたばかりで、諏訪さんの頭が混乱していたのだろう。
壁際に立ちながら一人でそう解釈していると、手が空いた水間さんが、「ご家族にご連絡は?」と尋ねてきた。
「あ!まだです」
そうだ、ご家族にも会社にも連絡しなくては。
みんなすごく心配していたもの。一秒だって早く、諏訪さんの無事を知りたいはず。
そばにいられないご両親や、会社からも任されていたんだから、しっかりしなくちゃ。
わたしは、諏訪さんの意識が戻ったことで頭がいっぱいになっていてそこまで気がまわらなかった自分を、内心で思いっきり責めたてた。
わたしと諏訪さんはただ同じ会社で働いてるだけの関係なのだから。
わたしよりももっと諏訪さんを心配してる人達がいるのだから…と。
「うん。この様子なら、意識が戻ったと連絡しても問題はなさそうです。緊急連絡先は?」
医師の問いに、水間さんじゃない看護師が書類を捲る。
「ご実家のご両親と、会社の同僚の方になってます」
「ではお二方と警察にはこちらから連絡してください。その他の方々で諏訪さんの容体の説明が必要な場合は、お手数ですがお願いできますか」
わたしに説明する医師の肩越しに、諏訪さんと目が合った。
自分の置かれている状況が確認できたのなら、目覚めたことに喜んだりホッとしたりしそうなのに、なぜだか諏訪さんは、ちょっと残念そうに眉を寄せていた。
そんな表情ひとつにも、わたしは心臓が破けそうにドキリとしてしまい、同時に、さっきの諏訪さんの言葉を手繰り寄せてしまいそうになって、慌てて思考の舵を切った。
「わ、わかりました。それじゃ連絡してきますので、少し出てきます」
ここで電話をかけると、診察の邪魔になってしまうかもしれない。
わたしは水間さんや医師に口早に告げてから、携帯電話だけを持って、急いで部屋を出た。
すると廊下には、医師らの慌ただしさに何かあったのかと人がちらほら集まっていて、その中には大路さんの姿もあった。
「みゆきさん!何かあったの?大丈夫?」
慌ただしさの理由が分からない大路さんが、こちらを慮るように声をかけてくる。
「大丈夫です。諏訪さんが目を覚まして…あの、わたし連絡しなくちゃいけないんで、失礼します」
「そうなの?!ごめんなさい、忙しいときに声かけたりして。行ってらっしゃい」
大路さんはそう言って手を振ったあと、
「あ、みゆきさん!」
もう一度わたしを呼び止めた。
電話しても迷惑にならない場所に急ぎかけていたわたしは、顔だけを振り向かせた。
「よかったわね!」
満面の笑顔で、大路さんは言ってくれて。
だからわたしも、
「ありがとうございます!」
喜びを隠しもしないで、そう答えたのだった。




