告白までの距離
蹴人くんはあれ以来、一度も姿を現さなかった。
それが日常ではあるのだけど、考えすぎる性格上、蹴人くんから音沙汰がないのは何か良くない理由があるんじゃないか……なんて、答えあわせをしようもない想像で落ち込んだりしていた。
それでも、毎晩諏訪さんの病室を訪れて、一言も発しない諏訪さんと会うたびに、今のこの状況よりはきっとマシになるはずだと、わたしにしては珍しいプラス思考が支えてくれるのだった。
諏訪さんの事故以来、わたしの中で、確かに何かが変化していると感じていた。
きっかけが諏訪さんの事故でなければ、それは喜ばしいものだったのだろうけど、諏訪さんが目を覚まさなければ、わたしがそれを喜ぶことは、一生ない。
だから早く、目を覚ましてほしい。
そう願いながら、わたしは今日も日課となっている諏訪さんのお見舞いに向かっていた。
今日は土曜なので、わたしは早めに昼食をとって家を出ていた。
もしかしたら会社の人達が諏訪さんのお見舞いに来てるかもしれないけど、もしそうなら大路さんの部屋に行ってみようかな…そう思ったわたしは、駅前のフラワーショップでガーベラだけで小振りの花束を作ってもらい、通い慣れた道を急いだのだった。
「こんにちは」
「あら和泉さん。お疲れさまです。今日はずいぶん早いんですね…って、今日は土曜だったわね」
水間さんを見かけて挨拶すると、意外そうな顔をして、それからすぐに自分に突っ込みを入れた。
今日も周りを和ませる明るさは健在だ。
「看護師さんは曜日関係なくお仕事ですものね」
「そうなんですよ。それでなくても役職が変わったばかりで色々覚えることも増えちゃって、平日も週末もそのことで頭がいっぱいで……」
水間さんはフルフルと小さく頭を振ってみせた。
病棟内のことはよく知らないけれど、時折、水間さんが他の看護師に指示をしたり注意したりしてるところを見かけていたので、それなりのポジションにいる人なのだろうなとは思っていた。
「わたしも仕事が詰まってると、曜日感覚がなくなります」
わたしみたいな下っ端と比べるのは失礼かもしれないけど、さりげなく同意を示してみると、水間さんは「そうですよね」と頷いていた。
「ところで、今どなたかいらっしゃってますか?」
話題が一区切りついたところで、諏訪さんの病室の様子を尋ねた。
「今日はどなたもいらしてませんよ。だから諏訪さん、今か今かと和泉さんを待ってるんじゃないかしら」
水間さんはわたしと諏訪さんの関係を勘違いしていて、何度も訂正してるのに、『へぇ、そうなんですか?』なんて言って、流されてしまうのだ。
だから仕方なく、
「諏訪さんはわたしなんか待ってないと思いますよ?」
適当にかわして苦笑いを浮かべた。
ところが水間さんは「あら、そんなことないですよ」と即座に否定したのだ。
「意識不明の患者さんでも、ちゃんと心はあるんですよ?周りの声だって聞こえてるかもしれませんし。それに、和泉さんは、こんなに毎日看病に通われてるんです、『わたしなんか』なんて、”なんか” 呼ばわりしないでください」
なんだか妙に熱く反論されてしまい、わたしは少々たじろいだ。
けれど、
「あ……、いやだ、私ってば、なんだか熱くなっちゃって、すみません」
わたしの戸惑いに気付いた水間さんは、済まなさそうに、恥ずかしそうに肩をすくめてみせた。
「いえ……」
「でも実際、患者さんに回復の兆しが見られない場合は、徐々にお見舞いも減っていくんですよね。ご家族も離れて住んでらっしゃると色々お忙しいでしょうし……。だから、こうやって和泉さんみたいに毎日通ってくださるのは、近くに住まわれてるご家族か、恋人の方が多いんですよ?」
言いながら、含みのある笑みをわたしに向けてくる。
そういうことなら、水間さんがわたしと諏訪さんの関係を誤解してしまうのも、経験上仕方ないのかもしれないと納得する一方で、わたしは、それでもわたし達の関係はそんなのじゃないのに…と、浅香さんに申し訳ない気持ちも浮かんできた。
浅香さんは仕事が忙しいみたいで、ここに立ち寄る時間もなかなか取れないと言っていた。
婚約者がそんなことだから、わたしなんかが諏訪さんの恋人に間違えられたりするのだ。
わたしはただ、会社から様子を見てくるように言われているだけなのに……
つい、”なんか” 呼ばわりしてしまう自分に、相変わらずのネガティブ性格の片鱗を見つけたけれど、今は、それもどうでもいいことのように思えた。
「でもわたしは、本当に、ただ同じ会社で働いてるだけなんですよ」
浅香さんという婚約者の存在を、わたしが勝手に話してしまっていいとも思えないし、ここは、ただ、諏訪さんとの関係を否定するに終始した。
水間さんは、はいはい、といった感じに流してしまうけれど。
「そんな可愛いお花をわざわざ持ってきてるのに…」
フフフ、と、わたしが持っているガーベラの花束に意味深な視線を流す水間さん。
「違いますよ、これは大路さんのお見舞いです」
わたしは慌てて首を振った。
「あら、大路さんとお知り合いだったんですか?」
「いえ、先日手洗い場で話しかけられて…」
「なるほど、フランクな大路さんならあり得そうな話ですね。……そういえば、大路さんのお部屋に、茎を短く切ったそれと同じお花がありましたよ。コップの中で浮かんでて、蓮の花みたいで可愛かったので覚えてます。大路さんの好きな花なんですね」
「コップの中に……」
大路さんはわたしとの約束通り、あの茎の短くなった2本のガーベラを、ちゃんと世話してくれてるのだ。
わたしが諦めて花瓶から抜いた2本だったのに。
そんな風に大路さんが大切にしてくれてることを意外なところから知り、わたしは素直に嬉しいと思った。
「患者さんのこと、よく見てらっしゃるんですね。さすが看護師さんですね」
わたしが感心すると、水間さんも嬉しそうに、頬に右手を添えて笑った。
「あらやだ。そんな風に正面から言ってもらうことなんて滅多にないから、ちょっと照れちゃいますね」
言葉の通り、恥ずかしそうな表情を見せながら、水間さんは右の頬っぺたをフニフニとつまんでいた。
照れ隠しの仕草なのだろうか。
わたしもクスクス笑いながら、「なにしてるんですか」と会話を弾ませる。
けれど、そのあとの水間さんの返事に、笑顔が固まってしまったのだった。
「これですか?これは、何かいいことがあった時に、そのしわ寄せで悪いことが起こらないようにするための、ちょっとした厄払いみたいなものです」
―――――――え?
「ほら、予想外にいいことがあったりすると、ちょっと怖くなったりしません?引き替えに何かよくないことが起こるんじゃないか…って。ゴルフでホールインワンした時も似たような考え方がありますよね。……ん?厄払いでも、あっちは皆にご祝儀を出すわけだから、ちょっと違うのかしら?」
驚きのあまりに言葉をなくしたわたしに、水間さんは分かりやすく説明してくれたが、わたしは、それをちゃんと聞いている感覚がほとんどなかった。




