わたしの願いごと(6)
「蹴人くん?」
渾身の力で振り向いたわたしは、もう逃がさないとばかりに蹴人くんの手を握った。
「わ、どしたん?急に。ぼくになにか用事あったんやろ?」
蹴人くんはもう一脚のソファの肘掛けに浅く座り、お決まりのように足をブラブラとさせている。
わたしは蹴人くんの両手を握ったまま、その場に屈んだ。そして蹴人くんを見上げる。
この賢くて小さな男の子は、わたしが呼び出した理由をもう悟っているのだろうか。
でも、純粋な瞳で、きょとんとわたしを見下ろす蹴人くんを、わたしはもうただの子供だとは思えなかったのだ。
「蹴人くん、わたしのお願いごと、かなえてくれる?」
「え、お願い決まったん?」
蹴人くんはちょっと驚いたように言って、わたしの後ろにあるベッドの方をちらと見た。
「うん、決まったよ」
「……わかった。ええよ」
「わたしの心の真ん中にいる人が、幸せになりますように」
間髪入れず、きっぱりと、まっすぐに、わたしは蹴人くんに告げた。
すると蹴人くんはさっきみたいに驚いた反応は示さず、わたしとつながっている手をピクリと動かした。
そして、まるで大人がするような仕草で、ハァ…とため息を吐いた。
「お姉ちゃんの心の真ん中にいる人の幸せか……。そうやんなぁ、お姉ちゃんの大切な人って言うたら、あのお兄ちゃんしかおらんもんなぁ………」
「うん。ダメかな?」
「せやなぁ……、自分の子供とか、自分が世話になった人とか、そんな感じで自分にとって大切な人って、人それぞれやし、時間が経てば変わっていくこともあるんやろうけど、お姉ちゃんの場合は、ずっとあのお兄ちゃんなんやな……」
蹴人くんはそう言うと、うーん、と悩むように目を閉じた。
直接諏訪さんの意識を戻すような、”人の命に関係すること” のお願いはかなえられないと断られたが、”幸せになりますように” その願いは聞き入れてもらえるということを知っていたから。
だって諏訪さんも、”大切に想ってる人が幸せになりますように” とお願いしたのだと、そう教えてくれたのは蹴人くんだったもの。
若干、卑怯な手段のようにも思える。
小さな子供を騙すような感じもゼロではないが、やっぱりわたしは、蹴人くんをただの子供だとは思えないし、なによりも、諏訪さんを助けたいのだ。絶対に。
だからどんな手段も選ばないし、卑怯だと思われても構わない。
少し前までは、蹴人くんの『お願いごとかなえてあげる』という発言も本気で取り合っていなかったのに、今のわたしは、まるで神様仏様にお祈りするような心持ちだった。
どれくらい蹴人くんは考えていただろう。
数秒にも、それより長くにも感じた。
やがて、意を決したように口を開いた蹴人くん。
「……わかった」
「え?」
「いっぺん、やってみるわ。”お姉ちゃんの大切な人が幸せになること” やんな?今の状態でできるかわからへんけど、お姉ちゃんの大切な人の幸せ、頑張ってみるわ!」
「本当?本当に?」
「うん。でも時間かかるかもしれへんよ?」
「そんなの全然構わない!」
わたしは蹴人くんとつないでいる手にぎゅうっと力を加えた。
「痛い、痛いってお姉ちゃん」
「あ、ごめんね…」
慌ててパッと手を離したけれど、そのほんのわずかに目を逸らした隙に、蹴人くんは消えていた。
――――――――ちょっと待っててな―――――――――――
空中に溶け込むような、かすかな声を置き土産にして。
わたしはすぐに諏訪さんの容体を確認しにベッドに駆け寄った。
けれど諏訪さんはさっきまでと何も変わらないように見えて。
蹴人くんが言った、時間がかかるというのが、いったいどれくらいになるのかは分からないけれど、わたしは、とにかく、かすかな希望と大きな味方を得られたような気がして、それから、根拠のない安堵感を手に入れたように思えたのだった。




