わたしの願いごと(2)
わたしは、さっき病院に来る前に会ったばかりの、この小さな男の子との再会をどう受け取ったらいいのか、とても戸惑ってしまった。
「お姉ちゃん、大丈夫?さっきまでここに別のお姉ちゃんがおったんやけどな、電話がかかってきて出ていってん。他の人らは、オレンジジュースのお兄ちゃんのとこにおるよ」
わたしの知りたかった情報を容易く説明してくれた蹴人くんは、ベッド脇にあった回転椅子に飛び乗り、くるくるとコミカルに回ってみせる。
あまりの無邪気な様に、わたしは一瞬、蹴人くんは諏訪さんの状況を知らないのかと怪しんだ。
けれどすぐ、
この不思議な男の子が知らないはずない、さっきも ”オレンジジュースのお兄ちゃん” と言ってたもの……と思い直した。
それと同時に、蹴人くんにまだ ”お願い” を伝えてなかったことを思い出したのだった。
何度も何度も『お願いごとは決まった?』と訊かれ続けていて、わたしはその度に答えられずにいたけれど、今は、何よりも願いたいことができたのだから。
「蹴人くん!」
ベッドから勢いよく降り、椅子で遊んでいる蹴人くんをガシッと捕らえた。
蹴人くんは不思議そうに「どうしたん?」とわたしを見つめてくる。
「お願いごと、決まったよ。聞いてくれる?」
「ほんま?よかったやん、決まって」
必死なテンションのわたしとは対照的に、蹴人くんはほんわかと笑った。
「じゃ、お姉ちゃんのお願い教えてくれる?」
椅子に座ったまま背筋をピンと伸ばした蹴人くん。
わたしは膝をついて、蹴人くんの肩を掴んで、
「諏訪さんを助けて!」
大声で縋ったのだった。
わたしの心の真ん中にいるのは、諏訪さんだもの。
その諏訪さんに関することなんだから、蹴人くんだって聞き入れてくれるはず。
そう思ったのに…………
「それはあかんねん」
蹴人くんは、わたしの願いをあっけなく跳ね返したのだった。
「あかん?どうして?わたしの大切に思ってる人のことならいいんでしょ?だったら問題ないじゃない。わたしの心の中にいる人は諏訪さんだよ?蹴人くんにだって分かってるでしょ?わたしはまだ諏訪さんが好きなんだもの。なのにどうしてダメなの?」
大人げなく、蹴人くんの細い肩を強く揺さぶってしまう。
「ねえ、蹴人くん!」
さらに大きく叫ぶと、蹴人くんは眉を曲げて唇をすぼめた。
「あかんねん……。人の命に関係することは、かなえてあげられへんねん……」
「どういうこと?」
「せやから、ぼくには、人の命を蘇らせたり、悪い病気を治したりするのはできひんねん」
「そんな……、そんなルールがあるの?どうして?!」
意味が分からないとばかりに、わたしは蹴人くんに食ってかかった。
すると蹴人くんはいつもの大人びた反応ではなく、今にも泣きそうな、年齢相応の表情を見せて。
「ぼくかて、オレンジジュースのお兄ちゃん助けてあげたいよ?でも、できひんねんもん………ごめんなぁ」
心から申し訳なさそうに言った蹴人くんに、わたしはそれ以上何かを求めることはできなかった。
するりと、蹴人くんの肩を掴んでいた手から力が抜けていく。
………そもそも、こんな小さな子供に何を期待したっていうのだろう。
この子は神様でもなんでもないんだから。ただちょっと大人びている子で、ちょっと不思議なところがあるだけで………
それでも、万が一でも、例えあり得ない話でもメルヘンな話でも、そこに可能性があるかもしれないなら、縋りたかったのだ。
諏訪さんを助けて、と。
「ごめんな、お姉ちゃん……」
しゅん、として謝ってくる蹴人くん。
わたしは我に返ったというか、多少の冷静さを取り戻し、静かに「ううん…」と答えた。
「蹴人くんが謝ることないよ。……でも、諏訪さんは………」
いつ意識が戻るのかも分からない。目を覚ますのか、ずっと眠ったままなのか、それを知る術もない現状に、わたしは、この世界にある不幸せを集結させたような、途方もない闇を見ていた。
そろり、と立ち上がりながらも、頭はやはり諏訪さんばかりで。
意識がない今の諏訪さんは、どういう状態なんだろう?
わたしは近くにあったもう一脚の椅子に力なく座り、「諏訪さん……」無意識にそう呟いていた。
「……お姉ちゃん、ほんまにあのお兄ちゃんのこと好きなんやな」
ただ名前をこぼしただけなのに、蹴人くんは感嘆するように言った。
今のどこにそんな要素があったのかは不明だけど、わたしは特に考えることなく、
「そうだね。大好きだよ」
脱力したまま、素直に認めていた。
声に出してみれば、さらにその想いが湧き上がってくるようだ。
――――本当に、こんなに好きになってるとは思わなかった。
浅香さんとの結婚を聞いて、自分なりに気持ちの整理をしなければと思っていたはずなのに、諏訪さんがこうなって、ショックで気を失ってしまうほど、好きが増えていたなんて。
………知らない間に育っていた気持ちに気付いたところで、どうしようもないのに。
途方に暮れるわたしを気遣ってくれたのか、蹴人くんはそれ以上は何も語らず、ただそばに、この時間を分かち合うだけのように静かに、わたしの隣にいてくれたのだった…………




