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手遅れ(6)






1階は外来の受付や診察室、処置室になっているようで、この時間は照明も落とされ、常夜灯を補う程度の明かりが点けられているだけだ。

けれど、よく映画やドラマに出てくる ”夜の病院” という印象よりはやや明るくて、ちょっとホッとした。


しばらく歩くと、左側に広い幅の階段が見えた。


「この奥にエレベーターもありますけど、ワンフロアなので階段で上がった方が早いと思います」


半身だけ振り向きながら説明した看護師は、「みなさんお若いから平気ですよね」と笑いながら続けた。

それは不謹慎な印象はなく、無意識に顔を強ばらせていたわたし達の緊張を緩和させる意図があったに違いない。


その効果はささやかだったかもしれないけれど、少なくともわたしには、一瞬、唇に笑みを乗せられるほどには、影響があったように思えた。



2階への階段をのぼりきると、そこは1階とは違って日常的な明るさがあった。

まだそこまで遅い時刻でもないから、きっと消灯前なのだろう。

階段のすぐ目の前が2階の受付になっていて、大きな案内図には、右向きの矢印に 

”手術室” 

”ICU HCU”

と記されていた。

ICUは知っているが、HCUなんて聞いたことなくて、ここは、わたしの知識ではまかなえない場所なんだと肌で感じた。


看護師は受付にいた看護師に対して短く「ICUです」と伝えて、右に進んだ。すぐに行き当たりになり、今度は左右の矢印があった。

右側には ”手術室” 左側には ”ICU HCU” とあり、ICU側に折れると、正面にガラス張りの自動扉があった。


医療もののドラマでよく見かける光景に、わたしはギクリとした。

ハッキリとした ”不安” がまとわりついてきたせいだ。


看護師はまっすぐ自動扉の中に入っていき、さらにICUと表示された二つ目の自動扉を開いた。

そこには、いくつものデスクやパソコン、医療機器などがあり、だだっ広いナースステーションのようだった。そしてそこから一目で見渡せるよう、透明ガラス張りの壁と扉が一面に広がっていた。



ICUというと、スタッフがバタバタと忙しなくしているイメージだったけれど、ここは静謐に包まれていて、ピ、ピ、ピ……といった機械音のようなものがいくつか響いていた。

ふと、パソコンを見ていた女性看護師がわたし達に気付き、小さく会釈した。

わたし達はバラバラに頭を下げて、その前を通り過ぎた。


「こちらです」


案内役の看護師に従ってついていく。


そして、ガラス窓の向こうにいる諏訪さんの姿を、わたし達は見ることになったのだった。



交通事故と聞いていたから、骨折ほど酷くなくとも、てっきり頭や腕なんかは包帯で巻かれていると勝手に想像していたのだが、そこにいる諏訪さんは、ただ寝ているようだった。

もちろん、点滴や、測定機器のコードなんかが色々つけられてはいるが、それ以外は、ただ目を閉じて横たわっているだけにしか見えなかったのだ。


頬も血色よく、苦痛に歪んでいる表情でもなくて。


「諏訪さん…」


唇からこぼれ落ちる呼びかけは、本当に無意識のものだった。


諏訪さんの寝顔なんて見たこともないけれど、その整った顔立ちは相変わらずだ。


「諏訪くん、顔色はいいわね」


浅香さんがわたしと同じ感想を口にした。


「うん。傷ひとつない」


戸倉さんが短く返す。


「………」


白河さんは、何も言わずにじっと諏訪さんを見ていた。


すると、ガラス窓の向こう、病室の中にいた医師と看護師がこちらに近付いてきて、ここと病室を隔てる扉を開いた。この扉は手動だった。


「こんばんは。諏訪さんのお知り合いですか?」


医師は穏やかな口調で尋ねてきた。その柔らかさは、およそICU集中治療室という場所とは似合わない雰囲気だった。


「会社の同僚です。それで、諏訪は?」


戸倉さんが答える。


「意識レベルの低さはお聞きですか?」


「ええ。骨折等はないものの、意識障害が残りそうだと……」


医師はガラス窓の中の諏訪さんに視線を移し、


「検査の結果、それにつながる要因は見つかりませんでした」


穏やかながら、険しい表情をした。


「それじゃ、いつ意識が戻るのかは……」


「分かりません」


医師と同じく厳しい顔つきで訊いた浅香さんに、医師は首を振って即答したのだった。


「そんな……」


白河さんは青ざめて、隣にいる戸倉さんが彼女の背中にそっと手を添えるのが見えた。



わたしは、彼らの姿が、話し声が、スーッと遠ざかっていくようで、まるで映画を観ているかのような感覚に見舞われて、やがて、視界が…………



オフになったのだった―――――――――――





『――――――それなら、あとで、後悔せえへんようにしぃや。ほんまに言われへんようになって、手遅れになってから悔やんでも、どうしようもないねんからな?』





頭のどこかで、蹴人くんの声が響いていた。










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