手遅れ(5)
「意識障害か……」
戸倉さんが、重く呟いた。
普段は朗らかで柔らかい雰囲気だけど、さすがに今ばかりはいくつもの錘が乗りかかったような沈んだ表情をしていた。
「ちょっと厄介だな」
「でも他は異常なさそうなのよ?まだマシな方だったんじゃない?」
「まあまだ詳しいことが分からない以上、何とも言えないけど……。確か、意識障害は1、2カ月で元に戻らない場合、長引くことが多かったはずだから」
「長引くって?」
「数年、いや……10年以上もあり得ない話じゃない」
「10年以上………」
戸倉さんと浅香さんの間に、わたしの呟きが混ざった。
すると浅香さんがこちらを向き、わたしを安心させるように「大丈夫よ」とニコッと微笑んだ。
「諏訪くんって、一見クールで冷静な感じだけど、実は熱いとこがあるのよ。自分の願いに貪欲っていうか、諦めが悪いっていうか……。とにかく、今のこの状況で眠ったまま平然となんかしていられないと思うのよ。だから大丈夫。きっとすぐに意識を取り戻すはずよ」
言いながら、浅香さんはわたしの背中をトントン、と叩いた。
そういう浅香さんの方こそ、婚約者がこんな事態になってさぞかし心配で不安なことだろう。なのにそんな素振りは一切見せず、わたしなんかにまで気を遣ってくれてるのだ。
それにもかかわらず、わたしは、
「……そうだと、いいんですけど……」
前向きに持っていこうとする浅香さんとは逆に、悲観的な空気を孕んだ返事になってしまう。
自分のマイナス思考はじゅうぶん承知しているが、相手から慰められて、しかも信用度の高いプラス要素まで与えられているというのに、まったく浮上できないでいた。
戸倉さんが『厄介だ』と口にしたことから、”意識障害” という症状の怖さを、より感じてしまったのだ。
「大丈夫。ねえ、戸倉くんもそう思うでしょ?諏訪くんがこのままおとなしく眠ってられると思う?」
浅香さんは戸倉さんも巻き込んだ。
戸倉さんはビジネスバッグを持ったまま腕組みして考え込んでいたけれど、「無理だろうね」と浅香さんに頷いた。
「あいつは仕事でもプライベートでも、なかなか執念深いところがあるから、きっと大丈夫だよ。だから二人とも、そんな心配そうな顔しないでいいからね」
わたしと白河さんに向けてそう言った戸倉さんは、会社でよく見かける、人当たりのいい柔らかな笑顔に戻っていた。
そのとき、キュッキュッキュッと急いで歩く音が複数聞こえてきて、わたし達のいる待合所に数人の看護師がやって来た。
わたしは思わず、唇を噛んで、襲ってくる緊張感に備えた。
まもなく、一人の看護師がわたし達に尋ねてきた。
「皆さん、諏訪郁弥さんのご関係者の方々ですか?」
他の看護師は自動扉に吸い込まれていったが、その看護師の目的はわたし達だったらしい。
瞬発的に、わたし達四人全員が、身構えたような気がした。
「ええ、そうです。諏訪の同僚です」
代表で答えたのは戸倉さんだった。
すると看護師はいささか安心したように、
「じゃあちょうどよかったです。患者さんが病室に入られましたので、どなたか手続きの書類を書いていただけますか?ご家族でなくても構いませんので」
テキパキと、言ってきた。
いかにも、仕事ができる、といった印象で、見た目はまだ若そうな感じもするが、その態度にはベテランの風格も滲み出ている。
感じのいい女性だった。
すると、示し合わせることもなく、即座に戸倉さんが手を挙げた。
「では、僕が」
「よろしくお願いします。しばらくしたらこちらから取りに伺いますので」
看護師は戸倉さんにバインダーとペンを渡してから、また尋ねてきた。
「病室は2階の集中治療室になります。窓越しになりますが、患者さんにお会いになりますか?」
「ぜひ」
「もちろんです」
すぐに答えたのは戸倉さんと浅香さんだ。
わたしと白河さんは控えめに頷いているだけだった。
この場面で断って帰る人なんていないだろう。
看護師の方もそれが当然だという認識でいたのか、すぐに手のひらを向けて合図した。
彼女は「それではどうぞ、こちらです」と言うなり、わたし達の先頭を歩いて案内をはじめたのだった。




