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駆け巡らない噂(3)






「戸倉さん、あの…」


「どうした?白河」


「和泉さんが、困ってますよ」


白河さんから見上げられて、戸倉さんは甘く目を細めた。

二人は付き合っているのを隠していないらしいけれど、社内でも人気で女性社員からの熱い注目を浴びている戸倉さんが、こんな風に溺愛の眼差しを簡単に晒して大丈夫なのだろうか?


もともと白河さんは人見知りなのか、周囲と一線を引いて接しているところがあって、そのせいで色々言われているのも耳にしたことがあった。

わたしも考えすぎるネガティブ癖のせいで、人との付き合いに悩むことが多かったから、白河さんとは妙な親近感があったのだ。


けれど、白河さんはちょっと恥ずかしそうにしながらも、素直に戸倉さんの甘い表情を受け取っている。

わたしの心配なんか、よけいなお世話だと言わんばかりに。


わたしは自分の杞憂をしまいこんだものの、隣からは視線を強く感じて、その取扱いに困っていた。


諏訪さんが、わたしを見ている……

それだけで、体が熱を上げていきそうだ。


わたしが本気で反応できずにいると、


「おい、エレベーター内でじゃれつくな」


視線がやわらいだ途端、隣から、低い声が響いたのだった。


すると戸倉さんはくるりと諏訪さんを振り返り、白河さんの肩を抱き寄せた。


「うらやましいだろ。お前もとっとと公にしてしまえばいいのに」


ニッと唇を上げて、挑発的なセリフを諏訪さんにぶつける戸倉さん。

さすがに白河さんは困惑しきりで、居心地悪そうに、戸倉さんの腕を離そうともがいた。

けれど戸倉さんにその意思はなく、エレベーターが営業部のフロアにつくまでそのままだった。


扉が開くと、戸倉さんは大げさに残念そうな顔をつくって、渋々という風にやっと白河さんから体を離した。

そしてわたしには普段と変わらない如才ない態度で「じゃあ和泉さん、お疲れ」と告げたのだ。


「あ…お疲れさまです」


戸倉さんに会釈して返すと、今度は諏訪さんがわたしを向いてきた。


「またね、和泉さん」


クールという評判とは真逆のあたたかい笑顔を見せられて、わたしはうっかり赤面しそうになって。

けれど、


「お…つかれさまです」


どうにか噛まずに伝えられたと思った瞬間に、トン、と、左肩にささやかな衝撃を受けた。


諏訪さんが、わたしの肩を軽く叩いたのだ。


それは、親しい間柄どうしで行うような、まるで、諏訪さんと浅香さんの間で成されるような仕草だった。



「―――っ!」


言葉にならない想いが、一気に駆けあがってくるようだった。

触れられたところが金縛りにでもあったみたいに固まってしまって、諏訪さんの背中が遠くなるのを見送っても、わたしは上手く表情を繕えなかった。


肺の底から競りのぼる呼吸。

もう赤面どころの話じゃなくて。


二人が降りたあと、エレベーターの扉が閉じると、喉で呼吸が詰まったように、わたしは咳き込んでしまった。


「どうしたの急に。大丈夫?」


白河さんが背中をパンパンと叩いてくれたので、とりあえず呼吸の落ち着きは取り戻せたけれど、まだ、冷静には程遠い。


「ごめんごめん。ちょっとむせちゃった」


どうにか答えるのがやっとだった。

諏訪さんへの気持ちは白河さんにも打ち明けていないので、適当な言い訳で誤魔化すしかないのだ。

そして何か話題を変えなくてはと考えを巡らせたとき、


「……あれ?白河さんは営業部戻らないの?」


わたしは再び動き始めるエレベーターに白河さんが残っていることを不思議に思ったのだ。

営業部に戻るなら二人と一緒に降りたはずだから。

そういえば、降りるときに、戸倉さんが白河さんにちょっと目配せしたような気もしたけれど、何か関係しているのだろうか。


「うん。……ちょっと。その、総務に用があって……」


どことなく歯切れが悪い気がして、わたしは「総務に?」と訊き返した。

すると、白河さんはなぜか言いにくそうに、


「引っ越す予定だから、住所変更の手続きに……」


うつむき加減で、そう答えたのだ。










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