駆け巡らない噂
数日後、広報の仕事で外に出ていたわたしは、戻るのが夕方になった。
結局一日がかりになってしまったことに疲労感もあったけれど、充実した仕事内容であったことには達成感もあって、気分的には相殺されていた。
デスクに戻ったら報告書作成と、明日の準備と…ああ、それから、今朝先輩からいただいた出張土産を休憩室の冷蔵庫に入れておいたとメッセージが届いていたから、忘れずに持って帰らないと。報告書にはそんなに時間かからないだろうから、先に休憩室に寄った方がいいかな。
考えすぎる癖も、こんな風に段取りを組むときには役立ってくれるのだ。
デスクに戻る前に休憩室に向かうことにしたわたしは、急ぎ足でエントランスを横切っていた。
そのとき、
「和泉さん?」
背後から、呼び止められたのだ。
急く気持ちを抑えて振り返ると、同期で営業部の白河さんが外回りから戻るところだった。
数多い同期の中で、白河さんは少し周囲と馴染んでない印象があって、ネガティブでいつも考えすぎるあまり人の輪に入りにくいわたしと、なんとなく似てるような気がしていた。
同類相憐れむというわけではないけれど、確かにそれで興味を持ったのは事実だった。
そんなわけで、配属部署は違ったものの、同期の中では比較的言葉を交わす間柄だった。
休日に一緒に出かけたり、用もないのにメッセージを送るような親しさではなかったけれど、最近、白河さんが営業部の上司である戸倉さんと付き合いはじめたときは、噂が広まる前に本人から直接電話で報告をもらったので、白河さんの方も、わたしのことを他の同期よりも親しい位置には感じてくれているのかもしれない。
「お疲れさま。白河さんも外だったんだ」
「うん。もう1件まわって直帰にしようか迷ったんだけど…」
その先を告げずにぼやかした白河さんの少し後ろには、今まさにエントランスに入ってくる白河さんの恋人、戸倉さんの姿があった。
ああ、なるほど。
行こうと思えばもう1件まわれたかもしれないけれど、戸倉さんの帰社に重なりそうだったから、白河さんも戻ってきた…というところかな。
二人が示しあわせたのかは分からない。でも、白河さんは仕事を疎かにしたりしない真面目な人だから、その1件は今日でなくても問題ないものだったのだろう。
「それじゃ、わたしは先に…」
二人の邪魔をしちゃいけないと、白河さんにそう言いかけたとき、後ろにいる戸倉さんに声をかける人物に気がついた。
それは、今日もいつも通り上質なスーツをきっちり着こなし、わたしの気持ちを騒がせてやまない諏訪さんだった。
諏訪さん……
あの応接室以来の諏訪さんに、わたしは咄嗟には動けなかった。
長身で、一見では寡黙のようにも感じるクールな出で立ちは、どこを切り取っても一ミリの狂いもなく、かっこよかった。
やがてわたし達に気づいた諏訪さんと戸倉さんが、さっと手をあげて合図を送ってきた。
白河さんは嬉しそうに笑い返していて。
エレベーターホールの手前で立ち止まったわたし達は、自然と、彼らを待つかたちになる。
諏訪さんと目が合ったわたしは、控えめに頭を下げた。
彼の表情がなんだか優しく微笑んでいるように見えて、なぜだか、チクリと胸に刺さってしまう。
諏訪さんに会えたことは嬉しかったけれど、つられるようにして浅香さんの顔も浮かんできたのだ。
その胸の痛みに、この時点でもう、”いいことのあとには悪いこと” の法則は成立しているようにも思えた。




