表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/90

彼の願いごと





不思議なことに、あれから、諏訪さんと浅香さんの結婚話はどこでも噂されることはなかった。

社内一の有名人の二人だから、誰かが知れば、あっという間に広がるに決まってる。

だからきっと、二人が誰にも知られないよう、慎重に事を進めているのだと思っていた。


二人のことを考えるとき、わたしの心情が落ち着くことはなかったけれど、その心のざわつきも、ほんの少しだけは、慣れてきつつあった。


こんな風に、いつか諏訪さんが結婚してしまったときも、いつの間にか慣れていくのだろうか。

それはそれで寂しいとも感じてしまうのだから、”片想い” というものは、本当に厄介だ。



そんな片恋の矛盾をひしひしと感じていたある日のこと、わたしは、社内でまたあののど飴の男の人と出会った。


昼休みを利用して部内の書類を運んでいたときだ。

ちょうど人事課のフロアを横切っているところで、廊下とオフィスの境あたりに、ちょっとした人垣を見かけた。

人の集まりには特に興味はなかったものの、そばを通り過ぎる際、なんとなく目をやった先に、あの男性がいたのだ。


偶然、男性もふとこちらに視線を流したので、ばっちり目が合ってしまう。


「あ」


男性が、はっきりと声に出してびっくりしていた。

わたしも無視することはできず、ささやかに会釈してみせた。

すると男性が人の輪から抜け出して、わたしに歩み寄ってくる。

必然的に、わたしも足を止めた。



「こちらにお勤めだったんですね」


にこやかに、仕事上というよりはどこか親しさも含ませて話しかけてくる。


「こんにちは。そうなんです。……でも実は、この前駅でお会いしたとき、以前どこかでお見かけしたような気もしていたんですよ」


わたしの返事に、男性は「そうでしたか」と、意外そうに答えた。

そしてハッと思い出したように、


「ご挨拶がまだでしたね…」


と言いながら、ジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出した。

受け取った名刺には、安立(あだち) 嘉一(よしかず)と記されていた。


「申し訳ございません、ただ今、名刺を携帯しておりませんので…」


わたしがそう告げると、のど飴の男性、安立さんは、


「いえいえ、お気になさらないでください」


と返した。

穏やかな性格が推察できる人当たりの良さだ。

そして、


「なんだか変な感じですね」


と、クスリと笑った。

確かに、仕事外で知り合った人と仕事で関わってしまうと、その態度のギャップに互いに妙な感じを覚えるものだ。


「そうですね。あ、申し遅れました、わたくしは和泉みゆきと申します」


わたしは仕事用だった表情をやや和らげて挨拶した。


「和泉さん、ですね。ああ、そういえば、あのときご一緒した男性もこちらの方ですよね。営業部の諏訪さん。有名な方なので、すぐに分かりましたよ」


安立さんはただの話題提供の一つのつもりで言ったのだろうけど、わたしは、思わぬところで出会った諏訪さんの名前に動揺が走った。


「……そう、ですね。仰る通り、諏訪さんは、社内でも有名な方ですから……」


「あれ?でもあのときは、お二人とも初対面みたいな様子でしたよね」


「ええ。わたしの方は諏訪さんを存じ上げていたのですが、諏訪さんはわたしのことなんかご存知ないと思ってまして……」


苦笑いしながら説明しているときだった。



「え、妊娠されたんですか?おめでとうございますー!」


安立さんの後ろで、甲高い女性社員の声が響き、思わず言葉を飲んでしまった。

自然とそちらに目がいくと、今度は、その集まりの真ん中にいた人物と目が合った。


それは、人事課の、この前応接室で忘れ物のボールペンを渡した女性だった。

互いに小さな会釈をしたけれど、先ほどの甲高い声のせいで、女性はどこか照れくさそうなお辞儀だった。



「……あの人のことなんですよ」


ふと、一緒に声の方を見ていた安立さんが呟いた。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ