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立ち聞き(7)






「和泉さん?」


「え?」


「大丈夫?」


不思議そうだった彼女の顔は、徐々に心配そうな顔に変わってきて、わたしは慌てて表情を取り繕った。


「…あ、はい、大丈夫です。すみません」


「そう?ならいいんだけど……」


心配色はすぐには払拭されなかったものの、それ以上の追及をされることはなくて、女性社員は「それじゃお先に」と告げて帰っていった。


でも、それはきっと、彼女の配慮だったに違いない。

だって今のわたしは、自分でも明らかに感じるほどに、大きく動揺していたのだから。


だからきっと、”余計なことは言わずに一人にしてあげた方がいい…” そんな風に気を遣わせてしまったのだろう。



―――――蹴人くんの声が、彼女には聞こえていなかった。



諏訪さんや、のど飴の男性、あのとき駅にいた人達とは、蹴人くんはちゃんと会話を交わしていたのに。

でも彼女には、あの高い声が聞こえなかった。


たまたま、だろうか?

わたしの方が扉からは近い位置だったかもしれない。

だから、蹴人くんの声が外に漏れなかった可能性も、なくはない……かもしれない。


そんな風に、ごく微かに成り立つような仮定を組み立ててみたけど、ふと、蹴人くんが姿を消す直前に言っていたセリフを思い出した。



『あ、あかん!もうすぐお母さんが来るから、ぼくもう行くわ――――――――』



蹴人くんのお母さん。

その存在を、確かに蹴人くんは口にした。


あの朝も、姿を消す直前に『お母さんを待ってる』と言っていた蹴人くん。


無意識に見上げた視界に、今しがた人事課の女性社員が出ていった扉が飛び込んでくる。


………蹴人くんのお母さんと、蹴人くんが姿を消してしまうことは、何か関係しているのだろうか。


でもそれじゃ、蹴人くんのお母さんは、いったいどこにいるのだろう?

まさか社内に……?それなら、わたしの自宅や最寄り駅を知っていてもおかしくない、かもしれない………いや、おかしいでしょ。あんな小さな男の子が、母親の同僚の個人情報を盗み見たとでもいうわけ?

そんなのあり得ない。

だけど、もうこれ以上可能性がありそうな仮定は、わたしの乏しい想像力では思いつかない。


いくら考えを巡らせたところで見つかりそうにもない疑問は、わたしの中ではもはや ”不可解な謎” にランクアップしていた。



念のため、わたしは給湯室に戻って、ゴミ箱を確認した。

するとそこには、確かに、さっき蹴人くんが飲んでいたりんごジュースが残されていたのだ。


蹴人くんがこの部屋にいたのは、事実。

だけど、蹴人くんが一瞬で、扉を開け閉めすることなく、いなくなってしまったのも――――――事実。



わたしは、何度も繰り返される信じられない現象に、はじめは気味悪さも覚えたものの、今は不思議と、怖さはあまり感じなかった。

それよりも、その真実を知りたくなっていったから。


マジックなのか、魔法なのか。それともわたしの盛大な勘違いなのか………


とにかく、次に蹴人くんと会うことがあったなら、今度は、絶対に目を離さないようにしよう。


ひそかに決意したわたしだったけれど、そのあとすぐに、蹴人くんが来る前にここで立ち聞きしたことを思い出してしまった。



諏訪さんと浅香さんの結婚、だ。



自分の気持ちに従うことも、折り合いをつけることもできないわたしは、その事実の前で、また、胸を抉られるような辛さと対面するしかないのだった………




『好きなら言えるうちにちゃんと言っておいた方がええよ』




蹴人くんの言葉の意味を正しく理解できたのは、もう少しあとになってからのことだった。









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