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立ち聞き(6)






「……蹴人くん?」



さっきまで蹴人くんが腰掛けていたソファには、誰かがそこにいた空気感すらも残っていなかった。



「また……?」


二度あることは三度ある。


お決まりの諺が浮かぶけれど、こんな非現実的なこと、二度だろうと三度だろうと、そうそう慣れるはずもない。


わたしは本当に一人きりになった部屋で、ただただ、空席になったソファを見つめていた。

すると、廊下側の扉からコンコンコンと、三度のノックがあった。


「―――――っ!あ、はい」


蹴人くんのことで頭がいっぱいになっていたわたしは、慌てて、何も考えずに返事した。

わたしの返事を待ってから、カチャリとドアノブが動き、女性社員が「失礼します…」と遠慮がちに入ってきた。


「あ…」


彼女は、さっきのど飴の男性と話していた人事課の女性だったのだ。

妊娠初期とのことだけど、当然、まだ外見からは分からない。けれど、ヒールの低いパンプスを履いていた。

わたしがここにいることに少し驚いているような風情だった。



「あ、和泉さん。お疲れさま」


女性はにっこりと声をかけてくれた。


「お疲れさまです」


わたしもパッと頭を下げる。


「もしかして片付け中だった?」


「はい、そうなんですけど……」


女性はキョロキョロと辺りを見回しながらソファに近寄っていく。


「実は今日ここを使ったんだけどね。あ、ほら、派遣さん達との面談で。そのときにちょっと忘れ物をしちゃって…」


そう説明しながら、女性はテーブルの下を覗き込んだ。


「――――あ」


わたしは、思い当たるものがあった。


「もしかして、ファーバーカステルのボールペンですか?」


さっき来客の応対中、テーブルの脚のそばに、クロームメタルのキャップのペンを見つけたのだ。

ボールペンの落とし物なんて珍しいわけではなかったけれど、コンビニで売ってるようなものではなく、有名メーカーの高価なものだったので、きっと落とし主が探しているだろうと、片付けが終わったら受付に預けにいくつもりだった。

落とし主が社内、社外の人どちらでも受付に伝えておけば大丈夫だろう、そう思っていたのだけど……


わたしがジャケットのポケットからボールペンを出して見せると、


「ああ、これよ。よかった、和泉さんが拾ってくれてたのね。ありがとう」


迷子の仔猫が見つかったように、彼女は大きく胸を撫で下ろした。


そんなに大切なものだったのだろうか。

ちょっとした疑問が芽生えかけたものの、それはすぐに解決された。


両手でわたしからボールペンを受け取った女性が、

「これ、主人が使っていたのを譲ってもらったペンだったの」と嬉しそうに教えてくれたからだ。


「そうだったんですか。それなら、見つかってよかったですね」


わたしより年上だけど、少女のようにボールペンとの再会を喜ぶ彼女が、とても愛らしく思えた。


けれど「ところで、」と彼女が思い出したように会話を続けると、わたしの中の穏やかな時間はシャッターをおろしたように終わってしまうのだった。



「ところで、今まで誰かいたの?扉越しに話し声が聞こえてきたんだけど、和泉さん一人の声しか聞こえなかったし、部屋に入ったら和泉さん一人だったから………」


「―――――え?」


「プレゼンか何かの練習でもしてたの?」


訊かれて、わたしは、ギクリと全身がすくむのが分かった。



「………わたし一人……の、声、でした?」


「え?ええ、そうだけど、違ったの?」


心底不思議そうに尋ね返す彼女。


「応接室がもう使われてないのを確認してから来たんだけど、部屋から話し声が聞こえたから、ちょっとだけ中の様子をうかがってみたの。そうしたら、女の人一人の声しか聞こえてこなかったから……あ、何を話してるかまでは分からなかったわよ?」


だから安心してね?


そんな気遣いをまとってくれた彼女だけど、わたしは、そんなことよりも蹴人くんのことで頭がいっぱいになっていた。


つまり蹴人くんの声は、彼女には聞こえてなかったのだ。


あんなに高くて溌剌とした声が、聞こえなかっただなんて………



『お姉ちゃん、大切な人には、ちゃんと大切やって言っといた方がええよ?』



今さっき確かにわたしにそう言ったはずなのに。


クリアすぎるほどクリアに耳に残っている蹴人くんの声に、わたしは頭が混乱を増すばかりだった。










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