大切な人(2)
蹴人くんなのは分かったけれど、夜の遅い時間に、保護者もついてないで、こんな小さな子供がウロウロするなんておかしい。
しかも、まるで、わたしを待ち伏せするかのような状況で。
わたしは、蹴人くんに向かって少し屈んで、
「蹴人くん、どうしてここにいるの?」
その無邪気な目を見て尋ねた。
「ぼく、お姉ちゃんに会いに来てん」
「わたしに会いに…って、どうしてわたしがいる場所が分かったの?」
あの朝、蹴人くんがいたのは会社の最寄り駅だ。そのとき、わたしの自宅住所を知らせるものなんか何もなかったし、会話にも出てきてない。
じゃあ、どうして蹴人くんは、ここに、わたしに会いに来たの?
「んーと、なんとなく、かな」
わざとらしいくらいに幼児感を出して、蹴人くんはとぼけた。
「……もしかして、わたしのこと前から知ってたの?どこかで会ったことあるのかな?」
「んー、会ってるかもしれへんし、会ってへんかもしれへん」
曖昧にはぐらかす返しは、幼稚園児のそれとは思えない。
ハッキリしない答えに、わたしは違う質問に変えた。
「……じゃあ、わたしに何か用があって会いに来たの?」
「うん、そうやねん」
正解!と言わんばかりの溌剌さで、蹴人くんは答えた。
「何の用かな……?」
「それはな、お姉ちゃんのお願いごと、まだ聞いてへんかったから、もう決まったかなと思って、それ確かめに来てん」
お願いごと……
そういえば、そんなことも言ってたけど、でも、それを聞くためにわざわざこんなとこまで来たっていうの?
いやまさか。それをそのまま受け取ることはできないだろう。
わたしは体を起こすと、蹴人くんの様子をよく観た。
あの朝は、ちょっとメルヘンなことは言うけど、あからさまに嘘をつくような子には思えなかった。
でも今夜は、その可愛らしい顔は無邪気な仮面を被っているだけのようにも見えてくる。
こんな小さな子が、わたしを騙して何かしようとしてるとは思いたくないけど、それでなくても考えすぎる性格のわたしは、悪い方へ悪い方へ頭が働いてしまうのだ。
「それで、なにをお願いするか決めた?」
子供らしい純粋なワクワク顔で訊いてくる蹴人くん。
わたしは前とは違って、もうここは適当に答えておくことにした。
蹴人くんが本気で尋ねてくれてるなら申し訳ないけど、すでに大人になってしまったわたしには、メルヘンもファンタジーも無縁なはずだから。
「じゃ、じゃあ……、わたしの友達の願いが叶いますように、かな」
パッと浮かんだアバウトな願いごとを伝えた。
ところが、蹴人くんはニコニコ顔を崩し、唇を尖らせたのだ。
「あかんよ、それはお姉ちゃんのお願いとちゃうやろ?」
「え?」
「じゃあ聞くけど、誰のお願いにするん?お姉ちゃんの友達って言っても、ぼくは誰のことか分からへんもん。誰か一人に決めてもらわなあかんよ」
「それは…」
わたしは口をつぐんだ。
ざっくりしたことを返せば適当にやり過ごせると思っていたのに。
答えを待っている蹴人くんに、わたしはうまい切り返しが思い付かなかった。
”自分以外の願いごと” というルールにのっとり、わたしは、”友達の願いが叶うこと” を選んだ。
………ただ、その ”友達” を想定していたわけではなくて。
「あ、じゃあ、わたしの家族は?ええと、お母さん、わたしのお母さんの願いを叶えてほしい」
安易な切り替えを訴えるも、蹴人くんは唇を尖らせたままだ。
「あかんよ。お姉ちゃん、今心の中に大切な人おるんちゃうの?」
「え…?」
「ぼくな、なんとなく人の心ん中が分かるねん。お姉ちゃんの心の真ん中におるんは、あのお兄ちゃんと違うの?」
「あのお兄ちゃん…って?」
「ほら、この前オレンジジュースくれたお兄ちゃん!」
蹴人くんは明るく、けれどパンチをするように好戦的に答えた。




