秘密のオレンジジュース(2)
「和泉さんは広報だったっけ?今日はもう戻るの?」
ふと問われて、諏訪さんがわたしの部署を知っていたことにドキリとしたけれど、白河さんから名前を聞いた時に ”広報の和泉さん” とでも言われたのだろうと、一人で納得した。
「はい。朝から取材の立ち会いに出ていて……」
今から戻るところです。
そう続けようとしたわたしの一言は、諏訪さんの後ろからかけられた声に妨げられてしまう。
「あら?あなた…」
コンビニから出てきた浅香さんが、わたしの顔を見て意外そうに言ったのだ。
間近で見てもきれいな人だなと思った。女性のわりには背が高くて、長身の諏訪さんと並んでも文句なくお似合いだ。
だけどその目は、まるでわたしを品定めするような鋭さがあった。
「総務部広報課の和泉さんよね?」
「…はい、そうです」
浅香さんも営業部で、白河さんの彼氏の戸倉さんとも同期だ。諏訪さんが知ってるなら、浅香さんだってわたしの名前と部署を把握していてもおかしくない。
ところが、浅香さんはニッコリ眼差しをやわらげると、
「はじめまして。営業の浅香です。知ってる?あなたが入ってきたとき、広報に可愛い子が配属されたぞって、営業の男性社員が騒いでたのよ?ねえ、諏訪くん?」
そんな、わたしがはじめて聞くようなことを言ったのだった。
同意を求められた諏訪さんは「まあ……」と曖昧に返事した。
「あら、なにかっこつけてるの?」
「うるさいな。お前は一言多い」
「へえ…、そんなこと言っていいの?これ、買ってあげたのに」
浅香さんはからかうように、紙パックのオレンジジュースを見せた。
あの朝、蹴人くんに渡したのと同じものだ。
「もうやめろって」
諏訪さんが険しい顔で言う。
いつもにこやかなタイプではないけれど、こんな厳しい表情の諏訪さんははじめて見た。
それにその口調がいかにも親しい間柄のもので、わたしは、心臓の奥の方が摘ままれたような痛みを感じた。
「和泉さん、これは知ってた?この人、クールなイケメンとか言われてるけど、コーヒーやお酒は苦手なのにオレンジジュースは飲むのよ?」
「オレンジジュースですか……」
わたしは答えに詰まってしまった。
ここは、はじめて聞いたように振る舞うべきなのだろうか。
わたしが諏訪さんとオレンジジュースについて知っていることを答えれば、浅香さんに嫌な思いをさせてしまわないだろうか……
いつもの考えすぎる癖が、わたしから、ひとつずつ言葉を奪っていくようだった。
それでも頭の中ではおしゃべりで。
あの朝もバッグに入れてあったけど、そんなに好きなのかな。
りんごとかパイナップルじゃなくて、オレンジがいいのかな。
そんなことが次々に浮かんできていた。
すると諏訪さんが、
「和泉さんはもう知ってるよ」
と、浅香さんに対してぶっきらぼうに告げたのだった。
「そうなの?なんだ、二人とも、私の知らないところで接点があったのね」
浅香さんは驚いたようにそう言いながら、わたしを一瞥した。
”私の知らないところで” という部分に、妙に棘を感じてしまうのは、気のせいだろうか。
「どこで会ったの?社内で一緒にいるところは見たことがないけど……社内でそんな話もできないわよねえ?」
完全に意外だと言いたげな浅香さん。
根掘り葉掘り質問したいというのがありありと見えた。
それに対し、諏訪さんは不機嫌を絵に描いたように跳ねのける。
「いいだろ、どこだって」
そのぞんざいな態度が、二人の仲の良さを確定させているようだった。
やっぱり、二人が付き合ってるというあの噂は、本当なのだろうか……
そう思わずにはいられない瞬間だった。
「あなたに訊いたんじゃないわよ。ね、和泉さん、もしかして二人で会ったりしてるの?」
浅香さんは興味津々を隠しもしないで訊いてくる。
でもそれは、どの立場からの興味なのだろう。
社内社外問わず、諏訪さんを見かけることは何度かあったけれど、ちゃんと言葉を交わしたのは、あの朝しかない。
でもあれはただの偶然だし、二人きりでもなくて、直接会話したのだってほんのわずかだ。
だから浅香さんに隠すべきことはなにもなくて。
「会った、というか…」
わたしはあの朝のことを説明しようとしたけれど、
「お前に関係ないだろ」
ピシャリと、諏訪さんに制された。
もちろんその言葉は、わたしにではなく浅香さんに向けられたものだ。
けれど冷たい言い方は鋭い刃物のようにも感じられて、わたしまでビクリとしてしまった。




