まえがき
皆様は『残留思念』と言うものをご存じだろうか。ご存じでない方の為に、一度説明しておこう。
『残留思念』とは、かくある場所に居たものの思いが、ある種のエネルギーとしてその場所に残ったものの事を指す。
『残留思念』は、かつて人が一人でも通っていれば、大小に関わらず存在する。遥か昔に忘れ去られた建物、廃棄処理された自動車の残骸、それに、誰が通ったかも分からない山奥の獣道。あらゆる場所に『残留思念』は存在する。
そしてそれは、人が多ければ多いほど思いが強ければ強いほど、より強大なエネルギーとなる。更に言えば、喜び、興奮、感謝といった正の感情に比べ、怒り、悲しみ、憎しみ、妬みといった負の感情が圧倒的に強く残る。
皆様も経験があるのではないだろうか。身近な人の親切に対する感謝はすぐに薄れても、見知らぬ人の下品な言動に対する不快感はなかなか忘れない。好きなアーティストのライブを観た興奮は忘れても、嫌いなアーティストの作品に対する嫌悪感は拭えない。
今あげた例と全く同じとはいかずとも、似た経験をした方はかなり多いのではないだろうか。この事から分かる通り、負の感情は非常に強く、鮮明に残るものだ。
これはつまり、人の集まるところにより多くの負の『残留思念』が残るとほぼ同義だ。ほぼ、というのは、テーマパーク等一部の場所では、正の感情の割合が非常に高いが故に負の感情が目立たないという事例があるからだ。
だがしかし、そのような特殊な事例は、世界中を回ってもそう見つかるものではない。
それなので、人が多い事と、負の『残留思念』が強く残ることは、等号で結んでもらって差し支えない。
さて、この例を挙げるのであれば、アパートやホテル、神社や寺、学校、病院等だ。これらの場所は特に多く、強く思いが残る。その為、新築でなければ必ずと言って良い程、強い『残留思念』のエネルギーが渦巻いている。
ただ基本的に、我々人間には『残留思念』のエネルギーを感じ取ることはできない。生活するうえで必要としないが故、それを感じ取る器官が退化し、無くなってしまったからだ。
ただ一方で、『残留思念』のエネルギーを感じ取れる人間がいるのもまた事実。数百万人に一人と言う次元の話ではあるが、稀に霊媒体質の者が生まれる事があるのだ。彼らは、霊を見る事ができるだけでなく、『残留思念』のエネルギーを感じ取る事も出来る。
そもそも、一般に『霊』と呼ばれるものは、『残留思念』のエネルギーが明確な形と意思をもち、エネルギーのまま、もしくは質量を持つものに宿って自立行動している存在を指す。それ故、霊媒体質の者が『残留思念』のエネルギーを感じ取れるのは必然と言える。
――前置きが長くなってしまったので、そろそろ今回語る物語の事前説明をしよう。舞台となるのは、片田舎の町外れにある古い病院。長年雨風に曝されて、彼方此方が劣化しており、非常に年季の入った建物だ。
主人公となるのは、齢十五の少年、名を秋田勇士。少し痩せ気味で身長が高く、顔はそこそこ整っている。趣味は読書、特技は絵画と、インドア派の少年だ。
そんな彼が交通事故で足を骨折し、舞台の病院に入院するところから物語は動き出す。
……実はこの病院、数十年前に一度、大きな事故を起こしている。事故の内容はあまりにも残酷なので、k語らないでおく。その際に、患者五十余名を全員亡き者にした。付け加えて、主人公の少年、秋田勇士は、世にも珍しい霊媒体質持ちだ。勘の良い皆様であれば、私が何を言いたいか分かるだろう。では、語り始めるとしよう。
――これは、ごく一般的で平穏な生活を送ってきた少年が、古い病院で体験した、非現実的でどこまでも不気味な、恐怖の物語である。