3、美人くノ一の仕官志願
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大和国 龍王山城 城下町の宿屋 薬師寺太郎丸
「うむ。痛いところに手が届く。そなた、名は何と申す?」
「朱音と申します」
背中を洗ってもらっている若が女子に問う。もちろん、女子は宿屋の服を着ている。袖をまくり、膝を突いて、柔らかく若の背中を洗っていた。品の良さはあまりないが、荒々しくも優しさを備えた女子だ。夫となる者は羨ましい。
「さて、太郎丸よ。政の話を致そう」
若がこちらに話を振ってくる。いや、女子がいるのですが、それは……。若、変人の度合いが違いましょう。
「太郎丸、ここまでの道中、誰にも見られておらぬ、とも思っているか?」
「京の商人の一行というように擬装しておりますので、他国の忍びには勘付かれておりませぬ」
私は体を洗うと、温泉に入る。若はのんびりと女子に背中を洗わせていた。体が温まる。何という極楽か!
「いや、勘付かれていよう。のう、朱音」
若はおもむろに朱音殿の右腕を掴んで、後ろを振り返る。
「そなたは十市に仕える忍びであろう。くノ一ではあるまいか」
若がじっと朱音殿の瞳を覗き込む。朱音殿が無表情になった。
「……いつからお気づきで?」
「確信はなかったが、先ほど風呂に入るかと声をかけられたときに足音がしなかった。尋常の者の歩き方に非ず。さらに普通の女子なら遠慮するであろう風呂にまで押し入ってきておる。真にこの宿屋の勤め人ならば、客に遠慮して、ここまで図々しく振る舞わぬ。それ故、私に用事のあるくノ一と見た」
若の顔は真剣だ。朱音がふっと笑う。年に似合わぬ妖艶な笑み。
「さすがは松永の御曹司様。勘が鋭いですね。私は奥方様にお仕えしている十市の女忍びでございます。必要とあらば、暗殺も請け負います」
朱音の瞳が冷酷になる。怖い! いや、それどころではない。この女、若に危害を加えるつもりか! ええい、私の刀はどこだっ。脱衣所か。万事休すではないか! このまま、我らは殺されてしまうか。
若が口を開く。
「して、何用か?」
「私を召し抱えてくださいませ。十市の情報、大和、伊勢、南近江の情勢、この朱音がお伝えします。銭はいりません。ただ、私の身の安全を保障してください」
「ほう、部下にしろと申すか。確かに忍びの手下は欲しいところであったわ」
朱音が地面に頭をつけて、若の前に手をつく。体は震えていた。
「しかし、十市の奥方様を裏切ることになるのではないか」
「あのお方はご自分の権勢の拡大しか、考えておりません。遠からず、筒井の者たちが奥方様を処分する。そう考えています。弱い人間につけば、私まで殺されかねません」
「なるほど。身の保身か」
「はい。筒井とその背後にある六角は耳と呼ばれる忍びを大和に送り込んでいます。それは三好様の忍びよりも強い。六角の一族は忍びのことをよく把握し、重用しておりまする。十市も豪族ですが、六角・筒井に比べれば、弱い」
朱音が顔を上げるが、何かにすがるような表情をしている。若は穏やかな微笑を浮かべた。
「元服前故、銭を持たぬ。口約束だが、そなたを召し抱えよう。危険を感じたら、すぐに逃げて参れ。芥川山城の松永の屋敷にて、保護する」
「ありがたきお言葉。朱音はうれしゅうございます、若様、お助けいただき、ありがとうございます」
朱音はよっぽど怖かったのであろう。安堵の表情を見せていた。それにしても、冷や冷やする。これが殺意のある忍びであったら、若も私も命がなかった。若は怖くないのかな?
「ふむ。十市の家中にも筒井に内通する者が」
若は温泉に浸かると、朱音殿に語りかけた。大和の国人の中でも勢力を増しているが、筒井家だ。筒井家当主は筒井藤勝、九歳。幼いので実権は叔父の筒井順政が握っている。親足利派で反三好の人物だ。
「はい。奥方様の侍女にも何人か、怪しい者がおります。奥方様が毒を盛られることも有り得ると考えております」
「六角の忍びは多いか?」
「はい。銭の払いもよく、この近辺にもよく出没しております。旅芸人、行商、巫女。私も忍びなので、彼らを見れば、正体はわかります」
「やはり、か。六角は動くかな?」
「十市家中では六角左京大夫は本気だと、噂しております。左京大夫は公方様をなだめ、松永弾正様と和睦を結ぼうと考えていると、親三好・親松永の態度を取っておりますが、それは左京大夫本人が自分の忍びを使って流した嘘のようです。三好方を油断させるため、と。これが十市の忍びの情勢読みになります」
「ふむ。やはり、か。三好と六角の決戦は避けられぬ」
若が天を眺める。澄んだ空に夕日が赤く輝いていた。朱音殿の話が本当であれば、芥川山城に帰還したら、忙しくなるだろう。六角対三好の大戦となること、間違いがない。
永禄元年 (1558年)四月、近江国朽木谷岩神館 松井長之
「このたびの戦、高島越中守は公方様に同心仕ります」
頭を上げたのは高島越中の長男・高島三左衛門実高だ。公方様が満足気にうなずかれている。
「のう、竹若丸。近う」
「はっ」
童が公方様に近寄る。朽木家当主・朽木竹若丸、九歳。幼い当主だが、利発そうな顔立ちだ。母親が公家の出身なので品が良い。
「この高島郡の国人衆は余に同心すると言う! 竹若丸よ、父のことは無念であったな。そなたの父のことは忘れぬ。ただ、高島越中も悪い男ではない。ここで仲直りといこうではないか」
「はっ、三左衛門様、朽木軍を上洛戦の折にはよろしくお願いします」
「お任せ下され。この三左衛門、母上が六角左京大夫様の妹に当たります。母からは同じ佐々木同士仲良くするように言われておりまする。こちらこそ、こたびの上洛戦、よろしくお願い申し上げる」
場がほっとしたような雰囲気になった。朽木竹若丸の父親は高島越中守との戦で命を落とした。それより、両家は険悪な関係になっている。その間に入ったのが六角家当主、六角義賢だ。義賢は妹を通して、高島越中守を説得した。源頼朝に仕えた佐々木氏が朽木も高島も先祖であり、いわば親戚同士。竹若丸の表情は無表情なので何を考えているかわからぬが、とにかく高島ら国人衆の参陣は心強い。
公方様は喜んでおられる。「六角左京大夫は忠義者よ」としきりに褒めておられる。
「筒井も十市もなぜ返事を寄越さぬか。朝倉左衛門督など、余を愚弄しておる。のう、越前」
越前守とは私のことだ。私は公方様に自分の体を向ける。
「はっ、公方様のお誘いを無下にするとは、朝倉左衛門督も器量が狭い。時勢に疎いものと思われます」
「三好を討つことこそ、天下静謐を務める足利の役目。三好などいらぬ。のう、右京大夫」
公方様の問いかけにがっしりした体格の男が公方様を見る。かつて、畿内の天下人として君臨していた細川右京大夫晴元だ。四十後半の年齢だが、自分を追放した三好への恨みは深い。
「左様にございますな。三好には四国の片田舎に引っ込んでもらいましょう。公方様が政務を司ることこそ、天下静謐への第一歩にございまする」
「うむ。義満公の治世のようにこの国の民が戦に怯えぬようにせねばならぬ。そのためには何としても三好を討たねばならぬ!」
公方様が立ち上がって、吠える。おお、何という覇気だ! このお方こそ、天下人にふさわしいお方よ。




