20、鹿ヶ谷の戦い②三好日向守(ひゅうがのかみ)の焦燥(しょうそう)
永禄元年 (1558年) 六月 近江坂本 進士晴舎
公方様は筆を執っておられる。直筆の書状だ。北は伊達・最上から南は九州・島津まで。諸国の大名たちに書状を送っている。祐筆もいるが、公方様は熱心に文をしたためている。
今の相手は書状の相手は北条相模守氏康だ。関東地方を支配する関八州の主。元は幕府に仕える伊勢氏の出身で氏康は三代目に当たる。
北条家は上野の国にいた関東管領・上杉氏を追放し、越後の長尾氏と敵対関係に入っている。公方様の構想では長尾・今川同盟に北条も加えたいのだが、長尾景虎は北条の横暴であると怒っているようだ。
ただ、北条氏康は公方様とは友好関係にある。
「戦を終わらせなければ、ならぬ」
公方様は口元を結ばれると、絞り出すような声で言った。ご同情申し上げる。三好家の横暴は足利をないがしろにするものだ。尊氏公、義満公の天下平穏への志、下剋上の御世は終わりにせねばならぬ。このお方こそ、天下を治めるお方よ。
「次は織田上総介よ。尾張統一に邁進していると聞く。織田が私の力になってくれれば良いのだが。今の非力な身の上。いかんともし難い」
公方様は溜め息をつかれんばかりに愁いを秘めていらっしゃる。全く、その通りだ。足利は六角の助けなくば、挙兵することもできぬ。
「御免、京北東部の瓜生山が占拠されましたっ」
公方様のお部屋に大声で入ってきたのは松田次郎左衛門殿か。
「軍勢は岩成主税介の三千。山城の国衆を率いているようですな。うかうかしていると、先手を取られかねませぬ」
松田殿は主戦派の急先鋒だ。公方様と松田殿が相対する。
「播磨姫路城主の赤松がもうすぐ腰を上げる。それまで三好と争いたくはなかったが」
「ご決断を」
松田殿が公方様に迫る。播磨の赤松は挙兵して、京に攻め込む手はずになっていた。赤松が公方様の切り札の一つだ。
「出陣する。六角には私から直接伝える。六角左京大夫に会いに参るぞ」
やはり、戦になったか。難しいことよ。
永禄元年 (1558年) 六月 京 鳥養貞長
「筑前守殿、比叡山に兵を差し向けよう。大津の辺りを抑えるのだ」
鼻息が荒いのは三好日向守殿だ。京より打って出るのがこのお方のお考えだ。
筑前守様は日向守殿の言葉にも反応しない。珍しいな。お二人の意見が割れることなど、ないというのに。
「大叔父上、それがし。大津の占拠には反対でございまする。兵糧の供給が間に合いませぬ。戦線を拡大することは」
「これは六角を叩き潰す好機ぞ。筑前殿、近江を三好の物としてしまえば良い」
日向守殿の強い言葉に筑前守様が口を閉じる。
「足利は強兵と聞いておりまする。簡単に打ち破れるとは思いませぬ」
孫次郎様がご発言なさる。日向守殿が眉間に皺を寄せた。
「孫次郎殿は戦をしたことがあるまい! このまま六角を増長させてはならぬ。比叡山の僧兵どもに三好の力を思い知らせてやらねば!」
孫次郎様が不快そうに顔を歪める。三好日向守殿もどうなされたのか。普段はもっと慎重なお方であるのだが。
「大叔父上、河内の畠山の動きが怪しゅうございます。このまま京の守りをせねば、公家衆からも愛想が尽かされましょう。とにかく、待つのでございまする」
「し、しかしな」
「三好家惣領はそれがしにございまする」
筑前守様の言葉に日向守殿が沈黙する。日向守殿は子息の嫁に筑前様の娘を望んでおったな。なるほど、松永弾正殿への牽制か。松永の息子もやり手のようだし、筑前様もよく褒めておられる。
「とにかく瓜生山の後詰として、待機してくだされ。大叔父上。大津への出兵をお控え下され」
「……承知仕った」
日向守殿が頭を下げる。やれやれ、松永弾正は家中に敵が多いな。それがしも気をつけねばならぬ。




