2、二人の英傑
永禄元年 (1558年)四月 摂津芥川山城 茶室 三好慶興
「うむ。この苦みが程よいの。孫次郎もそう思わぬか」
茶室にて茶を啜っているのは、畿内の覇者である父・三好長慶だ。茶の良さは分からないが、父上からは公家衆との付き合いのため、作法を覚えておけと言われている。
「父上、呑気に茶を嗜んでいる場合ではございませぬ! 公方様の密書が諸大名に配られておりまする! 六角も上洛に乗り気だということにござる! 戦が起こりかねませぬ!」
私は父上を凝視する。父はふっと息を吐いた。なぜ父上は落ち着いておられる! 公方様と争えば、三好は逆臣の誹りを受けかねぬというのに!
「孫次郎よ、落ち着け。戦になれば、三好は六角には負けぬ」
父上が静かに言った。
「弾正よ、策は万全であろう?」
父上は控えていた松永弾正久秀殿に語りかける。穏やかだが、どこかに凄みを感じさせる男だ。父上の右腕であり、よく二人で密談に及んでいる。
「はっ、六角の軍勢は京には入れませぬ。六角義賢と朝倉義景の連携はうまくいっておりませぬ。朝倉はこたびの義輝公の密書を暴挙であると口を極めて非難したとか」
朝倉義景、越前一乗谷城主であり、北陸に大勢力を築いている朝倉家当主だ。文武両道の名将であり、果断な人物として知られている。
六角と朝倉は秘密裏に接触しており、今回の六角の上洛戦に加わると見られていた。
「ふわっはっはっは。朝倉左衛門督も言うではないか。まあ公方様もこたびの戦で頭を冷やされるであろう。天下静謐の任は六角ごときには成し得ぬ、とな。三好の力あってこそよ」
父は上機嫌だ。松永殿も微笑を浮かべている。松永殿が口を開く。
「さらに畠山次郎四郎殿は殿にお味方すると公言しております。よもや、裏切ることはありますまい。畠山が動かぬということであれば、六角単独で動くということ。連中はせいぜい三万程度の動員兵力にござる。こちらが本気を出せば、四国の三好豊前守様と合わせて、兵力は十万を越えまする」
畠山次郎四郎高政、河内国高屋城主で紀伊の国衆にも影響力を持つ名門畠山家当主だ。その勢力は六角よりも大きいと言える。特に戦上手の紀伊の国人衆は畠山高政を主とし、戦の時には馳せ参じるだろう。ある意味、六角や朝倉よりも厄介な相手だが、三好の家との関係は良好で今回の義輝様の策動にも乗っていない。
さらに三好には四国に大軍が控えている。叔父・三好豊前守の軍勢で叔父上たちが京に駆け付ければ、京の守りは万全となる。
「ところで大和の件だが、弾正、適任の者はおるのか?」
大和には筒井ら五大豪族がひしめいている。国人衆たちも負けん気が強く、三好の言うことよりも公方様に従う気風を持っていた。
「前にもお話した通り、我が倅、彦六を連れていきまする。大和に侵攻後、統治は倅に任せとうございまする」
父がふんふんとうなずく。松永彦六は私よりも一つ年下の松永殿の御曹司である。破天荒な変わり者でその発想は常人にあらず。私は彦六を気に入っていた。
「そういえば、彦六は今どこにおる?」
「十市の女狐に会いに行くと申して、それがしの鉄砲を数丁くすねていき申した」
「ほう、十市の女狐か」
父と松永殿は笑い合う。十市の女狐か、十市遠勝の正室だが、前妻が変死後に正室の地位に成り上がった強欲な若い女らしい。
女狐は夫である十市遠勝の威を盾に威張り散らしているそうだが、何を好き好んでそんなところへ行くのか。理解に苦しむぞ、彦六。私が妙な表情をしていると、父上が声を立てて笑った。
「彦六は大物になろう。大和の国衆への偵察を自ら行うとは、なかなかできることではあるまい」
父上は彦六を買っているのか。しかし、世間知らずの彦六が大和で笑い者にならぬか、不安だ。
大和国 龍王山城 城下町の宿屋 薬師寺太郎丸
安い宿だが、飯はうまくて女子も見目麗しい。私は若殿の方を見る。十市の奥方様と話した私たちは城下町の宿を取ることになった。しかも、奥方、奈津殿の奢りときている。我らの人数は全部で八人。私を含む小姓は三人だ。私・薬師寺太郎丸と木沢弥四郎、柳本松千代である。他は松永家の家臣たちだ。
無事に商談は成立したようだ。これから十市の家とは秘密裏に商売をしていくことになる。良かった良かった。と思うのだが、若は座敷に寝そべっておられる。頭の下に腕を置いていた。少しも嬉しそうではない。
「若、このたびの商談成立おめどうございまする」
木沢弥四郎が若に声をかけた。若が無表情で弥四郎を見る。
「やはりあの女、毒婦には見えぬ。十市の家を乗っ取ろうとしているのは他の者の仕業か」
「若?」
私はたまらずに声を上げた。確かに奥方様は美しく、たおやかに微笑んでいた。子供である我らにも慈愛のこもった眼差しを向けられていた。
「となると、筒井か。いや、六角かな」
どうやら独り言に夢中になっているらしい。やはり、変わっておられる。まあ、最近はもう慣れたが。
「む? どうしたのだ。太郎丸、心配そうな顔をして……」
気づいていなかったのか。集中すると周りが見えなくなるのは相変わらずだ。我らお小姓衆がしっかりせねばならぬ!
「お武家様、風呂の支度が整っております」
女子が手をついて、こちらに呼びかけてきた。むう、そんな時間か。
「ふむ。そんな時間か。参ろうぞ、太郎丸、供を致せ」
若の言葉に私は返事をする。案内する女子は綺麗だ。十六くらいだろうか。愛想の良い笑顔で我らを案内する。
「こ、これは……!」
若が声を上げられる。無論、我々は服を着たままだが、そこには湯煙が上がっていた。風呂、ではない。温泉だ。案内した女子が我らの前で床に手を付き、腰を屈めて、我らを仰ぎ見る。
「お背中をお流し致します。この天然の温泉は奥方様からの松永の若君への好意ということにしてください。これからも末永くお付き合いくださいませ」
娘が顔を上げて、微笑んでいる。何という気の利いた接待だ! 若の考え事も温泉に浸かれば、進むというものだろう。若を見ると、頬を緩んでいるように見受けられた。




