1、十市(とおち)の女狐
永禄元年 (1558年)四月四日、大和国龍王山城 十市奈津
「奥方様! 松永の使者が奥方様に会いたがっておられまする!」
ガチャガチャと鎧姿の男たちが私のいる座敷へと踏み込んできた。何が起こったのか、わからずに私は目を見開いて、家臣たちに目をやる。
夫である十市遠勝は鷹狩りのため、留守にしていた。夫は和歌を読む風流人だ。大和の有力な豪族であり、動かせる兵も五千ほどいる。今は同じ豪族の筒井に服属し、家臣となっているが、それでも勢いは衰えていない。
しかし、今は戦国の世。大和の国では筒井家、越智家と豪族がいるが、畿内の覇者である三好長慶が大和をしつこく狙っている。
夫の留守に厄介な客が来たものね。私は傍らの娘・鍋姫を見やる。八歳になる娘はきゅっと口を結び、甲賀の忍びが作成した大和の地図を眺めていた。我が娘ながら変わっている。将来は朝廷に出仕し、公家の妻として雅な生活を送ってほしいものね。
「奥方様、いかがなされましょうや。使者は奥方様にお会いしたいと、申しておりまする」
「松永、と言いましたね」
松永久秀、三好長慶の家臣で右腕とされる人物。武功だけでなく、歌や茶、さらには医道にまで通じている天才らしい。夫がよく褒めたたえていたわね。
その松永は京にいるはず。現在の畿内情勢は複雑よ。京を逃げ出した元管領の細川晴元様と晴元様の担いだ将軍足利義輝様は近江国朽木谷に逃げ込まれている。三好長慶は足利家と和睦し、将軍様を連れ戻そうと考えているらしい。それに対して、松永久秀は近江国の実力者・六角義賢と接近し、六角を取り込んで、公方様を孤立させようとしている。これが夫と私の見方。
つまり、三好・松永の権力は絶大。大和の国人衆たちも三好に服属させられるかもしれないわね。はあ。溜め息が出ちゃう。もし、三好家に従属すれば、私と娘の鍋は京に人質として連れていかれるのかしら。
「使者、とはどのような方なのですか」
「それが……」
「童にございまする」
家臣の森本喜三が答える。
「松永弾正が子、彦六と名乗っておりまする」
「松永久秀様のお子、ですか」
「はい」
肩の力が抜ける。何だ、子供だったのね。正式な使者というわけではないのかしら。
「鍋、侍女たちと他の部屋に行きなさい。母は松永の御曹司様と会います」
「はい、お母様」
鍋は素直にうなずく。いい子ね。この子には戦国乱世の非情さは味あわせたくないわ。
「奥方様、御免仕る。松永彦六、齢は十六にございまする」
しばらくして、凛々しい美少年がやってきた。松永久秀様も京の女たちに騒がれているらしいけど、この男の子も相当の美男子ね。例えるなら、源義経様の再来といったところかしら。
「訓練にて、大和の山中を旅しているのでござる。この者どもはそれがしの小姓にございまする」
訓練? 私が見回すと彦六君の背後の三人の少年がお辞儀をしてきた。まあ、可愛らしい。
「私はこの十市の家の当主の妻・奈津にございます。はて、彦六様。このような山深い土地に何か御用でございましょうか」
「はい。商いに参りました。運んできた荷を十市の当主・新二郎遠勝様に買っていただきたく」
商い? 面白いことを言う子ね。私は口に扇を当てて、微笑を浮かべながら、彦六殿の目を見る。鋭い。とても少年の目とは思えない。同世代の力強い男性と話しているようにすら、感じるわ。
「と思いましたが、気が変わりました。奥方様、奥方様に鉄砲を買っていただきとうございます」
彦六殿の目が鋭さを帯びる。私は息を呑んだ。私はこの城では女房衆に嫌われている。御屋形様に取り入っている女狐と陰口を叩かれていた。私は後妻であることが女房衆は気に食わないと見える。
「私に、でございますか」
私は軽く下唇を噛んだ。今、十市の家は朽木谷の公方様の密書をいただいている。三好を討て! という内容の密書だ。密書には細川晴元様の花押も押されている。
その十市が松永の家と取引できるわけがない。でも、誘いを断れば、松永と三好に十市の家は狙われる。
全身から汗が噴き出してくる。この子はとんでもない難題を持ち込んでくれたものね!
「松永の若殿様はご存じないと思いますが、十市は幕府に忠誠を誓っております。十市の殿も公方様の家臣にございます。女である私が決めることでは……」
「公方様は細川晴元様らに騙されておるだけでございましょう。三好長慶様は足利の家臣にございます。それがしと父がそれは保証致します」
彦六殿の視線が私を射抜く。
「それに鉄砲の取り引きは奥方様だけでもできましょう。この十市の隠れた実力者は奥方様にございまする。銭の管理に年貢の取り立て、文化人である十市新二郎様をお支えする奥方様の高名は遠く京の都にも届いておりまする」
驚いて目の前の少年をまじまじと見る。私は大和の大商人の家に生まれ、算術の心得がある。大和でできた材木を河内の商人を通じて売りさばいていた。銭の管理をしている私だ。それでも夫婦間の秘密であり、主だった重臣しか知らないようなことをこの子はなぜ知っているの?
「大和の豪族でも越智、筒井といった家がひしめいておりましょう。特に筒井は材木で儲け、公家との関係を強化している十市の家を敵視しております。鉄砲を持って、領内の防備を強化しませぬと」
彦六殿が膝を乗り出してくる。何なの、この子。何者なの?
十六歳とはとても思えない!
「公方様はまだお若い。家臣たちに乗せられているだけでございます。三好の家は公方様を京にお迎えし、天下静謐の任を果たしまする。帝もそれをお望みであると彦六も考えまする。それには強欲な筒井に従って、公方様に従うのは利にあらず。彦六は若輩者ではありますが、そのように邪推致します」
ずずいっと彦六殿は身を乗り出し、こちらににじり寄る。
「奥方様、御決断ください。ぜひ松永と商売を! そうすれば鍋姫も三好を通じて公家の姫となられましょう。奥方様も京の都にて風流に過ごすことができまする」
雅な生活。歌を詠み、茶会にて女房衆にちやほやされ、商人の娘に過ぎない私が! 夢のようだわ!
「御屋形様には、内緒にしてください。この奈津。領地もいただいております。私の蔵から銭を取り出し、鉄砲を買わせてください」
気づくと私は扇を側に置いて、目の前の少年に頭を下げていた……。
作中に出てきた鍋姫は実在の人物。史実では松永久通の妻になっています。この小説でも史実通りになるのか、お楽しみにしてください。




