現実世界・1
ふわ~~~ぁ、ねみぃ
昨夜は大変だったな。
母ちゃんが風呂場ですっころんで、倒れちまったんだよな。
俺がリビングでテレビを見てたら、風呂場から俺を呼ぶかぼそい声が聞こえてきて、行ってみたら、母ちゃんがあられもない姿で倒れていた。
俺は母ちゃんをなんとか引っ張って、ソファで寝かして、テキトーにタオルで身体を拭いて毛布をかけた。
のぼせてたからか、厚いって言って毛布を肌蹴てたけどな。
まあ母ちゃんの裸なんて見慣れちゃいる。
見慣れちゃいるけど思春期だからなのか、欲求不満なのか、気になる部分が出てきたんだよな。
……こう、胸がね、デカイんだよな。
他の女性の平均値を逸脱して。
あとまだ母乳が出るみたいで、薄着の時は胸の先っぽが濡れていたりする。
だから母ちゃんの身体をタオルで拭く時も、正直目のやり場に困ったんだよな。
母ちゃんは、
「もっとちゃんと拭いてよ」
なんて言ってたけどな。
それに、最近、というか父ちゃんが死んだ9ヶ月前から様子がおかしいんだよな。
父ちゃんが死んですぐの頃も偶に俺を父ちゃんの名前で呼んだりして、すぐ呼び間違えたって恥ずかしそうに言ってたけど、それはこの9ヶ月の間にだんだんと酷くなり、父ちゃんの名を呼んで、俺をじっと見つめてくる目が、息子を見る目じゃないっつうか、なんというか、相手は母ちゃんなのにドキッと来ちまうんだよな。
「よう健宏、今から学校か? 」
声と共に背中を叩かれた。
この人は俺の母ちゃんの弟で鳴神源次郎。
母ちゃんとおじさんは姉弟で、他に兄弟姉妹はいない。
おじさんは長男だ。
長男なのに源次郎なのは、二人の父ちゃん(俺にとっては爺ちゃんだな)が、源太郎だからだ。
あ、ちなみに母ちゃんと俺の名前は久住清香と久住健宏。
おじさんだが、普段は飄々としているけど何かあったときは頼りになる。
父ちゃんが死んだ時も、その保険金を巡って親戚やらなんやら金の亡者どもが集まってきたが、おじさんが全部追い払ってくれた。
で、父ちゃんが何で死んだかって言うと、端的に言うと過労死だな。
父ちゃんの会社は結構大手の会社だったんだけど、昨今の不況の煽りをくらって大量の人員整理を行ってやっと生き延びた会社なんだ。
まあ、父ちゃんは残った方だけどな。
で、まあ働き手が減ったせいで、一人一人の仕事量が格段に増えた。
少し景気が上向きになって、人を雇う余裕が出て来ても、新しく入ってくる奴らには仕事のやり方から教える必要がある。
つまり更に仕事が増えるわけ。
そういう悪循環でまわっている会社だったんだな。
父ちゃんも別の就職先を検討していたみたいだったが、うちは俺が学生だし、母ちゃんは少し浮世離れしていて、働きに出すのは心配だってんで(父ちゃん、おじさん、俺の総意)、おじさんもお金を入れてくれるとは言ってくれたけど、さすがにそれはって父ちゃんが断ったみたいだ。
ある程度の貯えはあったが、それでは心配だってんで、父ちゃんは働いて、働いて、働いて、死んじまった。
「あ、おじさん、おはよう」
「おう、なんだおまえ、また女のことを考えてたのか? ほどほどにしろよ」
ナニ言ってんだ? このおっさん。
「何言ってんの? イミわかんねぇ、それにまたってなんだよ、いつも考えているみたいに言うなよ」
「なんだ、おまえ気付いていなかったのか? おまえに会ったら二回に一度は股間が膨らんでいるぞ? 」
俺は思わずチャックの辺りを確かめた。
こ、これは……、ズボンのシワじゃねぇか。
「これはズホンのシワだよ、股間なんか膨らんじゃいねぇよ」
「わっはっは、隠すな隠すな、元気で何より」
うわっ、このおっさん、勘違いしたまま先に行こうとしていやがるぞ。
「おい、待て、おっさん、だったら確かめてみろよ、股間を触ってみりゃ判るだろ? 」
「おいおい、卑猥なことを大声で叫ぶな、ご近所様に変な評判が立つだろうが」
逃げるおっさんを追いかける俺。
ちきしょう、見失った。
あれ? どこ行きやがった、あのおっさん。
俺がよそ見しながら横断歩道を渡ろうとすると、
「あぶない、健宏っ」
いつの間にか背後にいたおじさんに襟首を掴まれて引き戻された。
思わず尻餅をつく俺。
「いってぇ~~~、なんだってんだよ」
ヴォン
その時、風が動き、左から大きい影が右に流れる。
大型トラックだ。
あっぶねぇ。
すっかり地面にへたり込む俺。
「でもなんだってこんな町中を、あんなデガブツが凄い勢いで走っているんだ? 」
そんな俺の素朴な疑問におじさんが答えてくれた。
「健宏あっちを見ろ」
俺はおじさんの指差す方向、
辛うじて見えるのはアーケード。
近場に大型のスーパーが出来たために廃れた商店街だ。
「アーケードが見えるだろ。あそこはしばらく前に閉鎖した商店街なのは知っているよな。つい最近、歩行者天国も廃止されちまったんだよ。そのせいで二つの国道をまっすぐ繫ぐ近道が出来ちまったんだ」
「でもあんな勢いで走っていて大丈夫なの? なんか事故とか起きそうな気もするけど」
「そのうち市がなんとかするだろ、今はこの道は危険だと注意しておくしかない」
そんなこんなで学校へ行く俺、友人の何人かと挨拶を交わす。
友人と言ってもこの学校の連中は真面目な奴ばっかりなので、学業に関する助け合いが主だけどな。
悪友とかはいない。
ノート貸し借りしたり、教科書貸し借りしたり、授業内容で解らない場所を教えあったりそんな感じだ。
父ちゃんが死ぬまでは俺も真面目な生徒で、成績は学年でも上位に位置したが、父ちゃんが死んでからは下降気味。
ここで良い成績とって、良い大学入って、良い職場に就職しても、会社の都合で働かされて父ちゃんみたいに死ぬんじゃな……、とつい考えてしまうからだ。
話は変わるが、俺には特に仲良くしている女友達が二人いる。
斉藤麗奈と鈴木香だ。
レナは学年でも常に10位以内に入る才媛で、何より得意分野、不得意分野が俺と全く逆であるため、ガッチリかみ合っていると言える。
得意分野を教えあうことで、共に成績の向上が臨めるのだ。
出席率も無遅刻無欠席で皆勤、字も綺麗でノートの中身もよく纏まっており、不意に欠席した時でも、ノートを見せてもらえる。
容姿も優れており、深窓の令嬢で習い事が多くて自由が少なく、常にストレスを溜めているのでこちらも遠慮なくストレスを発散できる。
自己主張も控えめなので、こちらの都合の悪い時は気付かなかった振りをして、スルーすることができる。
惜しむらくは胸のサイズがBカップなぐらいか。
鈴木香は、成績は学年全体で中の上、クラス内では底辺あたりか。
父ちゃんが死ぬ前までの俺の成績が、学年全体で上の中くらいだったので、成績的には俺が教えるばっかりで旨みがない。
出席率は偶に遅刻したり、偶に休んだり、偶にテキストを忘れたり、くらいかな。
概ね真面目な生徒と言える。
ただ社交的ではあり、常に女生徒と助け合って頑張っているようだ。
女子力はそれなりにあるようで、弁当は毎日自分で作っていると豪語していた。
俺も少し食べさせてもらったことがあるが中々のものだ。
俺に弁当を毎日作って持って来てくれると言ってくれたが、「そんなことする暇があるなら、勉強しろよ」と丁重にお断りさせていただいた。
俺には母ちゃんの作ってくれた弁当があるからな。
容姿はそれなりに可愛く、胸のサイズはEカップ。
要するに母ちゃんの下位互換なんだよな。
正直、香はレナと比べると胸のサイズくらいしか取柄はないが、ストレスを発散させるのには、そこはかなりポイントが高い。
ひとつ確実に言えることは、学生の身でEカップは貴重だということだ。
まあそれより大きいサイズで顔もそこそこのやつも、学園を通してみれば居ないこともないが、学年が違ったり、成績低くてグレてる奴とか、相手にしても時間の無駄だからな。
俺も結構、単純なので、胸が大きいというだけでモチベーションが上がるのだ。
香は身持ちが固くて面倒くさい奴だったが、毎日、親切にしてやっていたら態度が徐々にほぐれて身体もほぐれた。
レナと香の二人がお互いを意識してすぐの頃は、睨みあったり、口喧嘩したり、取っ組み合ったり、髪の毛を引っ張り合ったりして面倒くさかったが、どちらも2番だと言ったら沈静化した。
俺は最初に言ったはずなんだけどな、志望校に合格するために助け合おうって。
そのための助け合いであり、そのためのストレス発散だ。
この学園が進学校なのに男女共学なのは、そういうことも含めて上手くやれってことなんだろう。
学生のうちから、交渉力や自制心などを駆使して、いかに要領良く勉学に励むかを試されているってわけだ。
子供とか出来ちまったら元も子もないもんな。
休み時間は香が来ることが多く、授業で解らなかったところなどを聞きに来る。
レナはというと、我関せずといった態度で、読書したり授業の予習をしていたりするように見えるが、実は全身の意識をこちらに集中していたりする。
偶に何でもないふりをして背中をつついてやると、ビックリして飛び跳ねたりするのでおもしろい。
昼食は女子たちと食うことが多い。
レナの所属する、成績が良くて美形で家柄も良い高嶺の花グループと、香の所属する可愛くて女子力がある庶民派優良子女グループは反目状態であることも多いが、俺がレナと香の二人に手を出して悪びれないことが発覚してからは、手を組み俺の動向を監視している。
二つのグループ内の他の連中にも粉をかけられたこともあったが、「お前ら中途半端なんだよ」と啖呵を切ったら総すかんを喰らった。
それでも嫌われることなく、受け入れられている。
目的意識がはっきりしているからかもな。
まあ、男子連中のやっかみは凄いけどな。
何人か女を世話してガス抜きはしたが……。
例えば、田中洋一は学年トップの秀才だ。
瓶底メガネのうらなり瓢箪だが背は高く、メガネを取ったらそれなりだ。
苦学生で、奨学金制度を利用して学園に通っており、新聞配達をして生活費を稼いでいる。
コイツが指名したのはなんと、高嶺の花グループのリーダー、高嶺サリナ。
成績は田中と一、二を争う才媛で、容姿はレナよりは劣るが健康的で、胸のサイズはなんとD。
こいつはレナとは違い、文武両道で、テニス部のエースでインターハイにも出ている。
恋愛にも積極的で、金持ちだから資金力もあり、男を作っては使い捨てにしているようだ。
俺が高嶺を選ばなかったのは、コイツと付き合った男はさんざん振り回されるせいで、どんどん成績が落ち、最後には捨てられ精神も成績もボロボロにされるからだ。
こんな奴に関わったら本末転倒だ。
まあ、レナはレナで一途な分、将来に落とし穴が開いてそうで不安だけどな。
だが、志望校が違うので大丈夫だろう、……多分。
で、俺が女子を世話する時に見る男子のポイントは成績、出席率、月の小遣い、バイトしているかしていないか、動機の6つだな。
俺も世話する以上、成績が落ちちまうようなことは出来ない。
成績については得意分野を教えあうことが出来るかどうかだ。
これは進学する者としては大きい、というより、女と付き合う時の大義名分と言って良いだろう。
出席率、これはノートの見せ合いっ子だな。
だが、出席率が悪い奴にそもそも女を紹介しようとは思わねえ。
まず他にやることがあるだろ? と思うからだ。
月の小遣い、これは結構、大きいよ。
避妊具を買うにも金がいるからな。
避妊具ケチって子供が出来ちまったら、学生自体続けてらんねーしな。
バイトしているかしていないか、バイトしていれば資金は潤沢だが、成績は下降傾向になるだろう。
俺個人としては、バイトするくらいなら成績上げる努力しろよ、とは思うが、巡り巡ってストレスを溜め込み過ぎて、勉強が手に付かないとかもあるかもしれないので、なんともいえないな。
動機、どういう理由で女を紹介してほしいかだな。
性格と言い換えてもいいかもな。
悪質な奴なら、避妊具を付けずにストレス発散して子供が出来ても知らんぷり、どころか腹を蹴って流産させたりとかもありえるからな。
で、田中洋一と高嶺サリナの場合だが、最初は意外に上手く言った。
お互いが同レベルの成績優秀者だからかもな。
意識しあっていた部分もあったのかもしれない。
田中は、高嶺に金を出して貰うことで、瓶底メガネをコンタクトに替え、それなりに見れる格好になったし、高嶺に金を出して貰うことでバイトに時間をかけなくて済むようになり、成績も上がった。
だがそもそも、天才型の高嶺と努力型の田中では教え合うことなど不可能で、田中は高嶺と会うことでどんどんストレスを溜めていった。
だから田中が成績を落とす前に高嶺が身を引いた感じかな。
まあ田中は奨学生だ。
成績落ちたら、進学どころではないかもしれない。
そこを慮ったのかもしれないが、飽きたらボロクズのように男を捨てていた高嶺にしては、温情のある幕引きではあった。
結構、本気だったのかもな。
高嶺はその後も資金援助をすると言っていたが、さすがに田中の方が断ったみたいだ。
放課後、香は用事があるらしく、直ぐ帰った。
こいつはラッキーだ。
香は誘いを断ろうとするとしつこく食い下がってくるからな。
そうなると俺もあえて突き放す言葉をかけなきゃいけない。
その一連のやり取りが無いだけで随分楽だ。
なお、レナから図書館デートの誘いがあったが、用事があると言って断った。
レナは頭が良いので、面倒ごとを嫌う俺の性格を良く解ってくれている。
嫁にするならこういう奴がいいよな。
だが言葉には出さない。
この前ポロッと言ったら、「両親に会って欲しい」とか非常に面倒くさいことを言い出し始めたからだ。
「俺とお前の関係はお互いの志望校へ合格するための同志だ」と改めて関係を再確認させたら、盛大に泣かれた。
香はよく泣くし、嘘泣きも多いが、レナが泣くことは滅多にない。
だから慰めるのに苦労した。
甘い言葉を吐きつつも言質を取られないようにするのに神経を使った。
レナは泣き止まないし、野次馬の視線が刺さるしで針の筵だったぜ。
レナが泣き止み、家まで送って一人になった時はドッと疲れた。
レナは溜め込む性格なのかもな。
そういえば、レナを家まで送った時に応対に出た、縁なし眼鏡をかけた、口髭に和服のおっさんにえらく睨まれたな。
やっと家に送り込んで、レナへの扱いが雑になったのかもしれない。
最後まで気を抜いちゃダメだよな。
で、レナを断るほどの用事だが、用事なんて特にない。
とはいえ、昔からあった母ちゃんのうっかり癖が、ここ最近になって酷くなっているので、気が気じゃないんだよな。
二人でいるのも億劫だが、一人にするとそれはそれで心配だという理由から、早く帰るようにしている。
ここ最近はおじさんも来てくれちゃいるが、父ちゃんとの最後の約束「母さんを護れ」を守るためにも手段は選ばねぇ。
まあ、そんなわけで、父ちゃんが死んでからは部活も辞めて、取るものもとりあえず帰っているってわけ。
ところで学校から家までは歩きだ。
まあ、それだけ近いってことなんだけどね。
バス三駅分くらいか?
ちんたら歩いて、片道15分ってとこかな。
ドン
突然背中が叩かれた。
「痛ってー」
「よう、健宏、もう家に帰んのか? 」
俺の背中を叩いたのは源次郎おじさんだ。
「あれ? おじさん、もう帰んの? 」
「んなわけあるか、忘れ物取りに帰る途中だ」
「ダッセ」
「なんだと、このやろ」
頭をぐしゃぐしゃにされる。
「やめろよ、髪が崩れるだろ」
「じゃあな、姉ちゃんのこと頼んだぞ」
「わかってるって」
さあて、もうすぐ例の、降って湧いた危険地帯か。
とはいえ、今は二時過ぎ、遠目には車は通っていないようだ。
「ミャア」
なんだ、鳴き声?
背後から子猫が走り出て行く。
おわっと。
「待って、ブックナー」
女の子のたどたどしい声が背後から聞こえた。
「おわっ」
背後から女の子が子猫を追って駆けて行く。
「待ちなさい、沙耶」
野太いおっさんの声が背後から聞こえる。
ドン
ガクンと前のめりになる。
「ああ、すみません」
女の子を追いかけようとしたおっさんとぶつかったみたいだ。
父親だろうか、似てないな。
「あぶない」
今度は女の人の声だ。
おっさんのさらに背後から聞こえる。
女の子の母親かもな。
前のめりになってこけそうになった身体を数歩前に進むことで踏ん張った。
俺は前方を見た。
子猫が赤信号の横断歩道を走り去って行く。
女の子は赤信号を見て、少し戸惑ったようだが、子猫を追おうと足を踏み出す。
あぶねぇ。
嫌な予感がして前に進む。
背後を見るとおっさんは完全に立ち止まっている。
俺は走り出した。
今なら間に合う。
あと少し。
女の子の方へ飛び込むことで、突き飛ばすことに成功した。
よし、間に合った。
俺はタイヤの軋む音のする方を振り向く。
視界からはみ出て、トラックの正面が見える。
あっ、やっべ、自分のこと忘れてた。
そして視界が真っ赤に染まった。