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トリ


 チトゥイリは逃走車両の前で立ち止まり、ただコンクリートの地面を見つめ震えていた。それは感情が爆発する一歩手前、カチャカチャと握ったライフルが音を立てて、マスクの下からは涙が零れていた。その顔はヘッドギアとバイザーに覆われている、けれど彼女の表情がトリには分かった。

 チトゥイリは何度も、何度も首を横に振る。子どもが駄々を捏ねる様に、何度も。


「トリ、私やっぱり……ダメ、嫌よ、絶対に、死なせたくない――だって、だってッ、充嗣は、あの人は」


 言葉にすれば簡単だった、死なせたくない、生かしたい、犠牲になんてしたくない。心からの言葉が喉元まで出掛かっていた、溢れた涙がヘッドギアから染み出し足元に落ちる。トリは奥歯を強く噛み締め、チトゥイリに詰め寄るとその両肩に手を置いた。


「チトゥイリ、アジンの出血が酷いンだ、もう一刻の猶予もねェ、このままじゃ死んじまう、BANKERのリーダーが、死んじまうンだ、アイツは選んだ、俺とアジン、それにお前も、マルドゥックでさえも――皆を救う選択を選んだ、それはすげぇ事だ、今この時間だってあいつが死に物狂いで稼いでいる時間なンだ、チトゥイリ、お前言ったじゃねェかよ、俺に、一番やっちゃいけねェのは、感情に任せて動く事だってよッ――」


 チトゥイリの肩がぐっと握られる、トリは必死に我慢していた。せり上がる激情を何とか堰き止めようとしていた。チトゥイリはトリの言葉を聞きながらも、首を横に振っていた。まるで彼の言葉を否定する様に、何度も何度も。

 そして振り切れた感情がチトゥイリの胸を突き破って、溢れ出てしまう。バイザー越にトリの瞳を射抜き、涙で真っ赤に充血した目が見開かれた。


「けどッ、けどッ、トリッ、死んでしまうのよ!? あの、充嗣がッ、貴方は何も感じないの……!? ドヴァがッ、充嗣が死ぬって聞いて何も感じないと言うのッ!? 私はッ、私は絶対嫌よッ、アジンが死んでしまうのも嫌、けれど、充嗣が死んでしまう事も嫌、絶対に嫌ッ!」


 チトゥイリの感情が爆発し、悲鳴に近い声を上げる。トリはその言葉を真正面から受け止め、ヘッドギア越しに表情を憤怒に変えた。


「何も感じねェワケねェだろうがァッ!」


 ギチリとチトゥイリの肩に指がめり込む。

 チトゥイリに引っ張られる形でトリの感情の留め具が弾け、激流の様に口から言葉が飛び出す。その胸中には止めようの無い激情が込み上がっていた。


「アイツを置いて行くのに俺がどンだけ悔しい思いをッ、クソみてェな面下げて背中向けたと思ってやがるッ!? 戦友を、仲間をッ、相棒をッ!? テメェ可愛さに見捨てて何も思わねぇワケねェだろうがァッ!!」

「じゃあッ、じゃあ助けてよッ、今からでも助けにッ」




「無理なンだよォぉッ――!」




 絞り出した様な声だった、後悔に塗れた声だった。今までトリから聞いた事も無い、涙の滲んだ声だった。トリが大きく体を曲げ、視線が地面に落ちる。項垂れたトリは溢れ出す感情に身を焦がしながらも、辛うじて一歩分、理性が残っていた。


「アジンが死にかけて、英雄(バルバトス)も居て、戦車をぶっ壊すのに武器も使って、弾も無ェ、極めつけは馬鹿みたいに集まった畜生共、あんな数、とてもじゃねェけど、三人じゃ無理なンだ、()れンなら、俺とドヴァがとっくに()ってる、けど無理だった―― なァ、分かってンだろう、チトゥイリ? どうしようもないから、俺ァ此処に居るンだ、アイツが残ったンだ、俺達は、BANKERは………【敗北】しちまった……ッ!」


 トリの腕がスルリと、チトゥイリの肩から落ちる。BANKERの敗北、その言葉はチトゥイリ胸にストンと落ちた。BANKERは、私達は敗北した。

 だから充嗣は死んでしまうし、アジンは重傷を負ってしまった。


 手に持ったライフルが震える、その銃口を向けるべき敵がこの場に居ない事が、チトゥイリには我慢ならなかった。頭では理解している、自分がやろうとしている事はただの我儘で、自分が唾棄すべきと言っていた行動であることも。


 それでも。


 チトゥイリは項垂れたトリの肩を小さくトンと押し、トリの足が一歩下がった。項垂れていたトリが顔を上げ、チトゥイリを見る。互いの視線が交差し、涙に濡れながらも決意を秘めた瞳が光った。


「私は――私は、充嗣と一緒に死にたい」


 チトゥイリの表情は毅然としていた。先程の泣き顔を少しも連想させない、強い意志の宿った顔だった。トリは涙を零したままチトゥイリを見つめ、ぐっと拳を握りしめる。トリは心のどこかでこうなる事を予感していた、きっと彼女は充嗣と共に死を選ぶだろうと。

 理屈では無い、感情として理解していた。


「ごめんなさい、トリ」


 チトゥイリはそのまま踵を返して駆け出す。

 いや、駆け出そうとした。



「行かせねぇ――ッ」



 その背に飛び掛かったのは――トリ。

 駆け出そうとしたチトゥイリの背後から飛びつき、腕を回し、その首元を有らん限りの力で締め上げた。

 突然の絞め技に驚いたのはチトゥイリ、何より仲間からの突然の攻撃、チトゥイリの頭は余計に混乱した。前傾姿勢から体重を掛けられ、ギチッと首元を万力の様な力で締められる。

 視界がパッパッと点滅を繰り返し喘ぐように口元が開いた。呼吸が出来ず、首元がカッと熱くなる。


「あァ、ガ、あッ、ト、リぃ、何……をッ」


 チトゥイリは精一杯の抵抗でトリの腹部に肘打ち、同時に後頭部で勢いよくトリの鼻を打った。しかし事近接戦闘距離(コンバット・レンジ)に於いてチトゥイリは余りにも無力だった。トリと比較して筋肉量も、重量も、体格も、リーチも、戦闘経験でさえも負けている。そんなチトゥイリの抵抗はトリに言わせて貰えば、抵抗と言える程のモノですら無かった。鼻先を思い切り打たれても、トリは微動だにしない。

 ただその瞳だけは涙に濡れ、表情は歪んでいた。




――「BANKER(この世界)を頼んだ」




()かせるわけッ、ねェだろうがッ……!」


 トリの声は涙に濡れていた、チトゥイリを背後から締め落そうと一切の手加減もせずに、その首元を締め付ける。そんな行動を起こしながらも、彼の胸内には後悔と行き場のない怒り、悲しみだけが満ちていた。

 チトゥイリの首元を固定し、必死の抵抗を受けながらもトリは叫ぶ。それはチトゥイリに伝える為というより、自分に言い聞かせている様だった。


「俺ァ、アイツと約束したンだよォッ! 何が何でも生かすってッ、生かして帰すってッ! お前を充嗣の元に行かせたら、死なせちまったら、たった一つ――たった一つ結んだ約束さえもッ! それすらも守れねェ(クズ)になっちまうッ! アイツが、充嗣が命投げ捨ててまで守ろうとしたBANKER(モン)、俺だって命懸けて守ってやらなきゃぁ――じゃなきゃァ、俺はァッ!」


 チトゥイリの耳元で叫ぶトリ、チトゥイリはそれでも諦めなかった。懸命にトリの技から逃れようと体を動かす、しかし彼の巨躯の前では全て遊戯に等しい。徐々にチトゥイリの動きが激しくなり、それに比例して顔色が赤く染まる。振り回した拳がトリの米神を打つが、彼は全く動じなかった。


「ッ、あアァッ! ト、リィッ、離ッ――わた、はッ! 充嗣、にィッ!」


 チトゥイリは想い人の場所へと向かう為、全力で抗う。腕を振り回し、後頭部で何度もトリの顔面を打ち、全身で反抗の意思を見せる。

 しかしトリの締め付けはより一層苛烈に、更に力を込めた途端、チトゥイリの抵抗が徐々に弱まり、十数秒してカクンと体から力が抜けた。堕ちた(気絶した)、チトゥイリは完全に意識を飛ばしてしまった。両腕が力なく垂れさがり、トリの足を打つ。


向こう(地獄)でアイツにッ、どんな顔して逢えば良いってンだよ……ッ」


 トリが言葉を絞り出し、チトゥイリに掛けた腕を静かに抜いた。途端に崩れ落ちるチトゥイリの体、それを受け止めてトリは後悔の涙を流す。


 恨むならどうか恨んでくれ、恨まれる覚悟なら既にある。

 この行動を、理解してくれとは言わない。

 けれど、今自分達(BANKER)の命は自分だけのモノじゃない。

 【充嗣の重み】があるのだ。

 彼が文字通り必死で稼いだ時間、それで生き永らえた命は、もう自分だけのモノじゃない。

 だからこそ、充嗣の想いを聞いたトリ(自分達)には生きる義務がある。


 ……いや、それは自分のエゴなのかもしれない、誰かに責められた方が楽だからと。

 トリは首を振って涙を飛ばした、悲しむ事は幾らでも出来る、この依頼を『成功』させたら、何度でも涙を流そう、友を想おう、咽び泣き許しを請おう。

 けれど今は、今だけは――唯一無二の親友(とも)の為に。


 トリはチトゥイリの耳に装着されていた無線機を手に取り、自身の耳に当てた。


「マルドゥック……俺だ――トリだ」




 すみません、昨日投稿すると言っておきながら帰宅と同時に爆睡してしまいました。

 最近暑かったり寒かったり、どうにも気温が安定せず鼻水が止まらない……皆様も風邪には気を付けてお過ごしください。


 さて、この小説も終わりが近付いて参りました……次の投稿では主人公が最後の戦いに挑みます。


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