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チトゥイリ


 トリはアジンに応急処置を施した後、急ぎエレベーターシャフトを降りた。エレベーターシャフトは上下に長い空洞が続いており、遥か上空にエレベーターの箱が見えた。シャフト側面にはアジンとチトゥイリが空けたのだろ、大きな穴が空いており、向こう側には金庫室に続く回廊が口を開けている。


 自身の体とアジンに括りつけたワイヤーを調整し、トリは壁の向こう側へと降り立った。

 アジンの頭部にはガーゼと包帯が幾重にも巻き付けられ、極力揺らさない様にトリは細心の注意を払ってアジンの体からワイヤーを切り離す。


 シャフトから出ると、長い回廊が姿を現した。すぐ右手には巨大な金庫室のマンモス扉がその内部を晒し、左手にはかなり長い回廊の突き当りに地下駐車場が見えた。その壁は大きく崩れ、爆薬で吹き飛ばしたのだと分かる。分厚い壁を吹き飛ばす為にかなりの爆薬を使用したのだろう、壁や床には黒ずんだ痕が残っていた。

 その向こう側には逃走車両が鎮座している、奪える量が量だけに大型車両を用意したが、やはり周囲の車両と比べると少し浮いている。


「トリ!」


 トリがその場の現状を冷静に把握していると、聞き慣れた声が響く。声の方向に視線を向ければ、チトゥイリが銃を手にしたまま駆け寄って来た。チトゥイリのアーマーには弾痕が見えない、どうやら上手く上に戦力を集中させる事が出来たらしい。見渡せば周囲には血痕一つ無かった。


「先程から何度も無線で呼びかけたのだけれど、返事が無かったの、心配したのよ、上の状況は? 英雄(バルバトス)が来たとは聞いたけれど……」


 チトゥイリが質問を飛ばす、トリは自身の感情に蓋をして、静かにアジンに視線を向けた。チトゥイリは何かを口にする前に、釣られてアジンに視線を向け、その様子に口を噤んだ。じわりとガーゼと包帯に血が滲み、アジンの表情は増々青白くなっている。


「頭に一発食らった、狙撃手だ――急がねェとマズい」

「……えぇ、逃走車に乗せて、マルドゥックには私から言っておくわ」


 チトゥイリは努めて冷静にそう返し、耳元の無線機に指を当てる。トリは頷き、そっとアジンを担ぎ直した。早く医者に診せなければ取り返しがつかない事になる、その事をチトゥイリも感じていた。

しかしチトゥイリは、ふと一人足りない事に気付く。


 戦利品は先程全て積み終え、後は逃亡するだけ。大量の金、情報、札束は逃走車の中だ。それにアジンにも早急な治療を行わなければならない、けれどBANKER GANGが揃って居ない、その状態で逃走する訳にはいかなかった。仲間を置き去りにする何て事、このBANKERがする筈ない。

 チトゥイリとトリ、そしてアジンはこの場に居る――あと一人、チトゥイリの想い人の姿が見えなかった。


「トリ」


 チトゥイリは無線機に指を当てたまま、自分に背を向け逃走車へとアジンを運ぶトリに声を掛けた。互いに背を向け合っていて、しかし回廊に声は良く響いた。トリが足を止めて、「ンだよ」と答える。その声は心なしか、嫌に感情が抜け落ちていた。いや、抜け落ちてなどいない、ただ只管(ひたすら)その感情を隠しているのだ。


「――ドヴァは、どうしたの?」


 チトゥイリが静かに問うた。それは淡々としていて、何でもない様な質問の仕方だった。充嗣を信頼しているのだろう、単純に無線が通じないから、どこで何をしているのかという疑問だった。しかしチトゥイリも馬鹿では無い、この場に彼が居ない事を不可解にも感じていた。


 確信がある訳ではない、けれど何か途轍もなく嫌な予感がした。チトゥイリの勘はよく当たる、それが他でもない想い人の事であれば。

 トリは数秒ほど、その場に足を止めたまま沈黙を守った。それは嫌な沈黙だった、何かを躊躇っている様に、或は自分の暴れ狂いそうな感情を必死に沈めている様に。

 そして(ようや)く一歩踏み出すと同時、激情を秘めた声で答えた。



「プラン【F】だ」



 同じBANKERにはそれで十分だった。


 ビクンとチトゥイリの体が跳ねて、トリはそのまま静かに口を噤んだ。トリにはチトゥイリの胸の内が手に取る様に分かった。けれど今、自分が掛けられる言葉は無い、一体どんな言葉を吐けば良いのか。

数秒、けれど二人にとってはとても長い時間。

 チトゥイリは唯々、何度も呼吸を繰り返し、淡々と、感情を込めずに、言った。


「…………………そう」


 それだけ言って、チトゥイリは無線機から指を放した。そして踵を返すとトリを抜き去って、そのまま逃走車へと足を進めた。トリも続いて歩みを再開し、チトゥイリの後に続く。何でもない様に、まるで充嗣の結末を受け入れた様に、気丈で、無機質で、チトゥイリの姿はトリの目に薄情な奴に映った。


 けれど実際違う事を、トリは知っている。


 トリは見ていた、チトゥイリのブーツにポタポタと赤い点が生まれるのを。その肩は小刻みに震え、銃を握る手は真っ白だった。その手から赤色が流れ落ち、磨き抜かれたブーツを汚す。


 プラン【F】――マルドゥックの考案した計画一覧(プラン・ボード)に記載されている、騒乱、静寂、そのどちらからも派生し得るプラン。


 通称【BANKER FALL】


 マーフィーの法則。

 失敗する可能性があるモノは、必ずいつか失敗する。マルドゥックは常にその可能性を考えていた、常勝無敗、最強の部隊、しかしいつかは敗れる、それは明日かもしれない、明後日かもしれない。

 マルドゥックは全幅の信頼をBANKERに寄せていたが、敗北の可能性を必ず頭に残していた。そのマルドゥックがBANKER設立時に考案し、未だ一度も使われる事が無かったプランが【BANKER FALL】だ。


 内容は数的不利、或は撤退困難な状況に陥った場合、最も弾薬、体力、気力に余裕のある者が殿(しんがり)を努め、残りのクルーを逃がすというもの。逃走車両に乗り込んだクルーは殿の帰りを待たず撤退。


――そして最後に残った者に、帰還は許されない。


 勿論、己一人で突破できるのならばそれでも良い、全員を蹴散らして帰れるのであれば問題は無いのだ。しかし、BANKERが敗れた状況でそれは困難。四人で勝てなかったのに、独りで勝てる筈がない、圧倒的な戦力差、絶望的な戦況、そういう状況下でのみ適用されるプランなのだ。


 情報漏洩対策、或は拘束された場合の尋問で自白を強要されない為に。

 殿には自身の肉体を含めた証拠隠滅、自害が推奨されている。最も理想的なのは爆薬などによる自爆、死体が残らず、更に周囲も巻き込めば全てグチャグチャに混ざり合う為、身元特定は困難。

 死体が喋る事は無い。


 だからこそBANKERは決して負けない、何重にも策を張り巡らせ、万全の準備で強盗に臨む。戦いなのだ、負ければ死ぬ、自分も仲間も――誰も仲間を失いたくないから、負けられない、その想いが根本にはあった。


 チトゥイリは銃のグリップを強く握り締めながら、暴れ狂う感情に身を焦がしていた。或は少しでも気持ちが揺らげば、充嗣の元へと走り出してしまうだろう。アジンが倒れ、トリが撤退を決心した戦場だ、恐らく自分一人が飛び込んだところで何も変わらない事は理解している。

 けれどこれは感情の問題だった、だからこそ歯止めが利かないし――何より自制しなければならないと思った。


 自分の独断でBANKERを危険に晒す、それは最も愚劣な行い。

 充嗣の死は確定している、それは例え今を切り抜けようと、何であろうと、充嗣と言う男は、今日、ここで、死ぬ。

 チトゥイリは充嗣と言う男の事を良く知っていた、誰よりもBANKERを愛し、仲間を大切にしている事を、他ならぬチトゥイリは知っている。だからこそ彼が自分の命惜しさに自害を拒んだり、或は大人しく拘束されるなんて微塵も思っていない。きっと彼は最後までBANKERの為に戦い、BANKERの為に喜んで死ぬだろう。


 そこに躊躇いなど介在しない。


「ッ――」


 そう思った途端、涙が零れ落ちてしまった。

 死なせたくないと思った、何をしても、何を犠牲にしても、充嗣と言う男を生きながらせたいと思ってしまった。

 BANKERは大切だ、恐らくチトゥイリ――レイン・カルロナにとって唯一の居場所、そして家族同然の仲間達。けれど恋慕の情を抱いたのは充嗣一人、一人の女性として、BANKERの仲間として、彼の死は絶対に受け入れられない事柄だった。


 逃走車両に辿り着いたトリは、後部座席の扉を乱暴に開け放つと、アジンの体をそっとシートに寝かせた。ヘッドギアをそのままに、トリは悲痛な面持ちでアジンを見る。そしてふとチトゥイリの方へと視線を向け、更に顔を歪めた。


「チトゥイリ、お前……」



 本当なら次話も含めて、一話として投稿しようかと思ったのですが6000字オーバーだったので二話に分けました。

 明日も投稿出来ると思います。

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