鬼と成る
充嗣はトリの慟哭を無視した、振り返れば自分の足が止まると知っているから。
ただ一点、前だけを見据えてバルバトスの潜む支柱へと駆ける、その瞳に迷いの色は無かった。
狙撃を警戒し大きく迂回して姿を見せた充嗣に、バルバトスは応急処置を施した首元を軽く叩き、具合を確かめる。首に巻かれた応急布は赤く染まり、バルバトスの表情は心なしか青白く見えた。
「――仲間割れはもう良いのかい、ミツグクン?」
「――あぁ、もう十分だ」
充嗣はブレードを構えたまま、逆の手でヘットギアを掴んだ。
そして思い切り捲り上げ、自身の素顔を隠していたソレを投げ捨てる。抑えられていた黒髪が舞い、汗と血が混じった光が流れた。
小さな金属音と布音、床に落ちたそれをバルバトスはじっと見つめながら、静かに充嗣へと視線を向ける。何かを問いかける様にバルバトスは充嗣と視線を交わらせ、静かに闘志を漲らせた。
充嗣が自身の身元を隠す最後の砦、ソレを脱ぎ去った意味。強盗が仮面を脱ぎ去る理由など、大して多くは無い。追い詰められ、全てを諦めた者が諦観の意味で脱ぎ捨てるか。
或は――
「……私は、一番戦いたく無い国は何処だ聞かれれば迷わず【日本】と答えるよ、彼らはいつも平和ボケしていて、日和見主義の癖に、その血には侮れない強い意志が宿っている、そう何て言ったかな――」
神風、だったか。
バルバトスがその言葉を口にした瞬間、充嗣は全身全霊を込めた突進を開始した。自身の脚力、重量、筋力補助も併せ驚異的な加速を開始、フローリングを踏み砕き瞬く間にバルバトスへと肉薄した。
ソレは正しく鋼鉄の塊だった、バルバトスは辛うじて反応し充嗣の体を受け止める。ガチンッ! と表面の装甲板、トラウマプレートが衝突し金属音を掻き鳴らす。小さな火花が摩擦で弾け、一瞬バルバトスの巨体が宙に浮いた。
凄まじい衝撃がバルバトスを襲い、思わず肺の空気が漏れ出す。
充嗣の体格からは予想も出来ない怪力、それもトリを遥かに凌ぐ力だ。ここに来て充嗣は本来の怪力に筋力補助、更にスキルの底上げに加え死を恐れぬ鬼人と化し、正しく鬼の様な怪力を発揮した。消える間際の蝋燭は一段と強く燃え盛ると言う、充嗣は正にその状態であった。
BANKERの怪力と言えば三番目を思い浮かべていたバルバトスは、予想外の威力に浮足立った。いや、その余裕さえ無い。途轍もない力に押し込まれ、突進の威力を殺すどころか足を止める事すら叶わなかった。
「ッのォぉォおオおオオッ!」
充嗣が叫び、半ばバルバトスを肩で押し上げたままグングンと距離を伸ばす。自身の重量とバルバトスの総重量を足して尚、その脚力は殺されなかった。バルバトスは必死に呼吸を繰り返しながら、充嗣の後頭部目掛けて肘を落とす。ゴッ! と鈍い音と共に確かな手応えを感じたが、彼が終ぞ止まる事は無かった。
「っ、まさかァッ――」
バルバトスは充嗣の背に不退転の覚悟を垣間見た。仮面を脱ぎ捨てたのは、自身の退路を断つため、逃げるという甘えを掻き消す為の儀式。自身が歩むのは地獄への片道、そこに戻る為の道はない。
祝杯を挙げるBANKERの中に、もう充嗣は存在しないのだ。
この命は既に諦めた――であれば、何を恐れようか。
「あぁァアアッ!」
「ぐブッ!?」
ガゴンッ! と背後から何かが凹む音、バルバトスがBANKER突入時に使用したバンに衝突し、側面が大きく歪み、車体が揺れた。バルバトスが隠れていた支柱からは三十メートル程か、それほどの距離を充嗣は二百キロ超の重量を己が足で押し込んで見せた。そのまま充嗣はブレードを持たない手でバルバトスの腕を掴み、あらん限りの声で叫ぶ。
ミチミチと悲鳴を上げる腕を黙らせ、筋力補助が急激な負荷に金切り声を上げる。強化外骨格の関節部位に差し込まれていた金具が弾け、同時にバルバトスの巨体が凄まじい速度で宙を舞った。充嗣は己の怪力を十全に発揮し、その重量を片腕で放り投げて見せたのだ。
その方向には、今正にバンク・オブ・アメリカへと踏み込もうとしていたハウンド・ドッグ、その先鋒である盾持ち隊員の列。飛来するバルバトスの影に、着弾地点に居た隊員は驚きで身を固める。
その次の瞬間には構えた盾へと巨体が衝突し、そのまま隊員諸共階段を転げ落ちて行った。さすがに二百キロ近い重量を受け止めることは不可能だったらしい、後続の隊員も雪崩に巻き込まれモーゼの如く中央が割れる。
充嗣はその光景を見つめながら静かに息を吐いた。ハウンド・ドッグの群れを睨み、光る無数の瞳に負けじと強く歯を食いしばる。転げ落ちた隊員達には目もくれず、充嗣の素顔を忘れまいと殺意と共にこちらを見るハウンド・ドッグの連中と対峙した。
どうやら、現世で得られなかった絆の代償は高いらしい。
だが、怯みなどしない。
仲間に鉛弾を撃ち込んでくれた礼をせずに、逝ってたまるものか。
「皆殺しだ」
充嗣を中心に、凄まじく濃い殺気が周囲に撒き散らされた。
その声は余りにも小さく、対峙するハウンド・ドッグに届いたかも怪しい。しかし、対峙する隊員は充嗣の異様な雰囲気に肌が泡立ち、ブルリと体を震わせた。アジンを負傷させた怒り、ハウンド・ドッグに対する憎悪、そして己が命の終わりを悟った今、充嗣はそれらを純粋な殺意に昇華させ、殺すという行為だけに全神経を注いでいた。
しかし、その濃厚な殺意に晒されながらもハウンド・ドッグは怒号を上げる。元々死の恐怖などあって無いモノ、彼らは幾度となくBANKERと拳を交え、隣人が死んで行った。殺気で体が震えようが何だろうが、彼らは戦う事を辞めない。BANKERという存在が目の前にある限り、決して銃を手放さない。
充嗣はその事を良く知っていた。だからこそブレードを腰だめに構え、そのままハウンド・ドッグの群れに突っ込む。
臆せば死ぬ、それは死地に活路を見出すBANKERだからこそ知っている戦場の鉄則だった。
対してハウンド・ドッグは割れた中央をカバーする様に、左右に並んだ盾持ちが素早く互いの間を詰めた。ガチン! と盾の縁が音を鳴らし、盾が横一列に並んだ。隙間が無くなり、充嗣の入り込める隙が消える。
充嗣はその光景を目にしながら、構うものかと盾に突っ込んだ。衝突の瞬間に備えて盾持ち隊員が腰を深く沈めた瞬間、ブレードを目前に突き出す。突き出された灼熱の刃は瞬く間に盾を溶解し、ジュッ! という短い音と共に先端を隊員の腹部にめり込ませた。
隊員が大きく体を折り曲げた瞬間、トリガーを引き絞ってブレードを射出。刃がより一層深く食い込むと同時、充嗣はトリガーを引き戻しながら左腕をポーチから抜き出した。取り出したのは攻撃手榴弾、破片を周囲にばら撒く破片手榴弾では無い、爆発の衝撃で殺傷する手榴弾。
充嗣が片手で安全ピンを引き抜くと、ピンにより固定されていた撃鉄が開放、安全レバーを弾き飛ばして信管に点火。それを小さく下投げで頭上に放り、丁度盾持ちの後ろ側へと落下する様に調整した。
弧を描いて宙を舞うソレを、ハウンド・ドッグの隊員が目敏く見つける。しかし投げ返す暇は与えない、点火から爆発までの時間は凡そ三秒、充嗣は敢えて高めに手榴弾を投げる事によって投げ返される可能性を潰した。
「手榴――」
誰かが叫ぼうとした瞬間、落下した攻撃手榴弾は盾持ち隊員の背後で炸裂。範囲こそ狭いものの、衝撃は人の耳や目、内臓を震わせる。充嗣は投擲と同時に盾を蹴って距離を取り、目と耳を塞いだ。敵の前で視覚、聴覚を自ら遮断し衝撃に備えていたのだ。塞いでいても分る、鼓膜を劈く音、そして臓物を持ち上げる衝撃。
盾持ちの隊員と後続が顔を顰め、一様に動きを止める。至近距離に居た隊員は衝撃によって地面を転がり、盾が金属音を立てて崩れた。
充嗣の行く手を阻む物はなくなった、ブレードを引き戻し敵群へと斬り込む。倒れた隊員の顔面を踏み潰し、跳躍。前方で目から出血し、むやみやたらと銃を振り回していた隊員に飛び掛かった。
ブレードを首に突き入れ、体ごと押し倒す。半ば馬乗りになる様な形で隊員を地面に叩きつけた。ゴギッ、と全重量の集った膝が隊員の両腕を砕き、同時にブレードを横に薙ぐ。首が半分切断され、隊員は暗闇の中息絶えた。
そのまま息絶えた隊員を見下ろし、立ち上がると周囲のハウンド・ドッグへと斬り掛かる。首を裂き、胸を突き、顔面を溶断し、ただ狂人の様に突き進む。至近距離での発砲は味方への誤射が多く、ハウンド・ドッグは満足に銃も使えない。しかしそれはハウンド・ドッグ側の話であり、充嗣にとってはどうでも良い話。
好きに暴れ、好きに殺せる、それは正に鬼の様な奮闘だった。
明日も投稿します




