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男達の夜


「おう、充嗣遅かったバらァ!?」


 充嗣は殺風景なセーフハウス一階玄関口で一服しているミルとロールを見つけた。優雅に煙草を咥え、夜空に向かって煙を吐き出しているロールを見て我慢できなくなり、自分を見つけて笑っているロールの顔面を助走付きでぶん殴る。その幸せそうな笑みが無性に腹立たしかった。未だ先端しか燃えていない煙草はロールの口から吹き飛び、そのまま黒いアスファルトの上に落ちた。

 ロールは奇声を上げてぶっ飛び、歩道に転がって「デンジャラァス、デンジャラース」と呟いている。充嗣がロールを殴り飛ばした姿勢のままミルを見ると、彼は咥えていた煙草を指に挟み、そのまま両手を挙げて降参のポーズを取った。


「なぁミル、お前気付いてたよな?」

「ん……まあな」

「何で言ってくれなかったんだ、お蔭でレインとキリアの修羅場に巻き込まれるところだったぞ、いや、もう巻き込まれたんだが」

「何事も経験、お前はもう少し自分の評価を知っておくべきだ」


 ミルが両手をカクンと落とすと、そのまま煙草を咥えて壁に背を預けた。殴り飛ばされたロールは転がった状態からゆっくり起き上がり、頬を擦りながら「充嗣、お前、本当に容赦ねェな……」と辟易した表情を見せる。充嗣はふんと鼻息荒く、「自業自得だ」と吐き捨てた。それでもロールは何でもない様に立ち上がり、胸ポケットから代わりの煙草を取り出す。

 充嗣が全力で殴ったところで、殺す気の無い拳などロールの耐久力(タフネス)の前では蚊に刺されたと同じレベルだ。事実、その頬は赤くすらなっていない。


「それで、自分の評価って一体何だよ」

「あん? そりゃお前、マルドゥックの私兵(プライベート)から充嗣が人気って事だろうさ」


 充嗣がミルに視線を飛ばして問いかければ、その問いに答えたのはロールだった。スーツに付着した汚れを手で払いながら、何を当たり前の事をと言いたげに充嗣を見る。


「俺が? マルドゥックの私兵(プライベート)から人気って、それはまたどうして?」


 疑問しか湧かない、何故自分がマルドゥックの私兵に人気なのか。それを言うなら、同じBANKERであるロールやミルが持て囃された方がまだ納得できる。その考えが表情に出ていたのだろう、ミルはどこか仕方ない奴だという雰囲気を滲ませながら口を開いた。


「なに、BANKERだからと言う理由もあるが、もっと身近な人間が理由だ、マルドゥックの下に居る雇われから口伝いに広がったという話だが、前々から充嗣は人気だったからな」

「嘘だろ、ミル」

「マジだ充嗣、俺も何度か私兵(プライベート)に充嗣の事聞かれたし、あのメイド、何だっけ……そう、ヴィクトリアだかなンだか――アイツの報告書で随分評判だったらしい、それで下火だった人気が一気に噴き出したって話らしいぜ」


 ミルもロールも嘘を吐いている様子は無い、充嗣はヴィクトリアが家に来たばかりの頃のやり取りを思い出していた。そう言えば彼女が家にやって来た当日、10,000,000の入ったクレジットカードを押し付けたり、完全週休二日制にしたり、有給も取り入れたり、ボーナスを設定したりなどかなりホワイト待遇に気を使った。充嗣が前の世界で散々働かされた為、せめて自身の庇護下に入る人間には快適に日々を過ごして貰いたいと思ったからだ。

 どうやらその甲斐あって、ヴィクトリアからの評判は上々らしい。元より愚痴や意見を口にする様なタイプでは無かったが、待遇に満足しているのを知れたのは良かった。しかし問題は、その報告書とやらの内容が私兵(プライベート)に伝わっている事だ。


「何でヴィクトリアの報告書が私兵に……」

「まぁ、マルドゥックの私兵軍隊プライベート・フォースは団結力が売りだからな、私生活でもその空気が抜けないんだろう、個では無く群で、ありとあらゆる障害を排除する――そう言う意味じゃ、俺達BANKERがマルドゥックの一番最初の私兵軍隊(懐刀)って事になる」


 個では無く群で動く。戦闘単位としては素晴らしい意識なのだろうが、それを私生活にまで持ち込まないで欲しい。ヴィクトリアは元軍人だと言っていたし、前属はマルドゥックの私兵(プライベート)だったのかもしれない。その線から考えると、昔の馴染みを中心に広がったと言われても違和感が無い、予想が正しければだが。


「元々女性の気配が無い充嗣を狙っていた奴も多い、それが表面に出て来ただけだ」

「いや、分かっていたなら尚更教えてくれよ」


 表面に出てきたと理解しているのなら、それにレインが食い付くのは目に見えているだろうに。彼女の性質はミルとて分かっている筈だ。

 充嗣がミルに苦言を呈すると、肩を竦めた彼は「修羅場も経験」とそっぽを向いた。彼らしくも無い、茶目っ気の効いた動作である。そのまま煙草を口に咥えると、全身から力を抜いて本格的に休息モードに入ってしまった。この状態のミルに何を問いかけても無駄だ、彼はオンとオフの切り替えが極端なのだ。

しかし、よく見れば煙草を咥えた口元が僅かに緩んでいる。ミルは自分が修羅場に放り込まれて困惑していたのを見て、楽しんでいたに違いない。充嗣はそう確信した。


「――この悪魔め」

「ふふん、何とでも言ってくれ」


 充嗣の悪態にどこ吹く風、飄々とした態度を崩さないミルに充嗣は溜息を吐いた。

充嗣が不機嫌そうにポケットに手を突っ込み、ミルと揃って壁に凭れ掛かる。するとロールは眉を下げて「機嫌なおせって、ホラ」と目の前に煙草を差し出して来た。充嗣が「煙草は吸わないんだ」と言うと、「こういうのは雰囲気を楽しむんだよ、雰囲気、別に肺まで吸わなくても良い、吹かすだけでも違うぜ?」と更に突き出して来る。どうやら是が非でも吸わせたいらしい。


「……分かったよ」


 充嗣はロールの言葉に折れ、渋々煙草を一本抜き出す。そのまま口に咥えると、ロールが「ほれ」とライターで火を点けてくれた。着火に合わせて息を吸い込むと、独特の風味が舌に染み込む。肺の方まで吸い込まない様に気を付けながら口の中で煙を味わうと、そのまま夜空に向かって噴き出した。

 充嗣の隣にロールが笑いながら並び、そのまま三人揃って煙草を吹かす。

 深夜のセーフハウス――寂れたバーの前で煙草を吹かすスーツの男が三人。何とも寂しい絵面では無いか、この直ぐ下には豪華なパーティーが開かれているのに。見える景色と言えば、寝静まった何もない町と錆びた街灯、ポツポツと輝く星に丸い月。それらが充嗣達を囲む全てであり、見ていて楽しいモノなの一つも無かった。

暗い夜空に白煙が消えていく。


「へへっ……」


 充嗣が悲しい感傷に浸りながら煙草を味わっていると、不意にロールが声を上げて笑った。充嗣が視線を向ければ、何が楽しいのか、屈託のない笑みを浮かべるロール。


「どうした、ロール」


 ミルも同じ疑問を持ったのだろう、充嗣を挟んで声が飛んだ。ロールはミルの言葉に、「いや、なんでもねェよ」と口にする。彼の視線の先に何かあるのかと思えば、ロールが見上げているのは見慣れた夜空だ、何も面白い景色は無い。


「変な奴だ」


 ミルがそう言って煙草を吸い込み、また口元を緩める。充嗣も手元のソレを少しずつ灰へと還すと、何となく笑いたい気持ちになった。別に何が面白いとか、何が楽しいとか、そう言う訳ではないけれど、本当に何となくだ。


「今度は幾ら稼げるか、楽しみだぜ」

「……ったく、お前はそればっかりだな」


 ロールの言葉に充嗣が苦笑いを浮かべ、ミルが珍しく笑い声を上げた。こういう時間も偶には良い、充嗣の胸中に現実では到底味わえない温かい何かが生まれる。充嗣はそれを言葉で表す術を持っていない。けれど、それで構わない、それは自分の内側にのみ存在する、心地よい感情だった。


 そうして男三人だけの夜は更けていった。




 余談だが、この後充嗣はレインに掴まり、死ぬ直前まで相手をさせられた。後日現れた真っ白な充嗣に、流石のミルも反省したと言う。




次回よりメガバンク襲撃です

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