女の戦い・男の逃亡
「れ、レイン、どうしたんだ」
「いえ―― 私の想い人が他の女に口説かれている様に見えたから、思わず、ね?」
ニコリと笑って、最後の方は視線をキリアに向けていた。その眼光は仲間に向けるモノでは無く、どちらかと言えばハウンド・ドッグに向ける様な光を秘めている。その眼光を向けられたキリアは一瞬顔を強張らせ、一歩後退った。流石の精鋭といえど、BANKERクルーの誇る眼光には本能的な危機を覚えたらしい。
「人のモノに手を出すのは良くないわ、確かに充嗣は格好良くて、素敵で、お金もあって、肉体的にも精神的にも強くて、芯のある素晴らしい人よ、けれど、その隣に立つならそれ相応の覚悟を――」
「ま、待てレイン、待ってくれ」
充嗣は今にも殴り掛かりそうな不穏な空気を発するレインの手を掴み、キリアから数歩離した。そして料理を近くのテーブルに置くと、その肩を掴みながら「どうしたんだレイン、彼女とは、少し話していただけだ」と口にする。しかしレインは寧ろ笑みを深くして、「あら、そうなの?」と充嗣を下から見上げた。
「別に貴方が話すだけのつもりだとしても、彼女の方はどうかしらね? あわよくば一晩を共に……なんて考えているんじゃないかしら」
「待て、何故そうなるんだ」
レインの突飛な思考に充嗣が戸惑っていると、背後から「あ、あのっ」とキリアが声を上げた。彼女の顔色は優れないが、しかし瞳だけは強い光を湛えている。それを見たレインが充嗣を押し退け、高圧的に歩み寄る。その表情は鬼も恐れる羅刹の様な雰囲気で、思わず止めようとした口が塞がった。
「レイン様は、充嗣様の恋人なのですか」
「いいえ、違うわ」
キリアの言葉にレインは首を横に振り、「なら」とキリアは言いかける。しかし、レインは勝ち誇った様な表情でキリアの言葉を断った。その表情は実に美しく優越感に輝いている、充嗣が自身のモノであると確信している表情だ。
「恋人ではなく―― 婚約者よ」
その言葉に、ぐっとキリアは口を噤んだ。しかし負けじとレインを視線で射抜き、口元を緩める。彼女も元より、そう簡単に引き下がる気は無いようだった。BANKERのクルーを相手に勝負を挑む姿勢から、キリアの強い覚悟が伺える。
「レイン様、BANKERとしての貴方を私は尊敬しています、しかし――」
男を束縛する女なんて、所詮底が知れていますね。
キリアの言葉に、レインの体がピクリと反応した。そして忽ち体から立ち上る怒気、それを真正面から受け止め、キリアは冷汗を流しながらも笑っていた。充嗣と言えば、突然勃発した女の戦いに右往左往し、そうだ、BANKERのクルーに助けを求めようと会場を見渡した。しかしロールとミルの姿は見当たらず、会場に居る他の男性私兵達も皆示し合わせたかのようにそっぽを向いていた。
まるで、関わったら死んでしまうとばかりだ。
しかし、一部の女性私兵はじっと充嗣達を見つめていた。その表情は何かを期待する様な、エールを送っている様な表情で、充嗣には一体何を訴えているのか分からなかった。何だ、一体この場で何が起こっているというのだ。
「アナタ……中々言うわね、面白い挑発だわ―― 名前を教えなさい」
「……キリアと言います、レイン様」
「そう、ではキリア、何故貴女は充嗣に声を掛けたの?」
「それは勿論、充嗣様を慕っているからです」
「へぇ」
レインの眼光が更に細まった、それは最早鋭利な刃物の様で、対峙するキリアを正面から抉る。パッ見危ない人間にしか見えないレインに対し、充嗣はここにきて半ば思考放棄を始めた。自分が仲裁に入っても碌な未来が見えなかったからだ。それにキリアの言葉に対し、レインが対抗意識に近い物を持ち始めたからという理由もある。
こうなった彼女は止められない、充嗣は自分の上に跨り七度自身のアレを搾り取った彼女の姿を思い出していた。女性と言うのは兎に角、充嗣が制御できる範疇に存在しない。特にこの裏世界に住んでいる肉体的にも精神的にも強い女性達は。
もしや、ミルやロールはこの事態を予期して逃げ出したのでは無いかと充嗣は気付いた。でなければ今、この場に二人揃って居ない理由が説明できない。先程まで二人一緒に酒と料理を堪能していたと言うのに。だとしたら何故一声掛けてくれないのか、言ってくれれば充嗣もすぐさまこの戦場の様なフロアから逃げ出したと言うのに。充嗣は心の中で自分を見捨てた二人に恨み言を放った。
「婚約者の前で堂々と愛の告白? 素敵ね、相手が充嗣じゃなかったら拍手の一つでもしてあげたわ」
「男性は女性一人じゃ物足りないと聞きます、どんなに美人でも飽きは来ますから――充嗣様の故郷の言葉に『美人は三日で飽きる』という言葉が存在します、なら、もう一人位【愛人】が居ても良いのでは?」
「――そんな事、この私が許すとでも思っていて?」
「――それこそ、レイン様の底が浅い所以です」
充嗣は逃げ出したかった。渦中に居ながらも、この気まずい空間から今すぐ逃げ出したかった。好かれているのは素直に嬉しいのだが、充嗣は事恋愛に関しては経験値が非常に低い。修羅場を潜り抜ける方法なぞ知っている筈がないのだ、この場を丸く収めるどころか、下手すれば火に油を注ぐ形になってもおかしくなかった。
二人はバチバチと火花――いや、最早雷光と言っても差し支えない。相手を殺してでも奪い取るという気迫が気配として感じ取れるレベルだ。そんな睨み合いを演じる二人から、充嗣はそっと一歩、また一歩と後退った。三十六計逃げるに如かず、逃げるが勝ち、困った時は取り敢えず逃亡せよ。
今の充嗣の顔つきは最早優男のソレでは無く、静寂時に見せる本気の表情だった。手足を連動させ布の摩擦音さえ起こさず、まるで平行移動する様に二人から離れていく。殺戮の為に磨いた技巧を、躊躇なく修羅場の逃走の為に使う。周囲の私兵から「おぉ……」と小さな感嘆が漏れ、充嗣の無駄の無い無駄な超絶技巧が私兵の多くに披露された。
充嗣の本気ステルスは功を無し、幾つかある扉の内の一つに辿り着く事に成功する。二人は未だ充嗣の逃亡に気付いた様子は無い、どうやら目の前の相手にご執心らしい。扉をそっと音も無く開け放ち、未だ「愛人」だの「婚約者」だの「一夜の過ち」だの言い争っている二人を尻目に充嗣はフロアから抜け出した。
背後に突き刺さる女性私兵の視線は気付かなかった事にする。
※以下、世界観の破壊行為があります ご注意下さい
美少女☆強盗団 『ばんかー!!』
ある日、充嗣が強盗前のミーティングを行う為にセーフハウス地下へと足を進めると、地下にはレインの他に見た事も無い美女が二人居た。両方とも充嗣が今まであった中で、一度も顔を合わせた事が無い女性。一度見たら忘れられない様な顔をしているのに、充嗣には覚えが無かった。
マルドゥックやBANKER以外滅多に目にしない空間で赤の他人を視界に入れた充嗣は、困惑の表情を張り付ける。いつも通り平然と壁に寄り掛かっているレインに、「レイン、あの二人は誰だ、マルドゥックの私兵か?」と問いかけた。
すると彼女は疑問符を頭上に浮かべ、「一体何を言っているの」と首を傾げる。
「おいおい、充嗣、お前何言ってンだ? ボケるには早すぎるだろうがよォ」
充嗣の声が聞こえたのだろう、所在無さげに天井を見ていた美女が充嗣に声を掛けた。
燃える様な赤髪に、充嗣よりは背は低いものの百八十に届くであろう身長。そして嫌に肉感的なボディを誇る女性だ。充嗣は彼女の話し方に聞き覚えがあり過ぎた。
女性はニィっと口元を緩めて、自分を指差して言う。
「俺だよ、オレ、ロール・アガンツだ、それともお前なりのジョークか?」
「………冗談だろ」
充嗣は唖然とした。
あの巨躯脳味噌筋肉が、こんな赤髪活発美女に変身した?
言われてみれば確かに、辛うじてロールと似通った部分は見受けられる。その雰囲気や口調、女性にしては大柄な体型や筋肉質なところなど、確かに彼にそっくりだ。
そして気付く、この赤髪美女がロールだとすれば、向こう側に居るのは――
「……ミル、か?」
「如何にも、ミル・ハーゲンだけれど?」
ソファに座って足を組んでいる銀髪の女性、髪型はツインテールで、体型は何ともダイナマイトボディと言った風だ。出る所が出ていて、引っ込んでいる所は引っ込んでいる。気が強そうなツリ目も、彼の面影を残していた。彼女は手元のタブレットを操作しながら、淡々と告げる。
「充嗣、貴方一体どうしたの? そんなジョーク、貴方のガラでは無いでしょう」
「く、口調が……」
女になってる。
充嗣は自身の足元がグラグラと崩れていく錯覚を覚えた。
「嘘だッ!?」
「はぁッ………はァッ………」
「はぁ………」
「…………」
「………良かった、夢だ」




