藤堂家の食卓
祝勝会が終わり、各々が帰路についた頃。マルドゥックが雇った掃除屋が今回の装備を破棄する為に回収車を回し、それに合わせて解散。充嗣は自身の自宅であるマンションへと足を進めていた。レインからこの後自宅で一緒に食事でもどうかと誘われていたが、丁重に断った。一週間後に逢瀬の約束を交わし、何とか勘弁して貰ったというところか。今はレインと楽し気に食事が出来る気分ではない。
充嗣の思考は今、メガバンク襲撃に絞られている。
言ってしまえば、充嗣は次の依頼で【死ぬかもしれない】と本気で考えていた。
メガバンク襲撃をマルドゥックから聞いた時は、場の雰囲気に呑まれ「やってやる」という気概を持った充嗣だったが、一度強盗を経て冷静になった頭で考えてみれば、メガバンク襲撃などゲーム時代でも困難な依頼の類だ。
熟練プレイヤーが四人集まり、吟味された武装を持って挑戦し、漸く依頼達成出来るかどうかというレベル。
ゲーム時代の話ではあるが、第四段階難易度と、最高難易度では天と地の程の差があった。隊員の数や武装の種類など、そう言った面での難易度調整も勿論あったが、その実最も変わるのが【敵の耐久値・攻撃力】である。簡単に言えば恐ろしく硬く、そして恐ろしく火力が高くなる。
ゲームで最高耐久値を誇るアイアン・アーマーは第四段階難易度であれば、スキル全開強化で百発程度の弾丸は耐えられる。更にパークもアーマーに割り振れば殆ど無限に攻撃を食らっても問題無かった、無論あまりにも敵が多ければ抜かれるが、二、三人程度の火力であれば余裕で耐える。
しかし最高難易度ではその限りでは無い、下手すれば隊員一人の攻撃ですら致命傷となる。通常火力で言えば、難易度ノーマルの火力から凡そ五倍した値。それが最高難易度の火力だ。
口径も変わらないのに、火力がそうも変わるのか?
現実世界も含めたこの世界で、充嗣はそう首を傾げる。しかしその問いに関しては、既に解答を見つけていた。充嗣のアーマースキルが適応されているのならば、敵の火力、耐久力に補正が掛かっても何らおかしくはない。つまり、依頼の難易度に合わせて敵が強化されても全く不思議はないという事。
その馬鹿みたいに強化された火力を持った敵が、蟻のように群がって来る。更にこの体は現実のもので、キーボードで操作する訳でも、マウスクリックで攻撃する訳でも無い。同じように指でトリガーを引き、己が足で駆けるのだ。
ゲーム時代でも困難だった依頼を、果たしてこの世界でクリア出来るのだろうか。
それも、一発勝負で。
自宅に向かっていた充嗣の足がピタリと止まる。通常ならタクシーでも拾ってさっさと帰るか、ヴィクトリアに送迎を頼むのだろうが、今は無性に歩きたい気分だった。周囲を見渡せば寝静まった町が広がる、時刻は深夜で街灯の光だけが辺りを照らしていた。
空を見上げれば暗い色、星々が力なく輝き三日月が自分を見下ろしている。
「……必要なのは馬鹿みたいに硬い防護服と、装甲を撃ち抜ける銃、大量の弾薬に地雷も、医療バックも必要かな」
この世界での唯一の救いが、ゲームの中でも現実性がある事だろう。幸い、幾ら弾薬を持ち込んでもチートにはならないし、準備期間は一ヵ月程ある。限られた装備の中で戦うのではなく、自身が持ち得る財力を使って際限なく成功率を上げる事は出来る、だからやってやれない事は無い。
ただ、しくじれば自分は死ぬ。
リスタートはない。
自分は今、最も困難な依頼に挑もうとしている。
「まぁ、やるだけやってやろう」
自分とて訳も分からぬ内にこの世界へと来た口だ、何もせず粛々と死ぬつもりはない。生きる方法があるのであれば、自分はそれを選ぶだろう。
空を見上げた視界を前に向け、充嗣はそのまま帰路を行く。少しだけ覚悟を決めた足取りは僅かばかり軽かった。前だけ見据え、ただ歩く。
その背後に誰かの影を残して。
☆
「おかえりなさいませ、巳継様」
ゆっくりと帰宅した充嗣を出迎えたのはヴィクトリア、夜も深い時間帯だと言うのに、どうやら起きて待っていてくれたらしい。充嗣はその事に驚きながらも、「あぁ、ただいま」と彼女に微笑みを返した。一仕事終えた後に、美女が自宅で待っていてくれると言うのは、中々どうして疲労に勝るものがある。
「ご依頼達成、おめでとうございます」
充嗣を出迎えるや否や、ヴィクトリアは満面の笑みでそんな事を言う。それは充嗣が依頼を失敗すると欠片も思っていない笑みだ。
「何だ、まだ成功したか言っていないのに」
充嗣が肩を竦めてそう言うと、ヴィクトリアは「いいえ」と力強く首を横に振った。
「巳継様が此処に帰って来て下さったという事は、依頼を達成したという事―― それに、BANKER GANGが敗北するなど、微塵も考えられませんから」
自信満々に、それこそ自身の事を誇る様にヴィクトリアは口にする。そう言われると、何だかむず痒い様な、照れるような、そんな感情を充嗣は覚えた。僅かに緩んだ表情で、充嗣は「ありがとう」と告げる。照れはするが、純粋な信頼を向けられて喜ばない筈がない。
「湯浴みと、食事の準備は出来ています」
「あぁ、実は祝勝会では酒ばかり飲んでね、腹ペコなんだ、食事を貰っても良いかな?」
「勿論です」
ヴィクトリアは嬉しそうに頷く。彼女に促されて充嗣はリビングへと足を進めた、其処にはテーブルに所せましと並べられた料理の数々。見覚えのあるモノから無いモノまで、どうやら奮発したらしい。その数に充嗣が驚いていると、「少し、張り切ってしまいました」とヴィクトリアが恥ずかし気に俯いた。
中には日本料理の代名詞である寿司の姿もある、他には柔らかそうな肉を用いたステーキやフルーツの山盛り、湯気を立てるポタージュや綺麗に並べられたパンも。どれもこれも食欲を掻き立てるものばかりで、近くにはワインクーラーに浸されたワインボトルもある。充嗣はそれらを見て、胸の奥から温かさが滲み出た。レインとの食事は断った充嗣だが、自身のホームという環境が心に余裕を作る。
「ヴィクトリア、一つお願いがあるだけれど」
「えっ―― あ、勿論です、何なりとお申し付け下さい」
充嗣が一つ、要望を口にしても良いかと問えば、俯いて恥じらっていたヴィクトリアは直ぐに顔を上げ、充嗣を真摯に見つめ直した。
「一緒に食事がしたい、付き合ってくれないか?」
充嗣は笑みを浮かべ、自身を見るヴィクトリアにそう言った。それを聞いた彼女は最初、驚いたように目を見開き、それから困った様に「えっ……と」と視線を彷徨わせた。メイドや執事といった使用人は、基本主人と同じ食事テーブルに着く事は無い。そこに他ならぬ主人から「一緒に食べよう」と言われ、困り果てていた。メイドの教えと主人の要望がかち合ってしまったのだ。
充嗣は単純にヴィクトリアと食事がしたいと思った、他にも、この量は一人で食べきれないという考えもあったが、共に過ごして何ヶ月も経つヴィクトリアと一度も食卓を囲えない事に一抹の寂しさを感じたのだ。
「この量は流石に一人では食べきれないと思う、それに俺がヴィクトリアと食事をしたいと思ったんだ……駄目かな?」
充嗣は笑みを浮かべたまま、ヴィクトリアにお伺いを立てる。上の立場である充嗣から懇願されたヴィクトリアは頬を赤くして、充嗣とテーブルを何度も目で行き来し、それからゆっくりと「は、はい」と頷いた。
充嗣はその事に喜び、「ありがとう」とヴィクトリアに感謝を告げる。
「じゃあ、ヴィクトリアが折角作ってくれたんだ、早速頂こう」
そう言ってヴィクトリアに着席を促すと、両肩を押された彼女は「あ、あの、ぇっと」と困惑を隠そうともせず、充嗣の席の対面に腰を落とした。半ば充嗣が無理矢理座らせた様な形である。着席した彼女は視線を彷徨わせながらも、しかしどこか嬉しそうに口元は笑みを象っている。充嗣はそのまま逆の席に腰を下ろすと、静かに両手を合わせた。
「頂きます」
充嗣は食事の前に礼を欠かさない、それはヴィクトリアにも言ってある事。この言葉は日本の食材に対する感謝の気持ちだと。ヴィクトリアも充嗣に倣い、たどたどしく「い、頂きます」と手を合わせた。
食事は、とても美味しかった。
料理苦手なヤンデレ娘に晩御飯作って貰って「ごめんね、美味しくないよね、次はもっと上手く作るから……ごめんなさい」って言われながら完食して食中毒になりながらもサムズアップして昇天したいだけの人生だった。




