祝杯
ロウェンに連れられてBANKER GANGはアンダーテイルに足を踏み入れる。等間隔で並んだ警備が少し物々しいが、金持ちが最も欲しがるのは安全だ。特に後ろ暗い方法で稼ぐ裏の連中であれば、尚更。
巨大な玄関口を潜り、途端充嗣達の前に華やかなエントランスホールが広がった。
中央上部には巨大なモニター案内、煌びやかな装飾はあちこちに、天井に設置されたシャンデリアは強く、しかし下品でない光を放つ、吹き抜けのフロアは光に満ちていた。そこらを闊歩する人々の姿は皆明るく、高級感に溢れている。並べられた革張りのソファ、忙しく動き回る給仕。ロウェンに続いて皆がメインホールに足を進める。
エントランスホールには店が少なく、奥に進めば進む程店舗は増える。このホールは社交目的で集まる富豪の雑談場所代わりだ。広いエントランスホールには幾つかのグループが話に華を咲かせている、その内の何グループかは充嗣達に気付くが、直ぐに興味を失くしたかのようにそっぽを向いた。しかし、その瞳だけは妖しく充嗣達を射抜いている。他のグループも同様に、興味のないフリをしつつ熱い視線を送って来た。
「……慣れないものね」
充嗣の隣を歩くレインが、そっと自身の腕を摩る。
「そうかぁ? 俺ぁ、もう慣れたぞ?」
前を歩くロールが首だけこちらを向けてそんな事を言う、充嗣も正直言うとこの視線には未だなれない。
「仕事着なら別よ、銃と防弾着が無いと、何だか落ち着かないの、人の視線を感じる時はね、こんな防弾性の欠片も無いドレスじゃ余計に」
「仕事中毒、職業病だな」
ミルが肩を竦めてレインをそう診断し、「否定はしないわ」とすまし顔でレインは言った。充嗣達は幾人もの視線に晒されながら道を征く、此処に居る人間の中でも、裏に精通している者は気付く。独特の空気を纏う四人組、その尋常ならざる気配の強さ、脳裏にチラつくのは『BANKER』の文字。
一方、表の人間であっても充嗣達のただならぬ風格に目を惹かれる、何よりロウェンが案内人として同行しているという事は、VIP待遇としてもてなされているという事。金と権力に鼻の利く連中が注目しない筈がない。
結果、表裏両方の視線に晒されながらメインホールへと続く道を歩く事になる。その視線の数は膨大で、二階ホールからも視線を感じた。
「こちらになります」
結局充嗣達は数分もの間多くの視線に晒されながら、メインホールに辿り着く。一際大きな両開きの扉、背後には未だ多くの視線が突き刺さっている。ここまで来ると、少し鬱陶しいというレベルだ。
「……流石に、何と言うか、有体に言ってウザイな、この視線の数は」
「私もミルに同意するわ」
「ん~、あ~、まぁ俺は闘技場で見られてるからなぁ、あんまし気にならねぇや」
「話かけられないだけマシだと思っている」
ミルが首を鳴らしながら「ウザイ」発言をし、レインが頷く。ロールはどうやら慣れたものらしいが、それはそれでどうなのだろうか、戦闘では視線もまた攻撃動作の一つだ。充嗣は話しかけられないだけマシだと自分に言い聞かせ、自己防衛を図る。
メインホールへの扉を開くと、悠々と野球出来そうな空間が目の前に広がった。豪華で温かみのある、恐らくVIP同士の立食会などが行われる場所なのだろう。向こう側には大きなステージがあり、今は巨大なホワイトスクリーンが降りている。マルドゥックの映像を投影する為のものだろう。並べられたテーブルには豪華な食事がズラリと並んでいた、給仕も壁に直立不動で佇んでいる。
「四人では少々、有り余るな」
ミルが笑いながら部屋に踏み込み、ロールが続いた。充嗣もそれに続き、最後にレインが扉を潜る。最後にロウェンが入室し扉を閉めると、プロジェクターから光が差し込みマルドゥックの姿が映った。いつも通りスーツ姿で、相変わらず首から上は見えない。
「ようこそ我がBANKER GANGの精鋭たちよ! 今宵は好きに飲んで食べて、楽しもうじゃないか!」
両手を広げ、いつもより高いテンションで充嗣達を出迎えるマルドゥック。何だかんだ言って会を一番望んでいるのは彼だった、仕事後のイベントは全て彼の立案だ。
「ひゃっほい! 酒だ酒だ! マルドゥック、今回も良い酒を揃えてくれたんだろう!?」
マルドゥックの次にイベント好きなロールが飛び出し、冷やされた酒瓶に駆け寄る。充嗣達三人はそれとなく顔を見合わせ、まぁしょうがないと緩い笑みを交わした。結局充嗣も、皆も、このチームで騒ぐ事が好きだった。
「では、精々美味いモノをたらふく食べるとしよう」
「私はワインを頂くわ」
ミルとレインはそれぞれ自分の望む品の場所に足を進め、充嗣もまた美味しそうな料理の匂いにフラフラと足を動かす。皆が皆思い思いに料理、または酒を注いだグラスを手にしてスクリーンの前に集まった。
「今回の依頼はハウンド・ドッグの派兵に気付けず、すまなかった、だがお前達の奮闘のお蔭で依頼は無事完遂、本当に感謝している」
「その件に関しては十分な金を貰った、もう気にするなマルドゥック」
スクリーン越しのマルドゥックの言葉に、ミルが代表して否定の言葉を口にする。元よりクルーはマルドゥックにそんな言葉を言って欲しくて集まった訳では無い。
「そんな話より、今日は祝勝会だろぉ? 明るい話でバカ騒ぎ、それが俺達BANKERの祝勝会だろうが!」
「バカ騒ぎ、という表現には同意できないけれど、勝者なら勝者らしく、笑って杯を交わすべき、そうでしょう?」
ロールとレインが手に持ったグラスを掲げ、ミルもまた続いて杯を掲げる。充嗣も料理を近くのテーブルに置き、ワインの注がれた杯を給仕より受け取った。
「何であれ、マルドゥックのお蔭で助かったんだ、感謝する事はあっても、謝罪なんて要らない、今日は楽しもう、マルドゥック」
最後に充嗣が杯を掲げると、マルドゥックもまた静かにグラスを掲げた。
「……今ほど、お前達と同じ場に居れないこの身を恨んだ事は無い……本当にありがとう―― 乾杯!」
充嗣達が杯を鳴らし、一息にワインを呑み込む。本来ならば香りを楽しみ、ゆっくりと味わう代物だが、たまにはこういう、勿体ない飲み方も良いだろう。芳醇な香りが鼻を通り、カッとした熱が喉を焼く。けれど不快ではない、酒は余り好きではないが友と飲む酒は異様に美味かった。
「かぁッ、この焼ける様な熱が最高だ、勝利の美酒なら尚更な!」
「ロール、貴方まるで老人ね」
「あぁん? 誰がオッサンだ、誰が」
飲み干した杯を下ろすころには、レインとロールが互いに憎まれ口を叩き合っている。ミルはミルでマルドゥックと経営談議に臨んでいた、その声はいつもより生き生きとしている。充嗣はテーブルに寄り掛かって、静かに給仕より二杯目のワインを注がれる。
「……良いなぁ、やっぱり」
充嗣は静かにそんな言葉を零す。目の前に居た給仕が目線で何事かと問いかけて来るが、何でも無いと充嗣は首を振った。今の言葉は、彼に掛けた言葉ではない。
注がれたワインの色は赤、天上から注ぐ光に翳せば深紅が自身の瞳を照らす。充嗣は今の己がどうしようもなく幸福に思えた。
充実した仕事、円滑な人間関係、尊敬できる上司、多すぎる収入、手に入る名声、充足感。
何よりも、自身の命と同じくらい、大切と思える仲間が居る、信頼に足る友が居る。
何もかもがあった、この場所には、己の望んだ全てが。
あの陰鬱として、何も手に入らず、多くの幸福が握りしめた手より抜け出す世界ではない、充嗣の居るこの世界は光に満ちている様に見えた。
今、杯を交わしたのは勝利に対して、BANKERの依頼達成を祝うためのものだ。
だから充嗣は独り、周囲の仲間達を見つめながら、そっと杯を掲げた。
「――乾杯」
この祝杯はBANKERと、この素晴らしい世界に。
充嗣の祝杯は、静かにホールの中へと消えていった。
ヒンナ、ヒンナ




