アンダーテイル
「随分遅かったな、充嗣」
HERを撃ち込まれて、ベッドの上の生活を続け早三週間、もうすぐで一ヵ月経つと言った頃。アジンから一通のメールが届いた、内容はBANKER GANGの祝勝会を行いたいという内容。今回の強盗は皆大なり小なり負傷しており、充嗣に至っては重傷を負っていた為祝勝会は行わなかった。その埋め合わせを行いたいと言う要請、既にロールとレインの二人は了承済みで、残りは充嗣だけだった。
勿論充嗣は首を縦に振った、既に右腕は十分に動く様になったし、絶対安静と言われてはいるが問題ない、この肉体の治癒能力は一般人のソレとは一線を画す。参加の旨を綴ったメールをミルに送信し三日後、BANKERのクルーは充嗣の自宅前に集合していた。足は黒塗りのリムジン、中にはスーツを着崩したロールとバッチリメイクにドレスを着込んだレインの姿も見える。
ロールは持ち前の野性味溢れる顔を生かしたチョイス、派手好きな彼らしく真っ白なスーツだ、緩めのネクタイは赤で中のシャツには青の縦線、首元や指にはこれでもかと金銀を身に着けている。
逆にレインは落ち着いた青系のドレスに、首元と耳に装飾品を添えるだけ。指輪を薬指に一つだけ身に着けているのは何の意味があるのか、確か彼女は独身だった筈だが、恋人でも出来たのだろうか。
ミルのスーツ姿は既に見慣れているが、今回のそれは随分と値が張りそうなデザインだった。そういった方面に疎い充嗣であっても「高そう」と中学生並みの感想を抱く事は出来る一品。落ち着いた黒色に、スーツと言うよりは燕尾服に近い形。腕には高級腕時計と指輪が三つ、どれも直視するには眩しい輝きを放っている。
一人リムジンから出て充嗣を出迎えたミルは、充嗣の姿を見てゆっくり頷いた。
「やはりお前には、フォーマルな装いが似合う」
充嗣の恰好は、何と言うか日本企業の営業みたいな恰好、と言えば良いのだろうか。取り敢えず自宅にあったスーツを適当に選んで着て来た感じだ。一応ヴィクトリアに変ではないかと確認をとり、問題ないとお墨付きを頂いたので人前に出て恥ずかしい恰好では無いだろう。
装飾品は腕時計に指輪を一つ、指輪の上には『BANKER』の文字が彫ってある。
「お世辞か? よしてくれミル、目の前の男に勝てる気がしないんだ」
「充嗣こそ、全く、日本人は煽てるのが上手い」
満更でも無い様子でミルは充嗣を車内に促す、「場所はマルドゥックの店だ、奥のホールを丸ごと貸し切りにして貰っている」と説明を受け、充嗣は意気揚々と車に乗り込んだ。座ると柔らかなシートが充嗣を迎え、近くに座っていたロールが手を挙げる。
「よう充嗣、腕はどうだ?」
楽し気な様子で語り掛けて来るロールに、充嗣は手前で右腕を動かし、手を握ったり開いたりを繰り返した。大丈夫なアピールだ。
「若干違和を感じるけど、まぁ問題無い程度、ロールこそ、肩は?」
「俺ぁもう完治だ、問題ねェぜ」
ぐるぐると肩を回し、へへっと笑みを浮かべるロール、流石に回復が早い。充嗣の後にミルが乗り込み、扉を閉めると緩やかにリムジンが加速を始めた。
「充嗣、何か私に言う事は無いのかしら」
充嗣の正面に座ったレインがふと声を上げる、シートに深く腰掛け直す充嗣は「ん?」と疑問符を浮かべた。
「言う事……」
充嗣は脳内で、「何かやってしまったのだろうか」と自身の行動を省みる。しかしレインとは前回の依頼後、何度かお疲れメールを交わしただけだ、特に何か粗相をしてしまったという記憶は無い。記憶には無いが、レインがそう聞いて来たという事は、充嗣が覚えていないだけで何かしてしまったのだろう。古今東西、女性に責められる前に謝るのは鉄則だ。
「……ごめん、心当たりがないのだけれど、何かしてしまったのだろうか」
充嗣は眉を下げ、申し訳無さそうな表情でレインに問いかけた。すると彼女は露骨に溜息を吐き出し、「本当に、貴方って人は」と肩を竦める。
「な? な? 分かる訳ないだろう?」
「少し黙ってくれロール」
レインが溜息を吐き出すと同時、ロールが周囲に何か同意を求め始める。それに対してミルが強い言葉で制止し、充嗣に同情の視線を送った。周囲の反応に充嗣は戸惑う、どうやら自分の知らないところで何かが動いている様だ。
「充嗣、レインの恰好についてどう思う?」
ミルは戸惑う充嗣に助言を送った、充嗣はその言葉を聞き、レインに視線を向ける。いつもの彼女も無論美しいが、今日はまた一段と輝いている。充嗣は強く一つ頷き、「いつもより綺麗だ」と素直に述べた。
「どうしてその言葉が一番最初に出ないのか」
「いやだから、分かる訳ねェって」
ミルが天を仰ぎ、ロールが横合いから突っ込む。レインは充嗣の言葉を聞き、満足そうに笑みを浮かべた。口では「そう」と素っ気ない態度だが、悪い気分ではなさそうだ。
「言っておくが充嗣、レインが先の言葉を投げかけたのは、お前だけだ」
「……? そうか」
何と返せば良いのか分からなくて、充嗣は単純に反応だけ返す。するとミルは「分かってないぞ、コイツ絶対分かってないと」独りでに呟いた。
「いやだから、分かんねェってば」
ロールは独り言い続けた。
車は三十分ほどで目的地に到着した。遠くからでも分かる巨大な建築物。周囲を大きな柵で囲み警備も常駐している。ここら一帯を占める巨大なドーム状のそれは遊技場や飲食店などを併合した複合施設だった。マルドゥックがオーナーとして管理し、完全会員制の『裏御用達』の場所、施設名を『アンダーテイル』と言う。
充嗣も何度か訪れた事があった。
巨大なゲートの前に車が止まると、警備の一人が運転席に近付き、数秒言葉を交わす。それだけで警備は離れ、ゲートの前に立つもう一人の警備に合図を送った。そして巨大なゲートがゆっくりと口を開け、リムジンは悠々と中に入る。
「此処に来るのも久しいな」
ミルが外の風景を眺めながら、そんな事を口にした。
「あん? マジかよミル」
ロールが意外そうな声を上げる、充嗣もミルがアンダーテイルを好んでいるのは知っていた。故に「まさか」と声を上げる。
「昔は良く足を運んでいたんだがな、どうにも、カフェが潰れてからは来なくなってしまった」
「あぁ……二階の珈琲だっけ?」
「そうだ、大分味が変わった、前の方が好みだったんだ」
どうやら好きな店が無くなってしまった為、来なくなっていたらしい。レインは微妙な表情を浮かべながら「珈琲って、そんなに味が変わるものなの? ただ苦いだけじゃない」と辛口。しかしロールは理解を示した。
「いや、気持ちは分かるぜ、俺も好きな店の味が変わっちまったら、行く気力が無くなる、食い物ってのは人間の生きる活力だからな」
「正確には飲物だが、まぁそんな所だ、それにレイン、珈琲は苦いだけじゃないぞ、味はちゃんと種類によって違う」
「子どもが苦いモノを苦手とするのは、毒物には苦みが含まれる事が多いからだそうよ、私はまだ舌が若いの、実年齢もね」
レインの言葉にミルは肩を竦める、ロールは鼻息荒く「俺だってまだまだ若ェぞ」と対抗心を燃やし、充嗣は我関せずとリムジンの中で縮こまった。雉も鳴かずば撃たれまい。そうこうしている内にリムジンが停車し、アンダーテイルの入場口へと辿り着いた。
「皆、到着だ、話は一度終わりにして、ホールに向かうぞ」
ミルが扉を開けながらそう言って、皆に下車を促す。ミルに続き充嗣がリムジンを降り、ロール、レインの順で下車した。入場口には一面に赤色の絨毯が敷かれており、柔らかな感触が足裏を靴の下から押し返す。
全員が久々にアンダーテイルの大きな入場口を見上げていると、リムジンを降りた充嗣達の前に燕尾服を纏った初老の男性が歩み寄って来た。白髪を後ろに流し、不潔にならない程度の長さで止めている。充嗣達の前に来ると、優雅な動作で一礼。
「ロウェン、久しいな」
「はい、ハーゲン様、アガンツ様、カルロナ様、藤堂様、お久しぶりでございます」
ロウェンと呼ばれた男性はアンダーテイルでのVIP対応を行っている専属従業員であり、充嗣達BANKERとも面識のある裏の人間であった。広く顔を知られる訳にはいかないクルーにとって安心できる人間の一人で、マルドゥックからの信頼も厚いと聞く。充嗣もアンダーテイルに足を運んだ際には何度か世話になった、個人的にも好感の持てる人物である。
「今夜の祝勝会に関してはマルドゥック様より聞き及んでおります、メインホールの準備は既に完了しておりますので、さぁ、こちらへ」
「おう、ありがとよ、ロウェン」
「感謝するわ」