解放
明日は書けます、多分。
充嗣は潜入用のスニーキングスーツを脱ぎ始める。じっとりと汗ばんだ服を脱ぎ捨てと、夜特有の肌寒さが肌を刺して少しだけ気持ち良かった。しかし、視線を感じて振り返ると、拘束した少女がこちらをじっと見つめていた。その瞳の色は分からないが、人に見られながら着替える趣味は無い。
「……こっちを見るな」
顔を見られるのはマズい、充嗣がそう言うと「ご、ごめんなさい……」と少女は顔を背けた。銃を持ったままだったのが効いたのだろう、充嗣は例え殺す気が無いとしても気まで許すつもりは無かった。
「あの、貴方は……」
「質問は許さない、黙れ」
少女の問いを封殺し、充嗣はもくもくと準備を進める。
スニーキングスーツを脱ぎ捨て、対爆スーツに袖を通しながらポーチを付ける。銃器に弾薬を詰め込んでホルスターに収め、爆薬をポーチに詰め込み、コンバットグローブやプロテクターを装着、そのままマスクを被り一息吐いた。
時間的余裕が無い今、充嗣はいつも以上に神経を張り巡らせている。この対爆スーツは構造が複雑なので着用に時間が掛かるのが難点だった。
途中言葉を遮られた少女は唇を噛んで、俯いたまま黙っていた。
充嗣は絨毯の上に腰を下ろすと、消費した二発分の弾薬をグロックのマガジンに詰める。その間、思考した事を少女に問うた。
「お前、この家の娘か」
そう聞くと、バッと少女が顔を上げる。金髪に青い瞳、どこか面影を感じさせる顔立ち。恐らく外務大臣の娘なのだろう、こんな時に家に居る子供などそうとしか考えられない。問題は何故こんな時に別荘地に居るかという部分だが、他人の家庭にとやかく言う口を充嗣は持ち合わせていなかった。
「……はい」
少女は少しの間黙り込み、やがてゆっくりと頷く。
「名は?」
「……トーニャ」
トーニャ、珍しい名だと充嗣は思った。別段ドイツ連邦では珍しくないのかもしれないが、日本人としては聞き慣れない名だった。マガジンに弾を詰め込み終わった充嗣は、グロックに装填しながらトーニャを見据える。
充嗣は彼女の扱いに困っていた、このまま此処に放置しても良いが、下手をすると戦いに巻き込まれる可能性がある。流れ弾でも爆発でも何でも、このか弱い体を死に至らしめる方法など無数にある、充嗣はトーニャが死んでしまう事を善としなかった。
《作戦開始まで残り五分を切った、もし準備が終わっていない奴がいたら尻を叩いてやる、急げよ》
残り五分、充嗣は顔を顰める。つまり残り五分足らずで此処は戦場になる、充嗣の脳裏に肉片となったトーニャの姿が過った。自分の判断一つで子どもの命が失われる、現実の小さな生命が。
けれどクルーに害を及ぶならば、充嗣はここでこの少女の命を見捨てるという選択肢も取れる。今さっき出会ったばかりの子どもと、今まで何度となく修羅場を潜って来た戦友、比べるべくもない。
いや、今考えるべきはそんな事では無い、充嗣の人間性としての問題なのだ。充嗣は自身の考えを否定する、これは優劣の問題では無いと。
自分がこれからも自分として生きていく為に、必要な道を選ばなければならない。決してそれは、どちらが大事だとか、親しいだとか、そういう次元の話ではない、そう己に言い聞かせる。
充嗣は腹を決め、そっと立ち上がるとソーニャに歩み寄った。
対爆スーツを着用した充嗣の威圧感は凄まじい、少女の表情がみるみる蒼褪めていく。そのまま足に備え付けたホルスターからナイフを抜き放ち、少女をうつ伏せに転がした。それが決定的だったのだろう、少女の瞳から涙が零れ、悲鳴が部屋に響いた。
「い、嫌、お願いっ、殺さな―ッ」
「黙れ」
命乞い、懇願、少女の悲痛な声を抑えつけ、充嗣はナイフを振り上げた。そのナイフにギラリと月光が反射し、少女がぐっと目を強く瞑る。
そして少女を拘束していたケーブルを切断し、充嗣は音も無くナイフをホルスターに戻した。
「あ、ぇ」
少女は一瞬死を覚悟したのだろう、涙を流し体を震わせた彼女は、何が起こったのか分からないとばかりに自分の両手を恐る恐る見た。その手はちゃんと動くし、少女は死んでいない。
「今すぐ此処から逃げろ、あと数分で家は戦場になる、死にたくなければなるべく遠くへ……出来れば南が良い、行け」
少女を無理矢理立たせ、呆然とするその表情を見つめる。軽く肩を叩くと、少女の体が跳ねて「ど、どうして」と困惑の声を発した。馬鹿正直に理由を話すつもりはない、充嗣は近くの窓を開け放つと、少女の背をグイグイ押す。
「あ、あのっ」
「勘違いするな、気紛れだ、途中警備を呼んだり、誰かに連絡しようとすれば此処の連中を残らず殺す、あくまでお前が逃げ出す事を許すだけだ」
充嗣は見せつける様にグロックを掲げ、絨毯に向かって引き金を引く。バシュンとくぐもった音が響き、絨毯に黒い穴が空いた。少女はそれを蒼褪めた表情のまま見ている、けれど一向に窓から出て行く気配が無かった。
「そ、そんな、だって此処には何十人もの警備が――」
少女はここの警備の有用性を説く、だがそんなモノを関係無い。充嗣にとって、否、充嗣達にとっては取るに足らない要素だ。
「俺を誰だと思っている」
まさかこの様な形で使う日が来るとは、充嗣には予想すら出来なかった。なるべく雰囲気を出し、其れらしく、傲慢で、自信に満ち溢れ、絶対の自信を誇る様に、充嗣は少女の目を見て言った。
「俺はBANKER GANGだ」
その効果は絶大だった。
裏世界の代名詞、ドイツ連邦の外務大臣となれば無論裏の事も多少なりとも知っている筈だ。中には裏世界と癒着し、政界戦争に裏の勢力を使う屑だっている。この少女もまた、そんな親から多少なりとも情報を得ていたのだろう。
BANKERの名を聞いた少女は、どこか自失した様に充嗣を見上げていた。いや、その瞳は自失していると言うよりも、何か別なモノに囚われていると言っても良い。充嗣は自身の言葉に手ごたえを感じながらも、少女の体をトンと押した。
「あっ」
縦長の窓は少女の腰辺りに縁があった、充嗣が軽く肩を押してやると、少女の体が向こう側に消える。転がり、芝生の上で呆然と転がる少女を見て、充嗣は思わず笑ってしまった。
「死ぬなよ」
それだけ言って窓を閉め、カーテンで視界を遮る。途端、ドンッ、と鈍い音が窓から発せられる。しかしVIPの別荘地は漏れなく強化硝子となっていた。子どもの腕力では罅を入れる事すら叶わないだろう。その後数度、拳で窓を叩く鈍い音が鳴り響いたが、一分もしない内に音は止んだ。恐らく諦めて逃げたのだろう、充嗣は内心で少女が上手く逃げられるよう祈った。




