給料
短いです
当たり前だが、メイドさんという存在は泊まり込みで仕事をする。自分の居ない間だけ家事や掃除をやって貰う、通って貰うならば近場の人しか雇えない。なので充嗣はマルドゥックに予め泊まり込みで仕事の出来るメイドを募集して貰っていた。
幸い充嗣のマンションは馬鹿みたいに広く、そして部屋も有り余っている。マンションの三階層分、その四分の一の範囲が充嗣の持ち家だと言えば凄さが分かるだろうか? リビングのオープンスペースだけで五十畳の広さがある。正直そんなに広くしてどうするんだと言う気持ちもあるが、この際気にしない事とする。
「部屋は結構空いているから、好きなところを使ってくれ、生活に必要なものは追々揃えるとして、問題は寝床だな……」
こんなに早く来ると思っていなかった充嗣は、勿論まだベッドなどの注文を済ませていない。他に箪笥やら何やら揃えるべきものは沢山あるだろう、しかし何が必要で何か必要でないかなど、充嗣には分からない。
そこで充嗣はヴィクトリアに丸投げするという策に出た。
充嗣は徐に財布を開くと、何枚かあるカードの内の一枚を抜き取り、ヴィクトリアに差し出した。一応家の案内を含めて歩き回っていたところに、突然クレジットカードを突き出されたヴィクトリアは面食らう。
「取りあえず、これで必要だと思うものを買ってくれ」
そう言ってその手にカードを無理やり持たせた。
「えっ、あの」
「一応その口座には10,000,000位は入ってると思うから― あーっと、大体十万ドルだ、万が一足りなかったら言ってくれ」
家具で一千万も飛ぶとは思わないが、必要経費という奴である。服とか化粧とか、女性なら色々気も使うだろうし、これは充嗣なりの気の使い方であった。それに持ち金五億近くあるし、これで少しでも減ってくれれば御の字である、などと考えた。充嗣はお金が使えて幸せ、ヴィクトリアは自分の好きな物、必要なものが買えて幸せ。これがwin-winという奴だ。
「一千万!? いえ、あの、流石に受け取れません!」
しかし、ヴィクトリアは驚くや否やカードを突き返してくる。しかしソレも想定内、充嗣は断固とした姿勢で「必要経費だ」と言い張り受け取らない。
「こんなに来るのが早いと思っていなかったから、ベッドとか諸々まだ準備出来ていないんだ、だからそのお金で君の気に入った家具とかを買ってくれると嬉しい」
正直現実世界でメイドなど雇ったことのない充嗣には未知の領域だ、どの程度の品ならば良いのかイマイチ掴み切れない。だったらもう本人に好きなものを買って貰えば良いじゃないかという発想、充嗣は自分でもよく思いついたと自画自賛。
しかし、ヴィクトリアはカードを両手で掴んだまま固まってしまう。その表情は何とも形容しがたい、充嗣はふと自分が彼女の立場だったらどうだろうと考える。メイド、いや執事として雇われる事になって家に向かえば、一千万の入ったカードを渡されて「これで好きなものを揃えろ」と。中々にヘヴィーな展開だ、現実世界だったら疑心暗鬼になって多分カードなど使えない。
「……君はマルドゥックの会社の人間なんだろう? なら、俺は十二分に信頼している、だからどうか気兼ねなく使って欲しい」
自分の本心を口に出し、ヴィクトリアがカードを使える様後押しする。実際問題充嗣の家には一人分の生活必需品と家具しかない、テーブルの椅子などは来客用に幾つかあるが、それ以外は皆無だ。内心で「日本が恋しいと言う理由で注文した布団を使う時が来たか」と頷きつつ微笑む。
充嗣はちらりとヴィクトリアに視線を向けるが、未だ表情は強張ってカードを持つ手は震えていた。もしや使うには使えるけれど、実際幾ら使って良いのかと逡巡しているのだろうか、使った後に「こんなに使ったのか!」なんて怒らないので、どうか安心して使って欲しい。どうせなら全部使い切って欲しい位だ、いやそれを直接伝えれば良いのか。
その結論に至った充嗣は、飛び切りの笑顔で「あぁ、それとカードの中の金は全部使ってくれ」と言い放った。
「はっ? 全部ですか!?」
「家具の他にも内装とか、娯楽品とか、正直何に使って貰っても良いから」
「あ、あの……もしかしてこれ、何年か分のお給料とか?」
「いや、それは必要経費、給料は別に出すよ」
給料で必要なモノ揃えろ何てケチ臭い事を言うつもりはない、その辺は全て諸経費で支払うつもりだ。そう言うとヴィクトリアは呆然としたまま充嗣を見る、美人に見つめられると照れるじゃないか止めたまえ、なんて思いつつ笑みで迎え撃つ。
「わ、分かりました……有り難く使わせて頂きます」
ヴィクトリアが漸く折れて、充嗣は喜びを露にする。ヴィクトリアの嬉しい様な、驚いている様な、不信がっている様な― 何とも複雑すぎる表情が印象的だった。そのままトントン拍子で住む部屋も決まった後、給料の交渉も終わり晴れてヴィクトリアは充嗣家のメイドとなった。
尚給料は日本円で月給七十万、年間で凡そ八百四十万となった。休暇は申請制、個人的には完全週休二日制で良いと思ったのだけれどヴィクトリアの要望によってこうなった。どれだけ働きたいのだろうか彼女は、まぁ仕事熱心なのは良い事なのだろうけど。無論休暇を申請されれば余程の事が無い限りは認めるつもりだ、有給だって沢山用意してある。取り敢えず働き過ぎに注意して、緩くやって貰えれば良いからと言ってその日の対話は終了した。
その後、契約報告という形でマルドゥックにヴィクトリアの報告書が届いたのだが―
そこには日本語で丁寧に『超絶ホワイト』とだけ書かれていたと、後から聞いた。
マルドゥックに死ぬほど笑われたとだけ言っておく。
せめて紳士的と言って欲しかった。




