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8 狩るもの

 深夜。

 そこは街灯が極端に少ない暗い道で、人は殆ど通らない。

 放置された広い土地を囲む金網に、乱雑に結びつけられた鎖が、月に照らされて輝いていた。鎖には銀製のアクセサリーがいくつも付けてあり、それが冷たい月光を受けて白く光る様子は、呪術めいて奇異だった。

 鎖は、かすかに揺れているようにも見える。

 大抵の人間には見るこのできないものが、そこに縛り付けられていた。


 真っ白は人ならざるモノ。

 ハクだった。


 ギリギリと歯を鳴らし、喘ぎながら震える指で鎖を握る。

 しかし、やっとのことで握っただけだった。

 外すことはできなかった。

 ハクの体はまた小さくなっていた。ようやく歩き始めた幼児ほどの大きさだ。


「あかりめ……!!」


 ハクは、苦しげに空を仰ぎ見る。

 雲ひとつなく、月が煌々と輝いている。

 正円が少し欠けた形の月を見つめ、ハクの唇の端が釣り上がった。

 明後日は満月だ。


 苦しさに喘ぎながらも、くっくと喉の奥で小さく笑った。

 自分の魔力が最大に高まるのは満月の光を浴びた時だ。それまで耐えさえすれば、こんな鎖など引きちぎってしまえる。


「あのクソガキ……」


 どんな恐怖を与えてやろうかと、舌なめずりしヒヒッと声を上げて笑った。しかし、その笑いはすぐに消えた。

 見上げた月の光の中に、黒い点を見たのだ。

 それはどんどんと大きくなってくる。月を背に、何かが降下してくる。


 途端にハクの頬が引きつった。赤い瞳が小刻みに揺れ、息が上がってゆく。

 逃れようと、もがいたが首の鎖が食い込んだだけだった。

 ハクは恐れ焦っていた。


「くそ!」


 それは、なおも降下して来る。

 ハクは歯をむき出し、目を見開いて唸り声を上げた。


「く、来るな……」


 天空から舞い降りてきたのはは、時代がかったドレスを来た少女だった。アンティークを模したというより、そのものといったドレスの裾がサワサワと揺れていた。ゆるい巻き毛の暗い金髪、陶磁器のような肌、ビスクドールさながらな少女だった。


 いや、少女の姿をした何か、だ。三対の翼がその背を飾っていた。

 それはハクの頭上一メートルほどの位置で停止した。


「ハク」


 地の底から響くような冷たい声だった。少女とは思えない低い声は、どこか機械じみた音を含んでいる。ほんのうっすらと開いた目で、彼女はハクを見下ろしていた。

 ハクは、少女をキリキリと睨みつけている。

 が、少女がさらに降下すると、ヒッと声を上げ、怯えをあらわにした。


「やめろ……。くるな!」


 少女は無表情で、静かに言う。


「では、これで最期にしようか」

「ま、待ってくれ! 頼む、頼むから!」


 すぐ目の前に少女が降り立つと、ハクは金切り声をあげた。

 少女は一切の感情を持たぬかのように、冷徹にハクを観察する。恐怖に固まるハクの首に巻かれた銀の鎖を、指でチャラリと鳴らした。


「人を喰うものが、人に縛められたか。哀れよのぉ」

「…………」

「私に狩られる前に……報復したいか」


 少女の問いに、ハクはガクガクと頷く。


「明後日は満月だ。それがお前が見る、最後の満月だ」

「それでいい……。今、見逃してくれるなら」

「月がのぼりきるまでだ」






 同時刻、二体の人ならざる者達から遠く離れた小さなマンションで異変が起きようとしていた。

 マンションの廊下を小柄な人影が歩いてゆく。まだ子どものようだ。

 その人影がふと立ち止まり、廊下の手すりから大きく身を乗り出した。しばらくそのまま動かず、下を眺めている。植え込みや駐車スペースがあるぐらいで、特に変わった物は無いし誰もいない。わざわざ深夜に起きだしてまで見るべきものなどは何もなかった。

 人影が吹い不意に動き出した。ふらふらと手すりを乗り越え、頭から墜落してゆく。

 大きな音がマンションの壁に反響して、暗い地面に真っ赤な花が咲いた。






 少年が、ベランダで外を眺めていた。

 高層マンションの上層階に位置する部屋だった。眼下に街の光が星のように輝いて見える。

 空に星は見えなくても、ここから見下ろせばすべての星を自分のものにできる、そう錯覚しそうになる美しい夜景だった。

 心地良い風が吹いている。


 いや、錯覚ではない。この風景は自分のものだ。

 少年は、満足そうに笑った。


 突然少年の視界を、黒いものが遮った。大きな人影が少年の前に現れたのだ。

 両手を大きく広げたその影は、皮膜のような翼を持っていた。

 少年はその影を見上げ、悠然と笑う。


「ありがとう。これであとは仕上げだけだね。……でね、一つ気になることがあるんだ。もう少し力を貸してくれるよね?」


 月光が黒い影の主を照らし出した。

 全身黒ずくめの、青年だった。高くすっきりと通った鼻筋、柔和な口元、緩やかにウエーブした髪。優しげな目を細め、天使のように微笑んだ。







 タケルがかなり遅い朝食を摂っていると、寝間着のままソファに座っていた母親が素っ頓狂な声をあげた。


「えぇ、またぁ? いやぁねぇ、どうなんてんのよ。また自殺って」


 テレビの中でキャスターが、昨夜十四歳の少年が飛び降り自殺をしたと報じていた。


「もう四件目! 異常よ、これって。イジメかしら。ねえ、タケル、あんたのが通ってた頃どうだったの? ねえ、高校は大丈夫なの。イジメとかないの?」


 母親は、タケルに背を向けテレビに釘付けのまま聞いた。レポーターが喧々と喋りまくっている。

 菓子パンをかじりながら、タケルはしらけた顔で母親の後ろ姿を眺める。


「別に……」

「別にって何よ。ほんっと男の子って愛想なし。何にも話そうとしないんだから」


 大きくため息をついて、タケルは食べかけのパンをテーブルに放り投げた。そして、ぶつくさ言う母親を残して部屋を出ていく。

 母さんだって、オレのことなんか見てないじゃないか。興味ないから気づきもしないんだろう、と心の中で呟いていた。

 バタンとドアが閉まると、母親は両膝を抱えこんで、相変わらずけたたましいテレビをぼんやり見ていた。




 昼過ぎ、タケルは昨日のファーストフード店の前に立っていた。中で待つつもりだったが、生憎満席でレジも行列になっていたため、仕方なく外に立っている。

 ジリジリと暑い日差しが肌を焼く。今日も雲ひとつない晴天だった。

 日陰もなくうんざりしたが、こんな所にあかりを待たせなくてよかったと思う。

 昨日初めて話たのに、誰よりもあかりと親しいような気がして不思議な気分だった。人に言えない不思議な秘密を共有してしまったからだろうか。仲間意識のようなものだろうか。


 しばらくして私服姿のあかりがやってくると、タケルはなんだか急に照れくさくなった。手を振られて、思わず目を逸らしてしまう。

 あかりはTシャツにジーンズ、ボストンバックを持ったラフなスタイルだった。結構胸が大きいことに、今気がついた。首と腰が細いからそう見えるのかもしれないが、なんだかTシャツが窮屈そうだ。と、ここまで考えて、慌てて小さく頭を振る。何考えてるんだ、そんな場合じゃないのにと。

 女の子と待ち合わせをしたのはこれが初めてだと思い当たると、急に耳が熱くなってきた。


「よ、よお。瀧本」

「どう? 夕べは眠れた?」

「前の晩よりはね。トキはもう一度ハクのテリトリーを調べてくるってさ」


 聞かれてもいないことまで答えて、何のためにあかりと会っているのかを自分の中で反芻した。

 混雑した店に入るのは諦めて、二人は歩きながら話した。


「トキがいてくれて心強いわね。どんな力があるのか良くわからないけど、味方になってくれる妖精がいるのはいいことよね。……結界のこととか気にしてくれてるみたいだし、トキの報告が悪い知らせじゃないことを祈るわ」


 随分と信頼したものだ。

 タケルは少し癪に触った。


「あてにし過ぎるとダメらしいぜ」


 トキの言葉を繰り返し、落ちていた空き缶を蹴飛ばした。

 派手な音をたてて転がっていく。

 それは困ったわねといった表情を作って、あかりは肩をすくめた。


「あいつ、死んだわけじゃないんだろう?」

「ええ、動けなくなっているだけ。自分であの鎖をとくこはできないと思うけど、死ぬことはないんじゃないかな」


 あかりの首に銀のネックレスが揺れている。

 タケルもあの腕輪をつけていた。


「あのまま放ってはおけないか……。誰かが知らずに鎖を外したら、あいつはまた自由になって……」

「そういうこと。早めに移動させたほうがいいわ」

「なんで移動? どこに?」


 タケルは一刻もはやく何とかしてハクを消滅させたいと思っていたのに、わざわざ移動させるとは何故だろうと、首をひねってあかりの顔を覗き込んだ。

 あかりも首をかしげて、タケルを見つめ返す。


「私の家よ。昨日言ったでしょ、古い祠があるの。もともとそこにいたんだから、もう一度閉じ込めなおしましょう。アイツを消してしまうなんて、できる気がしないの」

「ああ、そういうこと。……庭に祠があるって、なんかすげーなお前んち」

「旧家なの。昔は、それなりの家柄っていうか、由緒正しきってやつだったみたいだけど、今じゃすっかり落ちぶれて見る影もないわ。おばあちゃんと二人暮しでね、おじいさんの僅かな遺産で、なんとか食いつないでるのよ」


 あかりはあっさりと答えた。

 ハクに関して考えが至らず、ごまかし半分で家のことを聞いただけだったのだが、なんだかまずいことを聞いてしまったような気分になった。

 彼女は、どんな事実も事実としてポンと軽く話す傾向があるようだ。飾った所でしょうがないでしょというように。


「んん、いやまあ、その案で行くとして。お前んちまで……アレを抱えていくのか?」


 想像するだけで気分が悪い。まさか、あかりに持っていってくれなんて言えなし、ここはやはり自分の役目だろうとは思うのだが。

 あかりがくすりと笑った。


「神崎くんがそうしたいなら、どうぞ。多分アイツは昨日よりもずっと小さくなっているはずよ。だからこの中に入れていけばいいわ」


 あかりはボストンバッグの口を開いてみせた。中には、これでもかと銀製品が入っていた。

 タケルはちょっとムっとした。


「……先に言えよ」


 それでも、タケルは胸のつかえが少し軽くなっているのを感じた。

 あかりが昨日声をかけてくれて、本当によかったと思う。自分一人だったら、今頃どうなっていたことか。

 久しぶりに安らいだ気持ちになった。ジリジリと暑い日差しでさえ心地良く感じる。


 前から、自転車に乗った中学生のグループがやってきた。


「明日、小遣い、いくら持ってく?」

「おれ、たこ焼き喰いたいー」

「抽選の1等、○padだって! 当たりてー!」


 楽しそうにケラケラ笑いながら二人の横を通り過ぎた。駅の方に向かっているようだ。最初にハクを見たあの商店街のアーケードがある。

 二人はちらりと見送ったあと、また歩いてゆく。一歩ごとにハクに近づいていると思うと、タケルは緊張してきた。


「そう言えば、駅前のアーケードでなんかイベントやるんだっけなあ」


 いつのまにか力が入っていた肩を、グッとすぼめてストンと落とす。

 落ち着いて見えるあかりが、ちょっと妬ましい。


「ええ、十周年記念フェスティバルですって。名前は大仰だけど、要は福引会ね」

「それ明日だろ、さっきの中坊たち気ぃ早ええな」

「いいじゃない楽しそうで。神崎くんも、いきたい?」

「別に……」


 少し赤くなってぶっきらぼう答えた。

 あかりの声が、冷やかしているように聞こえたせいだ。


 それからは黙々と歩いた。

 あかりは暑いとか文句など言わなかったが、額に汗が光り頬も火照っていて少し辛そうだった。

 タケルは目についた自販機で冷たい缶コーヒーを二本買ってくると、一本をあかりに投げる。二人は街路樹の影に入り黙って飲んだ。これからやる大仕事の前に鋭気を養う、そんな感じだった。


「なあ、一つ質問させてくれよ」


 ハクのところに行く前にどうしても聞いておきたかった。


「なんでオレを助けくれたんだ? 銀の腕輪くれたし。それに封じる方法だってとっくに思いついてたんだろうに、なんで放っておくいたんだよ。……封じたら、お前の寿命取り戻せるか? あれ、三つだった」


 あかりは目を逸らした。


「本当、どうなのかしらね。……よく解らないわ」


 答えられないのか、答えたくないのか。

 全てを正直に話さなければならない義務などないのだし、別に構わなかった。でも、寿命を取り戻せると言って欲しかった。

 なんだか、自分の為だけにあかりを利用しているようで後ろめたくなる。


「まぁ、いいか。まずはヤツを祠に閉じ込めないとな。そんじゃ、行くか」

「……ええ」


 あかりはぎこちなく微笑んだ。


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