7 悪因悪果
あかりは大きな目を見開いて、テーブルに降り立ったトキを見つめていた。
驚いてはいたが、それは見知らぬ人に突然声をかけられた時のような驚き方で、決して人外のモノを見たことへの驚愕ではなかった。
そりゃそうかと、タケルは思う。あのハクを知ってるくらいなんだからと。
「おお、嬢ちゃん。さっきはこやつが世話になったのぉ。この無礼者に変わってわしが礼を言おう。世話が焼けて大変じゃったろう」
トキはぺったぺったと平べったい足でスキップしながらあかりに近寄る。
タケルはぐっと腕を伸ばしてトキを掴んだ。
「……おい、お前見ていたのか?」
「いかにも。そこの嬢ちゃんがハクをグルグルしてる所からの。ぬしは腰を抜かしておったな」
チロリと横目をくれて、プププとわざとらしく口を押さえて笑う。
「……黙れ」
低くドスの効いた声でつぶやき、手にぐっと力を込める。
黙らないと握りつぶしてやると付け加えると、トキはヒャーとムンクの叫びのような顔をしてカクカクとうなずいた。
くすくすとあかりが笑っている。
「面白い、お友達ね」
「友達じゃねぇ!」「友達じゃと!?」
同時に言った。
あかりは微笑んで、人差し指をたてて唇に当てた。
「ねえ、紹介していちょうだいよ。神崎くん」
タケルがトキのことを掻い摘んで話すと、あかりは興味深けに聞いていた。そして自己紹介をして、よろしくと人差し指を差し出す。
ウホウホと嬉しそうに握手するトキを、タケルは鼻白んで斜に眺めた。
「それにしても、嬢ちゃんは中々の博識じゃな」
頬杖をつくあかりの腕に持たれるようにしてトキは座っている。
デレデレと鼻の下伸ばしている。スケベったらしいオヤジ妖精だなと、タケルは舌打ちした。
「じゃが、ちと補足しようかの。アヤツらはな、人間の悪果だけを喰うのではないぞ。奴ら同士でも喰い合っとる。まったく悪食じゃ。……と、わしはヤツラとは違うぞ」
「共喰い……」
ますます、おぞましいことこの上ない。
タケルは胸が悪くなった。
「妖精はな、土地に縛られるんじゃ。各々が自由に行動できる領域もっとるのだが、その外には出られないのじゃよ。一歩もな」
知っておったかと、あかりの顔を見上げる。
彼女が首を左右に振ると、トキは得意げな顔をして話の続きを始める。
「ハクはこの辺りを中心に、半径七、八十キロ圏内をテリトリーにしていおるようだ。なんとも狭い領域じゃ。籠の鳥と同じじゃの。一番手っ取り早い逃げ道は、このテリトリーから外に引っ越すことじゃな。ハクは追ってこれん」
引っ越す? そんなことでいいのか? そんなのアリなのか?
本当にそれで助かるのなら、さっさと引っ越したい。でも、なんて理由を話そうか……母にありのまま話たとしても、としても信じてはもらえない気がする。学校や母の店だってあるし、すぐに引っ越せるはずもない。
だが、トキはタケルには構わずあかりに向かって話し続ける。
「じゃがなぁ、タケルはハクに一度悪夢を喰われておるからのお。ヤツに行動の支配されてしまうかもしれん」
「どういうことなの?」
「引越しても意志に反して引き戻されるかもしれんということじゃ。それにハクから逃れても、外で別の妖精に狙われれば、どこに行こうが同じ事じゃしな。ちなみにわし土地に縛られてはおらんぞ。日本中どこへでも行けるから安心せい。どこまでも、ずーっと一緒じゃ、のう、タケル」
トキの猫なで声に、タケルはゲエっと舌を吐いた。
引っ越せばいいと言って期待させておいて、無駄かもしれないと希望を叩き壊す。これが守護天使と名乗ったヤツのすることなのかと、呆れ返る。
「ツレない奴じゃ」
タケルの手を蹴飛ばしムムとふくれはしたが、トキはすぐに話題を戻した。
「わしはハクの匂いを追ってテリトリー内を一回りしてきたんじゃ。で、匂いの強い中心部を確かめに行ったんじゃが、他の妖精が入り込めないように結界が張ってあってなぁ、わしは中に入れなかった。そこは古い家でな、瀧本と表札がかかっておった。嬢ちゃんの家ではないかの?」
「……ええ、うちだわ……」
あかりの家を中心にハクのテリトリーが広がっているとは、どういうことだ。
タケルは、またあかりが別世界の者のように感じられた。
ふと、昼休みのあかりの言葉を思い出した。
「なんでお前んちが中心なんだ。それに、悪果を喰われたらどうなるんだよ。お前も喰われたって言ってたし、アイツはいつもそばにいるとか、なんとか……」
「ええ、そうね」
あかりは目を伏せたまま最初の問いに答えた。
「ハクは、うちの庭にある祠の中に封じられていたのよ。それが八年前に解けたの。だから、そこが中心になっているんじゃないかしら」
「なるほどのお。しかし、なんで結界をはっておるんじゃろうなあ」
トキはあかりを探るような目で見ている。
「ごめんなさい、解らないわ。結界のことだって知らなかったもの。祠を調べてみたほうがいいかしら」
「そうじゃの。少し探ってみんといかんな。早いほうがいい」
タケルは話についていくのが精一杯だったが、あかりとトキはすっかり馴染んで話を進めている。
あかりが不満気なタケルに気づいた。
「夢や悪果を食べられたらどうなるか、だったわね……。その人間は命が縮むんだって、ハクが言ってたわ」
タケルの肩がビクンと跳ねる。
ちょっと待て、なんだって? 命が縮むだって?
聞き捨てならない話だった。
「それってどのくらい? オレ、夢喰われたけど。ハクにも、こいつにも!」
「夢だけなら、せいぜい数日か数週間ってところじゃないかしら。対したダメージじゃないわ。喫煙や生活習慣病に罹る方が、よっぽど寿命が縮むわよ」
あかりはさらっと言ってのける。
「わしはアヤツとは違うぞ。害はない。安心せい小心者」
トキは、青ざめたタケルをせせら笑って言った。寿命が縮むと聞いて焦るのは、当然だろうと反論しかけたが、あかりが続きを話はじめたので、タケルは開きかけの口を閉じた。
「でもね、悪果を食べられたら年単位。何年縮むかは場合にもよるわ。多分だけど」
やはり、あかりはさらりと言う。心臓がバクバクと激しく鳴っているのはタケルの方だった。
彼女は悪果を食べられたと自ら告白しているというのに、まるで他人事のような顔をしている。不可解でならなかった。
「……お前も、縮んだの?」
「ええ……」
不意に、あかりは窓の外に顔を向けた。
つられてタケルも外を見た。大勢の通行人が行き交っていた。それをぼんやりと、あかりは眺めていた。
「アイツがいつものそばにいるって言ってたのは?」
なぜ、あんなものが彼女のそばにいるのか解らないし、そもそもなぜ平気でいられるのが不思議だった。
「ハクは封印が解けてから、ずっと寝ても覚めても私につきまとってるのよ。あかりー、あかりーって。あいつはストーカー妖精なんじゃないかしら」
「茶化すな。なんだよそれ。封印が解けたって? なんで!? お前がやったのか?」
あかりは肩をすぼめた。
「違うわ。たまたま、ハクが祠から這い出す瞬間に居合わせただけよ」
「なんで、居合わせるんだよ。なんで、お前につきまとうんだよ!」
「こりゃタケル、何を嬢ちゃんに噛み付いてるんじゃ。恩人じゃっちゅうことを忘れちゃいかんぞ」
トキにたしなめられ、タケルはグウと唸る。
分からないことだらけでつい興奮してしまっただけなのだが、確かに責めるような言い方だった。
とは言え、あかりに気にした様子は無かった。
「私の家だもの。居合わせたって不思議はないでしょ。それから、ストーカーしてるのは……私が気に入ったんですって」
タケルの焦り気味な様子は意に介さず、落ち着いた口調であかりは語るのだった。そしていたずらっぽく笑う。
「なるほどなるほど。わしも気に入ったぞ」
トキまで、カラカラと笑う。
笑っている場合か! タケルはドンとコップをテーブルに叩きつけた。
「お前、命縮められたんだろう? 何、笑ってんだよ。バカなのか?」
「あら、そんなこと言っていいの? ハクが自由になっちゃったら、絶対あなたのところに仕返しに行くと思うけど、そんなこと言うなら助けてあげない。あなたの命も縮むわよ」
「な、なにぃ!」
咄嗟に言い返す言葉が出なくて口をパクパクさせると、クスクスとあかりが笑い出した。冗談よと言って、ポンポンと腕を叩く。
大体話がおかしい。ハクを鎖でしばって自由を奪ったのはあかりであって、タケルではない。ハクが仕返しするのなら、あかりにではないのか?
最初に腕輪を投げつけたのは自分ではあるが……。
すっかり、はぐらかされてしまったと、タケルは肩を落とす。
あかりは重い話を軽く話すかと思えば、するりと交わす。どうにも分が悪いというか、太刀打ちできそうにないと思った。必要な情報は渡すが、それ以外はダメということだろうか。
大きくため息をついた。
あかりはまた、窓の外を見つめていた。
スマホ片手に歩く女子高生。
足早に通り過ぎるサラリーマン風の男。
買い物帰りの女。
自転車で走り去る中学生。
ランドセルを背負った低学年ぐらいの娘と手をつないで歩く母親。
女の子が、母に何かを話しながら笑っている。
母親も微笑み返す。
「三十年か、四十年かしら」
ポツリと言った。
最初、あかりの言っていることが解らなかった。
が、すぐに縮んだ命の年数なのだと悟った。
「そんな……」
驚きにそれ以上言葉が出なかった。
トキもググッと顔をしかめている。じっとあかりを見上げ、そして大きく頭を左右に振った。
「仕方ないわ」
あかりの声は静かすぎるほどだった。
「あの頃の私、母さんを本気で殺そうと考えてたから」
タケルは目を見張った。このあかりがそんなことを考えるなんて、とても信じられない。
窓の外を親子連れが去っていく。
あかりはつぶやいた。
「これが、私の悪因悪果よ」
タケルは何も言えなくなった。
沈黙が重たい。店内はにぎやかなのに、ここだけ別世界だった。まだあかりに聞きたいことは、沢山ある。でももう、今は何も話せそうになかった。
明日の土曜、またここで会う約束をして、二人と一匹は別れた。
別れ際、あかりが言った。
「銀の物を身につけるのを忘れないでね。あいつは死んだわけじゃないから」
*
二人の様子を伺い、じっと耳を傾けていた少年がいた。
タケルの席の背後に座っていた、その少年はうっすらと笑みを張り付かせている。
二人が店を出るのを見届けると、少年も店を立ち去った。