5 もう一人の助け手
誰かが話しかけているようだが、何を言っているのかよく解らない。放っておいて欲しいと、靄のかかった頭でタケルはぼんやり考えていた。
すると肩を揺すられた。はっと我に返り顔を上げると、それは柴田だった。
「神崎、おい、神崎? どうしたんだ、聞こえてるか? なんか変だぞ」
柴田が心配そうに見ている。
いつの間にか眠っていたらしい。授業は既に終わっていて、数もまばらになった生徒たちが周りで弁当を広げていた。
「顔色悪いぞ。休んだほうがよかったんじゃないのか?」
「ああ、いや。大丈夫」
「……大丈夫って、そんなふうには見えねぇぞ。食う?」
柴田は眉をしかめながら、売店で買ってきた菓子パンを一つ差し出した。タケルが首を振ると、やっぱり大丈夫じゃねぇじゃんと少し口をとがらせた。そしていきなり、あっと声を上げる。何か思い出したようだった。
「一組の瀧本がお前に会いに来てたぞ。朝から休み時間ごとにさ。何の用だろうなぁ?」
ニヤリと笑う柴田の声には好奇心と冷やかしの響きがあった。
一組の瀧本というのは隣のクラスの女子だった。
瀧本あかり。
かわいいと表現するよりも綺麗と言う方が似合う、落ち着いた大人びた雰囲気のある少女で、肩まで伸びたストレートの黒髪は着物をきたらよく似合いそうだ。
周りのいかにも女子高生といった少女達からは浮いた存在で、目立つと言えば目立つが自己主張の少ない壁の花のようだった。
タケルは彼女と話したことはなく、名前と顔以外のことは知らなかった。
「なんでオレに?」
タケルは面倒くさそうに聞いた。自分と彼女に接点などまるで無く、訪ねてくる理由が分からなかった。
「知るかよ。本人に聞けって。あ、ほら。また来てるぜ」
柴田は、ニヤニヤしながら扉の方を見た。つられてそちらを見ると、あかりがじっとタケルを見ていた。
日本人形のような整った顔で見つめられ、急にタケルは緊張しだした。なぜ、こんなややこしくなるんだ、とも思う。いろんなことがありすぎて、自分のキャパをとっくに越えてるのだ。よく知りもしない女子を相手にしているヒマはないのに、とタケルは顔をしかめた。
「神崎くん。少し話したいの。いいかしら?」
あかりの言葉は、疑問形でありながら有無を言わせぬものがあった。
不機嫌な顔で無言で立ち上がり、タケルは思わず彼女をにらみつけていた。
「校庭に行きましょうか」
あかりはくるりと背を向けた。付いて来るのが当然といった彼女の態度に、タケルはムッとする。そして、文句の一つでも言ってやろうとドアに向かって歩き出した。
柴田のヒューヒュー言う声を背中に聞き、ジロリとにらんでから教室を後にした。
ハクの件さえが無ければ、女の子と話すのは別に困ることでもなんでもないし、むしろ積極的に女子と絡まないタケルには胸躍る出来事でもある。少々強引で、生意気な感じがしても、だ。平静を装いつつ、タケルは内心ドキドキとしていた。
あかりは冷静に見て美人の部類だし、そんな女子に突然話たいと言われて「もしかして告白?」と思ってしまったのは、自意識過剰ではなく至極普通の反応だと思いたかった。
だが、早く付いて来いといった甘さなど微塵もない態度から、やっぱりそれは無いなというのは感じている。力のないため息が出た。
では、一体何の用があるのだろうか。できればややこしくない話であって欲しいと思う。
校庭に出たタケルは少し口をとがらせてあかりの隣に立った。そして横目でちらりと見ると、あかりは小さな声で話し始めた。
「神崎くん。あなた昨日、アレを見たでしょ」
予想外の台詞に言葉を失い、バッとあかりに向き直る。
彼女の言う「アレ」という響きに、タケルの心臓がドクリと鳴り眉がつり上がっていた。
「そうなのね。やっぱり」
落ち着いた声だった。あかりは心の中まで見透かすような視線で、タケルを真正面から見つめていた。
「なんだよ、お前。なんでそんなこと……」
タケルは、急にあかりが恐ろしくなってきた。
なんだ、こいつは? なんで知っているんだろう。どこまで知っている? アレを知っているのか? あいつの仲間なのか?
ゴクリと唾を飲み込むと、ズリっと片足が後退る。
「心配しないで。私はあなたを助けたいだけなの」
「助ける……?」
「そうよ。だから、そんなに怖い顔しなくても大丈夫」
あかりが微笑んだ。温かい笑みだ。同い年だというのに、まるで十も年上のように笑うのだ。
「これをね、渡そうと思ったの。お守りってところね」
ポケットから銀色のものを取り出し、タケルに差し出した。
腕輪だった。
タケルはあかりの顔と腕輪を何度も見比べる。受け取っていいのか迷っていた。
「手に付けなくてもいいわよ。ズボンのポケットにでも入れていおいてちょうだい。そうすれば、アレはあなたに手出しできなくなるから。銀はね、アレを封じることができるの」
あかりは腕輪を押し付けるように、タケルの胸に突き出してきた。
断れず、タケルは受け取ると、手の中の銀の腕輪をじっと見つめた。
この銀の腕輪があのハクを封じてくれる……。
「私、昨日神埼くんを見たの、あのアーケードで。すごい顔で走っていったから、きっとアレが見えたんだって思ったの。あのイカれた男の頭の上にいたものが」
「お前も見たのか!?」
「ええ。見えるわ」
タケルの肩の力が抜けた。自分と同じように、見える人間が他にもいたことにホッとした。それにあかりはタケルを助けたいと言った。あのハクについての知識を持っているようだし、彼女はトキ以外のもう一人の心強い助け手なのだと思った。
期待と安堵感がタケルの冷えきった体を温めてゆくようだった。とは言え、疑問は山のように湧いてくる。タケルは腕輪を見つめてつぶやいた。
「銀がお守りって、なんで知ってるんだよ」
「それはね、話すと長くなるんだけど……。アレは……私の近くにいつもいるから」
「え!?」
「私、アレに悪果を喰われたことがあるの」
突然ザザっと風が吹いて、あかりの髪をなびかせた。
顔の半分が髪に隠れ、彼女の顔に深い影を作った。
キンコーン
昼休みが終わった。
あかりは乱れた髪をさっと直し耳に掛けると、にっこりと笑った。
「また、話しましょう」
サッと背を向けた。
タケルは銀の腕輪を握り締めながら、立ち去るあかりを見送った。凛とした彼女の後ろ姿に、つい見とれながら。守護天使という言葉は彼女にこそ相応しいと心から思った。
「ほうほう。あの娘御も、アヤツに魅入られておったか」
「うわ!」
突然、耳元で声がした。トキが肩に座っていたのだ。
ギョッとしたタケルは、反射的に払い落としていた。
トキは地面にベシャリと顔面を叩きつけられ、ウゲッと唸った。
「あ、ごめん。いきなり現れるからつい……って、敵情視察に行ったんじゃないのか?」
「……い、今から行くんじゃ!」
*
タケルは大きくため息を吐いて職員室を出た。
午前中サボってしまったので、午後の授業のあと担任から説教をくらってしまったのだ。でもそんなことは、今のタケルにとって対した問題ではなかった。
アレに比べれば――。
あかりの言ったことも気になっていた。彼女は意味深なことを言っていた。早く、聞き出した方がいいだろう。
トキは助けるとは言ったが、具体的なことは何も言っていない。ハクが現れた時、自分はどうすればいいのか解らないのだ。
タケルは一旦教室に戻ってカバンを取ると、隣の一組の教室を覗いた。
談笑していた数人の生徒たちが一斉にタケルに注目したが、あかりの姿は無かった。もう、帰ったのかと落胆してタケルは歩き出した。
その時、強い視線を感じた。
ハッと顔を上げると、廊下のずっと先の突き当りに白い影が立っていた。
――――ハク。
真っ白で怪しく美しい魔物が、にぃーっと笑いかけてくる。
冷水を浴びせられた気がした。タケルは背を向けダッと走りだした。
もう来たんだ! 一日待つと言ったのに!!
ああ、トキ、どうすればいい! 助けるんじゃなかったのかよ。どこに行きやがった、こんな時に。役立たず!
廊下で立ち話をしている生徒達を押しのけ、夢中で走った。階段を駆け下り、一気に校門から飛び出した。下校中の生徒たちが、唖然とタケルを見送っている。
その生徒たちに混じって、あかりが校門脇に立っていた。
ここでタケルを待っていたのだろう。自分に気付かず走り抜けるタケルに、アッと声を上げた。
ハクが来たのだと直感し、あかりもすぐに後を追って走りだした。
タケルは振り返らずに走り続けていた。
あああ、ダメだ。すぐに追いつかれるに違いない。
それでも走った。止まったら、途端に喰われてしまいそうな気がするのだ。
走った。
走った。
息が切れるまで走り続けた。
気がつくと、金網に囲まれた広い荒れた草地の前に着ていた。
数年前から、ショッピングセンターが建つと言われながら放置され続けている場所だった。道路を挟み反対側は、白い防音壁に囲われた外壁改修中のオフィスビルの裏手で、その続きには、封鎖されたなんとかセンターとやらのガランとした建物があった。
人けがない。
失敗だ。なんだって、こんなところに来てしまったんだ。
タケルは肩で息をしながら、グルグルとあたりを見回した。
いない?
ホッとしかけた背中に、再び冷水がかかった。
「はい。おつかれさま」