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4 守護天使トキ

 心臓をギュッと掴まれたような気分だった。

 ああ、取引だなんて……。

 こんなモノと交わす取引なんて、絶対にろくなものじゃないはずだ。



 ソイツは、自分を「ハク」と名乗った。

 人間の悪夢を食べる妖精なのだと言う。消えてしまった小さいヤツもやはり妖精だが、別の種族であるらしい。


 通常人間は彼ら妖精を見ることはできないが、極まれに見ることのできる人間も存在する。そう、タケルのように。

 そういう見える人達が、伝承として彼らのことを後世に伝えてきたのだろう。今のタケルなら、夢まぼろしではなく伝承は多少形を変えていても、真実だったのだと理解できる。

 遠い昔から彼らは、いつも人間のすぐ側にいたのだ。この見えない小さな隣人たちは至る所に存在し、人間を見つめてきた。


 ハクは悪夢を食べる妖精だが、それだけではない。むしろ、悪夢以外の「あるもの」の方が主食であり、好物なのだそうだ。

 それは彼らにとって心底美味いもので、それを喰うことは唯一最高の快楽らしい。それを食べるために存在していると言ってもいいほどに。


 ハクは独り言のようにつぶやく。


「俺が本当に喰いたいのは、悪果だ。人間の心に生える木がつける果実、悪果。ソイツを思う存分喰いたいのさ。さっきみたいな悪夢くらいじゃ、腹の足しにならなくってねぇ」


 うっとりと唇を舐めた。食べたいという欲望で、ハクの目は潤んでいる。

 いやらしく淫靡な視線に絡められて、タケルは身震いした。

 悪果とは何なんなのか。心に生える木というのも何を表しているのか、全く理解できなかった。


 だがハクはそれ以上説明しようとはしなかったし、質問する余裕など今のタケルにはない。

 それでもよく分かったのは、ハクが非常に邪悪で危険なものだということだ。これだけは、確信できた。


 ぼんやりと、人間の中で成長する木をイメージしてみる。その木に実る果実を、ハクが次々ともぎ取って食べてゆく。全部食べられたら、その人間はどうなってしまうんだろう。

 その先は、あまり考えたくなかった。


 ハクは自分を見ることができるタケルに興味を持ち、今夜訪れたのだと言う。

 そしてタケルの夢を覗き、喰ったのだ。

 ハクは、優しく怖い声で言う。


「君、いい素材だよ。いい悪夢だった……。アレも、美味そうだ」


 ゾッとした。

 腹の中に大量の氷をつめ込まれたような気がした。

 ハクは、タケルに十分に脅える時間を与えてから、続けた。


「だから、ここで取引だ。オレは腹が減っている。今すぐにでも喰いたい。しかし、哀しいかな君の木はまだ悪果を実らせていない。いいのが実りそうな木が生えてんだけどねえ。そこで君に提案だ。君の知り合いをオレに紹介くれない? 既に悪果が実ってそうな奴。そうしたら、君のを食うのをやめてもいい」


 タケルは、パニックに陥りそうになるのを必死にこらえ、ハクの言葉の意味を考えた。

 身代わりを差し出せば、自分は助かる……。

 ああ、これが悪魔との取引なんだと悟るとガクガクと体が震えた。


「さあ、どうする? 紹介するかい?」


 ハクはタケルの襟首をグイと掴みあげておいて、優しく諭すように言う。

 どうするもなにも、拒否できるような状況とは思えない。しかも、身代わりを差し出したって、見逃してくれる気がしないのだ。今食われるか、後で食われるかの違いしか無いような気がする。

 それでも、タケルはかすかにうなずいていた。


「わ、わかった……」

「いい子だ」


 ハクの指が額に触れると、強烈な目眩に襲われた。


「一日待ってやる。誰をよこすか決めるんだ」


 タケル遠のく意識の中でその言葉を聞いていた。





 どうすればいいのか……。

 タケルは心ここにあらずといった顔で教室に入った。今はもう四時限目が始まっている。


 朝、家を出てからどこをどう歩いたのか分からない。ただ歩き続けて、今やっと教室のドアにたどり着いた。暑いさなかを歩きまわっていたはずなのに、タケルの体は冷え切っていた。

 教師の怒鳴り声も大して耳には届かず、ふらふらと席に着いた。


 どうしよう。誰を選べばいい。

 何度となく繰り返す問いに、答えは出ない。いや、出ていたが認めたくないだけだ。


 タケルの頭には、とっくに大沢の顔が浮かんでる。

 身代わりを差し出せば、自分は助かるかもしれない……。

 でもそれでいいんだろうか。


 いいに決まっている、と言う自分がいる。

 絶対にダメだ、と言う自分がいる。

 どうしよう。

 どうしよう。

 身代わりを出したって、ダメかもしれない。だからといって、自分が喰われるのをじっとして待つ気にもなれない。

 あいつが悪果を食べるとはどういうことなんだ。食べられたら、人間はどうなるんだろう。


 息が苦しい。もう何も考えたくない。

 ブルンと頭を振ってから、ぼうっと机の木目を見るとはなしに見つめていると、机の中央部分が揺らめいているのに気づいた。


 思うまもなく、その揺らめきが昨夜のあの二十センチほどの小さな異形に変わった。

 出た!

 ひげを生やしたあの小さな妖精だ。

 悲鳴が出かかり、すんでのところでこらえた。


「イヤハヤ、面倒なことになったのお。お、そうそう、そのまま声は出すなよ。怪しまれる。わしの姿は周りの者たちには見えぬからな。無論、声も聞こえん。黙って聞いておれ」


 タケルは、慌てて目だけを左右に動かしてクラスメイト達を伺った。確かにすぐ隣の生徒は、全く気づいていないようだった。

 やはり自分にしか見えないのだ。見たくもないのに。

 一体何者なんだ、これは。

 あのハクのようなはらわたを凍りつかせるような恐怖は感じないが、この小さな妖精も十分奇怪だった。


「そう、不気味がるものでないぞ。わしはぬしを守護しているのだからな」


 胸を張り、髭を撫でながらソイツは言った。

 守護という言葉にタケルの目が輝く。


「と言っても、あまりわしをあてにしすぎるのも、いかん。アヤツを滅する程の力は持ち合わせておらんからのぉ。おお、いい忘れておった。わしの名はトキと言ってな、以前からぬしに取り憑……いや、優しく見守っておったのだ」


 うんうんと一人でうなずいて、机の真ん中にあぐらをかいた。

 こいつは今「取り憑いて」と言おうとした。何が守護だと、タケルはこのうさん臭い小妖精を、握りつぶしてやろうかと思った。

 一捻りで、息を止められそうだ。


「このたわけ! 物騒なことを考えるでない! 恩を仇で返す気か!?」


 キーキーと叫ぶ。

 考えを読むことができるのか?


「多少はな」


 タケルは驚愕し、小妖精を見つめた。

 ハクといいトキといい、なぜこんな人外の存在に付きまとわれるハメになったのか。ズンと肩が重くなり、ため息が出た。


 トキは、自分をハクとは別種の「夢喰い」だと言った。バクと呼ばれたこともあると。彼はタケルに取り憑いて、ずっとその悪夢を食べていたのだ。

 悪夢にうなされても内容を全く覚えていなかったのは、このトキのせいだったようだ。


「悪夢など見たくなかろうが、ぬしは繰り返し悪夢を見てしまうたちのようでのぉ。ぬしが苦しむのを見ておれんので、わしが綺麗サッパリ喰ってやっておるんじゃ。しかし昨日は、アヤツに横取りされてしまって……ったくあの盗人妖魔め。まあ、とにかく感謝せいよ。ぬしが精神の健康を保っておられるのは、わしのおかげじゃぞ」


 トキは偉そうにふんぞり返って、ごほんと咳をした。


「要するにわしは、ぬしの味方だということじゃ。出来る限りのことはしてやろう。でないと、わしの喰い物が無くなって……イヤイヤ、わしは守護天使じゃからのぉ」


 どこが天使だ。見え透いたことを。

 タケルは呆れたが、トキの言うことは何故か信じられた。というよりも信じたかった、自分の味方だという言葉を。


 かなりうさん臭いがハクのような邪悪さは微塵も感じなかったし、自分の食料確保のために味方するというのなら、それはそれで納得がいく。

 ギブ・アンド・テイクだ。

 トキが、何らかの方法で守ってくれるのであれば、自分も喜んで悪夢を喰わせてやる。

 見たくもない悪夢なのだから、いくらでも喰ってもらいたい程だ。

 どうせなら、目覚めの不快感も残さぬくらいに徹底してもらえたら、尚良い。


「そう、ギブ・アンド・テイクでいくとしよう」


 本当に助けになってくれるのか?


「無論じゃ。ただし、さっきも言ったがの、あてにし過ぎてもらっては困るぞ。アヤツの魔力はかなり強いと見ていい。それに、わしの力とはベクトルが違うでの」


 なら、お前がアイツにやられたらどうなるんだ。


「わしがやられるとな? あり得ん話じゃ。危なくなれば、逃げるだけのこと」


 逃げるのかよ……って、だからそうじゃなくて、オレはどうなる。


「……まあ、わしは最初からいなかったということで」


 殺す。

 タケルは、トキの体を片手でぎゅうとひっつかんだ。


「冗談も通じんのか! 離せ! この阿呆め! 大体、ぬしはこのわしに畏敬を感じんのか? まさかこの守護天使様をバカにしておるのか? アヤツの前では、ガタガタ震えてションベンちびって泣いておったくせのに。ちっとはわしを信用せんか! 早う、離せ!」


 信用できるか! ホラ吹きめ。


「わかった。わかった。訂正する! ぬしはちびってはいない。離せ!」


 トキはキーキー声をあげ、ブンブンと頭を振ってもがいた。

 自分が軽く掴んだだけで、抜け出すこともできないこの小さな生き物に、一体どれだけの力があるのだろうと、タケルは怪しんだ。


「たわけ。わしの力は人間の馬鹿力とは違うというのが解からんか」


 そう言って、ニタリと笑った。

 タケルが解放してやると、トキはさも大儀そうに体をさすり、首をコキコキと鳴らした。


「全く、道理を知らん奴じゃの。……よいか、わしはさっさとこの場を去り、他の人間に憑くことも出来るのじゃが、わざわざぬしの元に留まり、尚且つ、助け手になってやろうと言っておるんじゃ。それをよーーくわきまえておけ」


 タケルはしぶしぶ謝罪した。

 確かに感謝すべきことだろう。


「それで良い」


 満足そうに笑った。なんだか孫を見るじいさんのような顔だなと、タケルは思った。


「わしはぬしを気に入っておるのだ。悪いようにはせん。ぬしは気づいておらなんだじゃろうが、小さな子供のころから見てきたからのぉ。……では早速、対抗策を練ろう、と言いたいところじゃが、まずは敵を知らねばならん。わしは少しばかり敵情視察に行ってくるでの。ぬしはせいぜい学業に励んでおれ」


 そう言って、唐突にトキは現れた時と同じように揺らめき、消えてしまった。


 ドッと力が抜ける。

 また、サッと左右に目を配が、気づかれてはいないようだ。

 トキが助けてくれる、そう思うと安堵で頭がぼうっとなった。彼が言うように信じ過ぎるとしっぺ返しに会うかもしれないが、それでも一筋の光明であった。


 机に突っ伏して、目を閉じた。体が重い。

 タケルはずるずると眠りに落ちていった。


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