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3 自称、妖精

 タケルは夜ベッドに入ると、いつも事更に楽しかったことを思い出すようにしている。それは学校のことでもいいし、ゲームやテレビ、マンガのことでもいい。とにかく楽しい気分になれることを考えるようにしている。

 悪夢を見ないようにするための儀式のようなものだった。


 それでも、否応無しに悪夢が襲ってくることがある。そういう時は、必ず眠りに落ちる寸前に嫌な予感がするものだった。今夜もそうだった。


 だから、きっとこれは夢だなのだ。

 本当は現実かもしれないが、夢なんだと思いたい……。



 痛い。怖い。痛い。怖い。痛い。

 怖い。

 痛い。

 痛い……。

 頼むから、殴らないで。お願いだから、踏みつけないで。もう止めてくれ。


 タケルは、泣きながら懇願していた。

 大沢は笑い転げる。

 クラスメイト達が取り巻き、タケルを笑う。

 なんだ、本当は弱っちいんじゃないか。

 いつもはいきがってんのにさあ、がっかりだよなあ。


 みんながタケルを見て、笑っている。

 武田が笑っている。

 柴田が笑っている。

 嘲笑っている。


 大沢が、タケルを抑えつけてズボンと下着を一気に引きずり下ろした。

 女の子たちが、キャーっと悲鳴のような声で笑う。

 男子は、ますますゲラゲラと笑う。

 みんなが情けないタケルの姿を見ている。笑っている。


 やめろよ! やめてくれ! 見ないでくれ。笑わないでくれよ。

 だれか助けてくれよ!

 恥ずかしさと屈辱そして恐怖で、目の前がチカチカした。

 ますます、笑い声に取り囲まれる。

 足を抱えて体を丸めた。


 断片的な映像が、一瞬まぶたに閃く。


――鈍く光る刃物。真っ赤な口紅。抑えつける大きな手。たか笑う男。ジョキリ……。


 甲高い悲鳴が、タケルの喉を突き抜ける。

 大沢にむき出しの尻を蹴り上げられ、激痛に涙がこぼれた。

 誰も助けてくれない。それなら放って置いて欲しいのに、嘲笑を投げつけてくる。暴力よりも一層辛い責め苦かもしれない。


 タケルはぎゅっと目を閉じた。そして何も聞くまいと耳を押さえ、更に身を固く小さくした。

 何も感じたくない、考えたくないと、必死で意識にフタをする。


 音は遠ざかっていった。

 と、突然誰かに襟首を掴まれ、強く引き上げられるのを感じた。

 その時、異変が起こった。

 固く縮こまる自分の中から、ずるりと薄皮を破いて、もう一人の自分が引きずり出されたのだ。

 それはまるで昆虫の脱皮のようだったし、また、溺れかかっていたのを水面に引き上げられたような感じもした。

 救い出された、そう思った。


 何が起こったかよく分からないまま、タケルは立ち尽くしていた。

 最早、周りには大沢もクラスメイト達もいない。

 痛みも消えていたし、ズボンも履いている。

 今までのは、夢?

 しかし、足元には縮こまるもう一人の自分。

 たった今、抜けだしてきた自分の体がそこにあるのだ。


 あたりはまっ白な、何もない空間――。


 ゾッとした。

 俺はどうなった? ……死んだのか?

 まだ、夢は続いている?


「イヤイヤ。夢は終わったさ」


 背後から、いきなり声が聞こえた。

 驚き振り返ると、あの赤い眼がいた。今日アーケードで見た、アレだ。


 寒気が足元から全身の肌を撫でるように駆け上がってきて、毛穴がブツブツと盛り上がる。

 さっきまでとは違う恐怖がわき起こり、タケルはブルブルと震えていた。昼間のように逃げ出したい衝動に駆られるが、この何もない空間の何処に逃げ場所があるというのか。


 ソイツは、青年の姿をしていた。

 百センチ前後の身長だったが、体のバランスは大人のものなのだ。

 肌は白く、そう文字通りのまっ白で、まるで光の全く届かない暗黒の洞窟で一生を終える軟体生物を思わせた。

 髪も真っ白で、眉毛やまつ毛までも白かった。

 瞳だけが、鮮やかな血の色をしている。目鼻立ちのハッキリとした派手に美しい顔の中で、その目が凶々しく光る。

 薄く開いた口から、ヌラヌラと光るナメクジのような舌がちろりと顔を出し唇を舐めた。


 コイツは何なんだ。

 ああ、きっと化物だ。


「もう、君は目覚めているさ。俺が見えてるんだから。ね。夕方にも俺を見ただろう?」


 ニタリと笑った。

 TシャツにGパンという、ごく普通のラフな格好は何処にでもいる青年のようだが、中身は絶対に人間ではない。

 タケルはズルズルと後ずさってゆく。


「今、君さあ、俺のこと悪魔だ化物だ妖怪だ、とか思ってるんだろう?」


 ちっちと舌を鳴らして人差し指を振った。


「俺はね、妖精さんなの。小さな可愛い妖精さん。そこのところお間違いなく」


 髪をかき上げ、細い木の葉のように尖った耳を見せて、キヒっと笑う。

 何が可愛い妖精だ、とタケルは思う。妖精と化物の線引きなんてどこで付けるのか知りはしないが、こんな不気味は空気をまとったモノが可愛い妖精などと呼べるものではないことは解る。

 コイツは、あの男の首を締めていた。


 白く小さな青年は青ざめるタケルを見つめながら、その足元で絶望し縮こまっているもう一人のタケルにそっと指で触れた。

 すると、透明な球体が包み込んだ。そしてみるみるうちに小さくしぼんでゆき水晶玉のようになると、ソイツの手の中にすっぽり収まった。


「これはさっきまで君が見ていた、悪夢。いやあー、面白かったねぇ。なかなか楽しく拝見させてもらったよ」


 タケルの夢だという、その水晶玉をお手玉のように手の中で弾ませながら、ソイツはいやらしく笑った。

 そしてパチンと指を鳴らした。


 すると、グルグルと高速で色の洪水がタケルの周囲を回転しだした。

 あまりの目まぐるしさにふらりと目眩を感じる。だが目をしばたいた一瞬で色の濁流は鎮まり、タケルは自分の部屋のベッドの上にいる事に気づいた。


 部屋の中は、眠る前と何も変わったところは無い。

 遠くで、バイクが走り去る音が聞こえた。

 酔っ払いが、歌っているのも聞こえる。

 隣の部屋から、小さなラジオの音。

 犬が吠える。

 微かな救急車のサイレン。

 いつもの、夜の雑音が聞こえてくる。


 確かに、もう夢を見ているわけではないようだ。

 そして目の前に白いヤツが立っている……。

 これが現実だなんて!

 唇を震わせるタケルに、ソイツが近づいてきた。


「おやおや? そこにも、小さいさんがいるねえ」


 言うやいなや、タケルの肩に手を伸ばし何かを掴みとった。

 それはキーキーと声を上げる、二十センチくらいの小さな人間だった。いや、人間によく似た形をしたものだった。


 手脚は針金のように細く、平べったい足だけが異様に大きい。頭も大きく、なんともバランスが悪い。顎から長い白ひげを垂らし、薄汚れた貫頭衣を着ていた。

 白いヤツに襟首を捕まれてぶらぶらと振り回されながら、それは怒号をあげていた。


「離せ! 離さんか! この無礼者め」


 白いヤツは鼻で笑い、その小さなモノをタケルの膝の上に投げ落とした。それはボンっと膝で跳ねて、タケルの目の前で手足を大きく広げて迫ってくる。

 うっと喉の奥で唸り、思わずバシッと払いのけると、ソレはベッドの端まで転がっていった。


「な、何をする!? タケル! わしは長年ぬしの面倒を見てきてやったのに、この仕打! なんたることか!」


 小さいのが、眼をむいて抗議した。

 だがタケルが何も答えられずにじっと自分を見ているばかりなので、腕を組みふんと鼻を鳴らした。そしてその場で軽くジャンプすると、一瞬にして消えてしまった。


 ああ、一体何なんだ。こいつらは。

 今の小さいヤツは、確かにタケルと呼んだ。何故、名前を知っているんだ。長年面倒を見てきただと? アレはずっと自分の側にいたということなのか。

 どうしてこんなに急に色々と妙なモノが現れるのか。タケルの頭は混乱して、何も考えられなくなってきた。


「はっはっは! 彼を怒らせちゃったみたいだねぇ」


 白いヤツがのけぞるようにして笑った。

 そして、水晶玉べろりと舐め上げた。タケルの反応を伺うように上目遣いで、ベロリベロリと楽しそうに舐める。

 それから白い歯をキラリと光らせて、水晶球にかぶりついた。

 鋭い歯が簡単に突き刺さる。堅そうに見えたものが、まるで熟れきったトマトのようにぶしゅりと潰れて、飲み込まれていく。


 じゅるり、ぺちゃりと音を立てて食べた。顔を歪めるタケルを面白がるように、見つめながら。

 指についたどろりとしたものを、長い舌で舐めとり、ソイツは言った。


「ねえ、君。一つ、取引をしないかい?」



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