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2 この世ならざるモノ

 わざと大きな音を立ててドアを開け、タケルは柴田と共に教室を後にした。

 校舎を出ると、ジリジリと太陽が照りつけてくる。雲ひとつなく、明るく澄み渡る空は、タケルの胸のうちとはまるで正反対だった。


 グラウンドでは運動系クラブの一年生たちが、部活の準備を急いでいた。上級生が来るまでに、用意しなければならない。

 タケルは立ち止まると、野球部の方を眺めた。白いユニホームが、太陽の光をはね返して眩しかった。

 倉庫から多量のボールの入ったバケツをもった野球部員が出てきた。

 と、ふいにその部員はつまずき、バケツのボールを辺りにぶちまけてしまった。慌てて、ボールを拾い集めている。


「うわ、ダッセぇ」


 柴田が吹き出した。

 タケルの足元にもボールが一つ転がってきた。そのボールを拾い上げ、見つめる。土と汗が染み込んだ、使い込んだボール。

 野球部員がタケルに気がついた。


「あ、神崎」

「投げるぞ」


 柴田にカバンを押し付けると大きく振りかぶり、部員に向かってグンと直球を投げ込んだ。

 腕がしなる。

 ビュンと空気を切って、ボールが走った。

 速い。

 グッと顔をしかめて、部員は素手で受け取った。


「ひ! 痛ってー。何、本気で投げてんだよ、お前」


 部員は、さも痛そうに赤くなった手をブラブラと振った。


「別に本気じゃねぇし……」


 タケルはくるりと背を向けて歩き出した。

 柴田がヒューと口笛を鳴らす。


「すげーなあ。なあ、なんで野球部入んなかったんだよ」

「さあなぁ……」





 柴田と別れてから、タケルは家には向かわずに、目的もなくふらふらと歩いていた。

 大きく陽が西に傾いている。長い影を引きずりながら、駅前のアーケード街に入っていった。


 しばらく歩いていると、ゲームセンターからけたたましい音楽が流れてきた。まるで頭を殴られたような不快さを感じる。ゲームに興じる少年たちの笑い声が、さらに追い打ちをかける。


 あああ、うるさい!頭が割れる!

 ブルブルと頭を振った。


 前から来た買い物帰りの主婦とぶつかりそうになった。無言で立ち止まると、主婦は迷惑そうに眉をひそめ、タケルを横目で見ながら通り過ぎた。

 自分の周りを通り過ぎる人たちは、みんな他人だ。

 こんなに大勢人がいたって、誰もかれも自分とは無関係で、誰も自分のことを知らない。何を考えようが、泣こうがわめこうが、誰も知ったことじゃない。

 そんなのは、当たり前のことだ。誰だってみんな、孤独なんだ。


 本屋の前にくると、買ったばかりのマンガを大沢に取られたことを思い出し、その途端金も取られたことを思い出した。

 ため息をついて、本屋を通り過ぎた。




 昨日、タケルは大沢に呼び出された。

 指定された時間に五分遅れてしまった。すると問答無用でいきなり突き倒され、怒鳴られ土足でグリグリと頭を踏まれた。

 大沢はタケルよりもさらに上背があり、いかにもガテン系といった力強い体躯をしている。とても敵わない。


 タケルはひたすら謝った。

 だが大沢は、タケルの髪を掴んで起き上がらせると、何度も腹に膝蹴りを入れた。ぐったりと倒れると、遅れたわびとして金を出せと言う。そして勝手にタケルのカバンを探り、財布から金を抜き出しマンガと一緒に自分のカバンに放り込んだ。

 タケルは抵抗できなかったし、何も言い返せなかった。ただこれ以上暴力を受けないで済むようにと、卑屈に従うしかなかった。


 怖いのだ。大沢が、暴力が。

 大沢は、そんなタケルをせせら笑って立ち去っていった。

 その姿が見えなくなると、タケルは心底ほっとした。結局何のために呼び出されたのか分からなかったが、きっとただ殴りたかっただけなんだろうと思う。

 タケルは、妙にそう納得していた。

 殴りたいから呼び出したんだ。それだけなんだ、と。


 惨めだった。なぜ、抵抗できないんだろう。

 勝てないまでも、少しはやり返せばいいと自分でも思うのに、大沢を前にすると萎縮してしまう。無力な小さな子どもに戻ってしまったように、恐怖に体が支配されてしまうのだ。それが情けなくてたまらない。

 武田にイライラするには、自分を見ているような気がするからなのだ。単なる八つ当たりでしかない。そうと分かっていて、なお武田に暴力を振るうことを止めない、卑小な自分を呪わしく思う。


 タケルは、大沢に裏切られたのだと思うとキリキリと胸が痛んだ。

 大沢は、中学時代に野球部で一緒に練習した一つ年上の先輩だった。当時から先輩風を吹かしてはいたが明るく冗談が好きで、キャッチャーとして活躍し後輩たちに丁寧にアドバイスもし、悩みも聞いてくれる頼りになる少年だった。

 タケルは先輩たちの中で、大沢のことが一番好きだったのだ。

 だから大沢が中学の部活を引退した後も、彼が高校を中退してからもよく訪ねて行ったのだ。大沢も快く迎えてくれていたはずだ。


 それが、タケルが大沢が通った同じ高校に入学した途端、状況が一変した。それまで仲間だと思っていたのに、急に暴力の対象にされてしまった。

 なぜそうなってしまったのか、全く分からなかった。いろいろ理由を考え、自分が何かまずいことをしてしまったのなら謝ろうとも思った。

 大沢にも尋ねてみた。しかし、それは反対に彼の怒りに火を付け更なる暴力を呼び込んだだけで、結局理由はわからずじまいとなった。




 タケルは、自分のスニーカーのつま先をぼんやり見つめながら、人ごみの中を漂うように歩いていた。

 雑踏の音も、いつしか耳に届かなくなっていた。


 と、いきなり肩に衝撃を感じた。

 ハッと顔を上げると、三十代くらいの男がタケルの目の前に立ちふさがり、怖いほどににらんでいた。

 バサバサの髪にはフケが浮いていて、よれたTシャツにシミだらけのチノパンを履いている。コケた頬には無精髭が生え、陰気な顔をしていた。

 一見しただけで、近づきたくないと思わせる男だった。

 ぼんやりと歩いていたためぶつかってしまったようだ。タケルは即座に頭を下げた。


「す、すみません」

「このガキが……」


 男の声は初めはとても小さくよく聞き取れないほどだったが、次の瞬間、爆発した。


「このガキがあ! このガキがガキがガキがガキガガキガガキガアガガグァァァァ!!」


 刺すような男の目は、黒目が常人よりも一回り小さく、白眼が目立っていた。

 罵りが奇声に変わって行く間にも、黒い点のように瞳がきゅうううと縮んでいくように見えた。


 この男、ヤバイ。


 男の腕がガっと上がり、タケルは反射的に両腕で頭を庇った。

 なぐられる、と一瞬呼吸が止まった。


 しかし、男はもうタケルを見てはいなかった。

 何かを指さした腕をそのままブンっと水平に回し、ふらふらとこまのように回りながら周囲に向かって叫びだしたのだ。


「おま、おま、お前ぇ! お前おまえおまえおまえぇ! おまえぇぇ! 何みてんだ! おまえ! 何見てんだ! 何みてんだ何みてんだあ! 見てんじゃねえよおぉ!! おまえらぁ!!」


 大勢の通行人たちが最初の奇声に驚いて、タケルと男に注目していたのだ。

 その人々を次々に指さしながら、男は口から泡を飛ばして叫び続けた。


 タケルは周りに大勢人がいたことに感謝し、よろけるように走りながら人垣の中に逃げ込んだ。

 そして通行人の影からタケルは男を振り返った。


「おまえおまえおまえおまえええぇぇ!!!! みてんじゃねみてんじゃみてんじゃあぁぁぁぁみてんなぁぁ!!!!! うわあぁくあぁはあぁぁ!!」


 男の叫びは、最早意味のある言葉ではなくなっていた。

 人垣は一様に、面食らい眉をひそめていた。


 その時、タケルの目が一点に吸い付けられた。叫ぶ男の頭の上に白い靄のようなものを見てしまったのだ。

 男の首にグルグル巻き付く靄。それが突如、人型に変化する。

 小さな白いソレは逆立ちをするような格好で、男の首を締めていた。


 タケルの唇がわななき、目は釘付けになる。

 全身総毛立ち、見てはいけないとそう思うのに、目が離せなかった。


 その白いモノがゆっくりと顔を上ると、血の色をした眼が光っていた。


 ドクン!


 大きく心臓が鳴り、タケルは思わず胸を押さえた。

 背骨の中に氷の槍を突き刺されたような気がした。スーッと全身の血が冷えてゆく。

 なんだ、アレは……。

 逃げよう、そう思ったが体が言うことを聞かない。焦る心と裏腹に、足は一歩も動かせないのだ。


 奇声を上げ続ける男の頭上で、ソレはタケルを見つめニタリと笑った。


 ウッと息を飲む。

 が、眼が合ったと感じた時には、それはもう消えていた。

 そしてその途端に体の呪縛も解けていた。

 ズルズルと後ずさり、背を向けた。ガチガチと歯を鳴らしながら、タケルは走りだした。


 逃げるんだ。逃げるんだ!

 人混みをかき分け、走った。アーケードの出口に向かって走った。

 どこへ逃げればいいのか解りはしないが、とにかくこの場所から離れたかった。逃げなければ、自分はあの男と同じようになってしまう気がしていた。


 途中、中学生くらいの少年にぶつかったが、構わず走った。

 少年は押し飛ばされて、ドスンと尻餅をつく。「あ!」と声を上げる少年を振り返る余裕など無かった。

 タケルはそのまま走った。


 逃げるんだ。早く。

 一体アレは何なのだ?

 異様なモノ。尋常ならざるモノ。この世ならざるモノ。

 タケルの脳裏に一つの言葉が浮かんだ。

 それは「魔」だった。


 あり得ない、そう思いながらも心のなかではそれは確信だった。

 アレは魔物なのだ。

 なぜそんなモノが見えてしまったのか。恐ろしさに震えながらタケルは夢中で走っていった。


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