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596日目の告白  作者: ゆか
一学期は
1/30

春、出会いの季節

 満開の桜に、抜けるような青い空。公立中学の入学式には少しもったいないほど理想的な、うららかな春の日和。

 ようやく終わったか、入学式。あー、疲れた。だいたい、入学式は新入生だけでやればいいと思うんだよね。もう一昨年に入学していますからって。

(さつき)? 靴箱の場所違うよー。そっち二年生」

 後方からかけられたのは、聞き慣れた声。幼なじみの(こう)だ。何も考えていないようなバカっぽい声。まあ実際、何も考えてはいないのだろうけど。

「え? あ、いつもの調子でこっちに来ちゃった。ごめん、ありがとう、洸」

「いえいえ。ボーっとしていたら、転ぶよ」

 さすがに何もないところでは転ばないよ、洸とは違うのだから。それくらいの注意力は兼ね備えています。あーあ、この後はホームルームか。疲れ……

「うわっ」

 後ろから何者かに突き飛ばされて、前のめりになるだけでは勢いは止まらず、びたーん、といった音を立てて転んでしまった。

 痛い。手のひらが一番、痛い。

 そしてすぐに、私を突き飛ばしてそのまま一緒に転んだ、つまり今私の背中に乗っている人の鳩尾に肘鉄を食らわせた。これは無差別的にやるもので、もうそれは反射だから。私にもどうしようもないので、文句は受けつけません。

 それにしても、一体誰? 背後から突っ込んできたのは。ん? いがぐり頭、男子か。二組の人かな、後ろから来たし。

「ちょっと、よけてよ。邪魔。いつまで私の背中で寝れば気が済む?」

 あー、ちょっと無神経な言い方になったな。言い直した方がいいかも。

 よっこらしょ、っと。何とか抜け出せたね。小柄な男子でよかった。それにしても誰だ、この頭。見たことない。

「はい、良かったら手、使って。それで、大丈夫? もうそこは私の背中じゃないけど。まさか気絶してないよね」

「……む。あ、ありがと……えっ? ちょっと、普通は立場逆じゃない? レディがマンに手を差し伸べるって」

 何? なんかよく分からないことを言っているけど、手はいらないということ? でももうしっかり掴まれちゃったし、生きてはいたし、いいのか。……はい、立った。

「ね、名前は? 私を転ばせた罪でさらし首にする上で必要だから。いつまで手を握っているのかは知らないけど」

日向(ひゅうが)夏斗(なつと)です。あなたは? 素敵なレディ」

 うわ、嘘でしょ。この人、ものすごい変人かつ変態だったか。あーあ、もう嫌だよ、こういう人。イライラが止まらない。

「答える義理はないかな。いい加減手を離してもらえる? 階段が上りづらくて仕方がない。そして周りの人も迷惑しているから」

 ふう。やっと離してくれたか。どうせクラスは違うだろうし、さっさと置いて行っちゃお……え。なにこの人。瞬間移動でもした? さっきまで私の後ろにいたはずなのに、いきなり目の前に現れたよ、今。うわあ。それこそ引き返せないところまで来ちゃったじゃん。超能力を持った少年が繰り広げる、様々な面倒事に一般人が巻き込まれる物語が始まる予兆じゃん。主人公は私じゃん。どうしよ。

「これは失礼を、レディ。お詫びにお茶でもどうでしょう。もちろん、おごらせて差し上げます」

 突っ込んでほしいというわけだ。あーもう、面倒臭いな。だけど今は気分が悪くはないから、反応してやる。

「謝る気は皆無なんだ、初めから」

「そんなことはありません。あなたがお望みなら土下座して下さってもかまいませんよ? しかと受け止めますので、ご心配なく」

「いろんな意味で心配しておくよ。それに邪魔。というか、後ろ向きで階段を上ることはできるんだ、あんたの頭でも」

「お邪魔でした? それはそれは、災難で。お大事になさってくださいね。さて、日取りはどのようにいたしましょうか」

「ああ、災難な頭を持ってしまったんだね。うわ、哀れ。ご愁傷様」

「今週末とかはどうでしょうか。ああしかし、私の都合が合いませんね。再来週……もだめです、残念です。仕方がありません、今日の放課後、急ですが空いています……」

「邪魔」

 階段を上り終えて廊下に差し掛かったので、周囲に人がいないことを確認して蹴り飛ばした。あー、すっきりした。廊下の端まで飛んで壁にぶつかる音がする。怪我していないといいな。治療費とか払わなきゃいけなくなったら嫌だし。でもまあ、記憶喪失ならいいか。一度すべてを忘れてもらって、仕込み直すくらいしないと、二度と会いたくないな。

 ふーやれやれと教室へ向かうと、出入り口付近にこちらを見て立っている人影が。あれは、双子の兄の(むつき)。二卵性双生児であることは明らかなのに、顔も考えていることも気味が悪いくらい似ている私たちだ。

「皐、奇跡的に同じクラスだったよね。ところで大丈夫だった? さっきの人。あの人も一緒のクラスだから、気をつけてね。もしものときは僕を呼んでもいいから」

「睦……あんた今、何て言った?」

「ん、どこのこと? あ、あの日向って人も同じクラスだよ。なんで皐の後ろから突進してきたのかは、男子が先を歩いていたから、並び順的に不明だけど」

「……弟よ。とても素晴らしい情報をありがとう。あ奴を成敗しやすいわけだな」

「あー、そう取るか。なら心配ないね。えっと、兄だけど。僕のが一分早く出てきたんだよ。いくら何でもそこは忘れないようにね、妹よ」

「さて、どうしてくれようか……」

「黒いことを考えているときの顔になっているよ。そしてすでに僕の声は届いていないようだね、妹よ」

「聞こえていたよ、全部。というか、表情には出ていなかったと思うんだけど?」

「うん。普通の顔だった。ただ、そういうことを考えているんだろうなって思って」

「まあ、いいや。席、どこだろう」

「そこだよ。あ、僕の斜め前だ、近いね。当然か。隣の席は誰だろうね。出席番号が僕の前……あっ」

 ん? 黒板に張り出されているし、見に行こうかな。やっぱりいいや。どうせすぐに分かるし、ね。かっこいい人だといいな、この私でも胸がきゅんとするくらい。

「皐、あなたは芸能人にも関心ゼロなんだから、それもはやハードルが高すぎるどころの話じゃないでしょ」

「事実っていうのは、伏せておくためにあるんだよ、睦」

「あーっ! 素敵なレディ、席が隣だなんて。これもそれもあれも、運命ですね」

 ……貴様か。

「やっぱり。まあ、応援しておくよ、皐。お達者で。日向君、僕の妹をあまりいじめないでやってください。無理だと思うけど。じゃ」

「うあ。今おみくじを引いたら絶対に大凶だ」

「皐さん、どうしてそんなことがわかる……」

 一発顔にぶち込んでおいてやる。ありがたく思え。

 痛いですう、と呟きながら、隣の席の男子が座っている。そのとき、ガラガラと大きな音を立てて、前の扉が開いた。当然、担任の先生が入って来る。

「……はい、静かにしてください」

 なんかお決まりのようなセリフだね。赤ぶち眼鏡もフツーだね先生。などと考えていたら

「うそ、戸田(とだ)先生?」

 左隣の女子が呟くのが聞こえた。そんなに嫌な先生なのだろうか、とそちらを向くと、反応してくれた。ちょっとびっくり。

「あ、間宮さん。はじめまして。戸田先生に習ったことある?」

「いや、ないけど」

 あなたはどちらさんだよ。

「あたしもないんだけどね、あの先生好きなんだ。英語の発音がきれいで」

「そうなんだ。さっきの反応は嫌そうに聞こえたんだけど、そうじゃないの」

「ああ、嫌だよ?」

 なんで。好きな先生なら喜ぶでしょう、普通。

「あのさ、担任の先生が英語科だと、朝の挨拶が『へろーえぶりわん』とかじゃない? そういうテンション、なじみにくいから」

 そうとも限らないんじゃないか。

 思ったが、そっかー、とだけ言っておいた。静かにしなくちゃいけない雰囲気だし。最初からイメージを悪くはしたくないし。

「初めましてなので、みなさん立ってください」

 いや、やっぱり意外と普通の先生だよ。特にテンションが高いようにも見えないし。

「おはようございます。……はい座ってください。えーっと、知っている人も多いでしょうが、今年この三年一組の担任を務めさせていただきます、戸田祐子(ゆうこ)です。英語科の教師です。ちなみに、大根は嫌いではありません。どちらかというとうさぎさん派です。一年間、よろしくお願いします」

 えーっと、ん? 今のは、自己紹介なのか?

 大根が嫌いじゃないとか言われても、そんなものは聞いていないし、第一、何にちなんでいるのか分からないよね。そして、うさぎさん派って? まあどうだっていいんだけど、もう一個の選択肢はかめさんでいいのか?

「間宮さん、それは違います」

「先生、私はまだ何も口にしてはいません。いろいろ考えてはいましたが」

「心の声が大きすぎて、口走ってしまったのでしょう。うさぎさん派かナンカレー派の話を私はしているのです。両方とも諦めきれないけれど、どちらかと言われたらうさぎさんを選びます。あなたはどちらですか?」

「いえあの、うさぎさんとナンカレーは同格じゃありませんよね。その問題自体が問題を抱えちゃっていますよね」

「問題はきちんと問題として成立しています。さて、どちらですか? ああでは、みんなに聞いてみましょう。うさぎさん派かナンカレー派か。手を挙げてください。うさぎさん派の人ー」

 あ、聞くの? この先生、本当に先生かな。大丈夫かな。この人に給料払いたくないよ、私。税金というものを通してでも。

「誰もいませんか? じゃあ、ナンカレー派の人ー」

 当然のように誰一人として手を挙げない。と思いきや、一人挙げた。斜め後ろの席の、私の双子の兄、睦が。

「え? 質問の意味と意図、分っていて挙げている?」

「当たり前じゃん。何アホな声出しているの、皐。僕は迷わずナンカレー派だ」

「間宮君以外の人は、決められないということでしょうか」

 いやちょっと、これはもう耐えられないな。

「あの、先生」

「どうぞ、間宮さん。発言を許可します」

「許可されなくてもします。あの、この質問に意味はあるのですか」

「許可されない場合の発言は、かなりの割合で避けましょう。意味のないことは、今はしませんよ」

「せんせー!」

 右のほうから元気な、聞き慣れた声が。この声は、洸。

「坂下さん、ですね。発言を許可しましょう」

「ありがとうございます。今の質問というのは、イヌ派ネコ派や、朝ごはん白米派パン派と、同様の質問ですか?」

「どうでもいい質問なので却下します」

 先生、やっぱりあなたの給料、三分の二ください。私だけに。残った三分の一は、クラスのみんなに分けて。それで許そう。

「それでは、私からの自己紹介はここまでです。次はみなさんにやってもらおうと思います。面白おかしくしてくださいね。じゃあ、出席番号が……日向君から。お願いします」

 え、ああ、ちょうど真ん中の出席番号の人か。中途半端だと思った。そうすると、私の順番は次なのかな。

「えー、日向夏斗です。皆さんと同じクラスになれたことを光栄に思います。好きな科目は美術ですが、そんなことはどうでもよく、これから過ごす一年が素敵なものとなることを願っています。一年間、よろしくお願いします」

 パチパチとまばらな拍手。まあ、知っている人も多いしね。じゃあ、私か。行こう。

「次は明弥(あけみ)さん」

 ……ああ、順番に規則性はないのね。わからないけれど、どうでもいいや。考えるだけ面倒臭い。

 名前を呼ばれて前へ出たのは、髪の色素が薄い、くるくる天然パーマの子。へえ、初めて見る。かわいい顔しているなあ。

「明弥、(れん)()。去年、転校してきました。……本が、好き……」

「はい、時間切れー。座ってください」

 え? 時間制限があったの? 初めに言おうよ、先生。

「制限時間は十秒です。日向君は早口だから結構喋れたけれど、明弥さんはゆっくりだからねー。残念」

「先生、たったの十秒で何を面白おかしくしろと言うのですか? まあ、そんな指示に従うつもりは毛頭ないですけど。訳がわかりません」

 あえて丁寧に言ってやった。しかし彼女は淡々と返す。

「そこが頭の使いようですよ、間宮さん。それから、発言するときは許可を得ましょう。次は、坂下さんね」

「まったく回答になっていませんが」

「返事はしました」

「いえだから、回答になっていないと言っているんです。何をさせたいんですか」

「むちゃぶりです」

 ああ、そう。

 少しでもまともに受け取った私がバカだったってこと。はあ。もう、この人とは関わらないことにしよう。……殺意が芽生えてくるから。

「はいっ、坂下洸です。天然バカだってみんなは言うけど、絶対に違います。初めましての人、違いますからねー。それじゃあ一年間、仲良くしてやってくだ……」

「時間でーす」

「えー? 最後まで言わせてくださいよ。もうすぐですから」

「機会はみんなに平等にめぐってきます。諦めてください。人生、そう簡単に思い通りにはなりませんから」

「そんな大きな話なんですか? 全然気づかなかったですよー」

「たかが自己紹介、されどです」

 この時間に次の人を指名しろって。効率の悪い人間。本当に脳みそを持っているのだろうか。少なくとも同類だとは思いたくないね。

「ねえ、皐」

 睦が呼んだ。振り返って目を合わせる。

「あんまり変なこと考えないでね。殺意が芽生えてくる、とか同類だと思いたくない、とか。やめてね」

「すでに思っているから。分かっていて言っているんでしょ、睦。しょうがないんだって。私にそう思わせているのは向こう。何一つこっちに悪いところはないから」

「まあ、思想の自由なるものがあるからね。束縛することは出来ないけど、一定の条件みたいなものがあるでしょ。気をつけてよね。あくまでも思うだけにとどめてよね」

「うん、まあ、努力しようかと考えてみようか、思案するのが、やっぱり面倒だな」

 前へ体の向きを戻すと、誰かの発表が終わったところだった。まったくもって聞いちゃいなかったよ、そこの男子。ごめんね。

「間宮君、お願いします」

「はいはいはい」

 睦の番か。聞いていよう。

「間宮睦です。双子の兄です。この世に一人しかいないとよく言われているし、そう思われますが、現状は知りません。一年間、どうぞよろしくお願いします」

 またもまばらな拍手。その行為は偉いことなのか何なのか、私には判断しかねるけど、面倒じゃないのかな。

「ちょうど十秒ですね。じゃあ、そのまま間宮さんね」

「面倒なのでこの場でします。間宮皐。多分、きっと、おそらく、もしかしたら、十四歳であるのではないかと思われます。よろしくお願いします」

 ふう、終わった。座ろ。

「間宮さん、前へ出てくださいね。次は……」

「えー?」

「……ん、みなさん、どうしました?」


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