春、出会いの季節
満開の桜に、抜けるような青い空。公立中学の入学式には少しもったいないほど理想的な、うららかな春の日和。
ようやく終わったか、入学式。あー、疲れた。だいたい、入学式は新入生だけでやればいいと思うんだよね。もう一昨年に入学していますからって。
「皐? 靴箱の場所違うよー。そっち二年生」
後方からかけられたのは、聞き慣れた声。幼なじみの洸だ。何も考えていないようなバカっぽい声。まあ実際、何も考えてはいないのだろうけど。
「え? あ、いつもの調子でこっちに来ちゃった。ごめん、ありがとう、洸」
「いえいえ。ボーっとしていたら、転ぶよ」
さすがに何もないところでは転ばないよ、洸とは違うのだから。それくらいの注意力は兼ね備えています。あーあ、この後はホームルームか。疲れ……
「うわっ」
後ろから何者かに突き飛ばされて、前のめりになるだけでは勢いは止まらず、びたーん、といった音を立てて転んでしまった。
痛い。手のひらが一番、痛い。
そしてすぐに、私を突き飛ばしてそのまま一緒に転んだ、つまり今私の背中に乗っている人の鳩尾に肘鉄を食らわせた。これは無差別的にやるもので、もうそれは反射だから。私にもどうしようもないので、文句は受けつけません。
それにしても、一体誰? 背後から突っ込んできたのは。ん? いがぐり頭、男子か。二組の人かな、後ろから来たし。
「ちょっと、よけてよ。邪魔。いつまで私の背中で寝れば気が済む?」
あー、ちょっと無神経な言い方になったな。言い直した方がいいかも。
よっこらしょ、っと。何とか抜け出せたね。小柄な男子でよかった。それにしても誰だ、この頭。見たことない。
「はい、良かったら手、使って。それで、大丈夫? もうそこは私の背中じゃないけど。まさか気絶してないよね」
「……む。あ、ありがと……えっ? ちょっと、普通は立場逆じゃない? レディがマンに手を差し伸べるって」
何? なんかよく分からないことを言っているけど、手はいらないということ? でももうしっかり掴まれちゃったし、生きてはいたし、いいのか。……はい、立った。
「ね、名前は? 私を転ばせた罪でさらし首にする上で必要だから。いつまで手を握っているのかは知らないけど」
「日向夏斗です。あなたは? 素敵なレディ」
うわ、嘘でしょ。この人、ものすごい変人かつ変態だったか。あーあ、もう嫌だよ、こういう人。イライラが止まらない。
「答える義理はないかな。いい加減手を離してもらえる? 階段が上りづらくて仕方がない。そして周りの人も迷惑しているから」
ふう。やっと離してくれたか。どうせクラスは違うだろうし、さっさと置いて行っちゃお……え。なにこの人。瞬間移動でもした? さっきまで私の後ろにいたはずなのに、いきなり目の前に現れたよ、今。うわあ。それこそ引き返せないところまで来ちゃったじゃん。超能力を持った少年が繰り広げる、様々な面倒事に一般人が巻き込まれる物語が始まる予兆じゃん。主人公は私じゃん。どうしよ。
「これは失礼を、レディ。お詫びにお茶でもどうでしょう。もちろん、おごらせて差し上げます」
突っ込んでほしいというわけだ。あーもう、面倒臭いな。だけど今は気分が悪くはないから、反応してやる。
「謝る気は皆無なんだ、初めから」
「そんなことはありません。あなたがお望みなら土下座して下さってもかまいませんよ? しかと受け止めますので、ご心配なく」
「いろんな意味で心配しておくよ。それに邪魔。というか、後ろ向きで階段を上ることはできるんだ、あんたの頭でも」
「お邪魔でした? それはそれは、災難で。お大事になさってくださいね。さて、日取りはどのようにいたしましょうか」
「ああ、災難な頭を持ってしまったんだね。うわ、哀れ。ご愁傷様」
「今週末とかはどうでしょうか。ああしかし、私の都合が合いませんね。再来週……もだめです、残念です。仕方がありません、今日の放課後、急ですが空いています……」
「邪魔」
階段を上り終えて廊下に差し掛かったので、周囲に人がいないことを確認して蹴り飛ばした。あー、すっきりした。廊下の端まで飛んで壁にぶつかる音がする。怪我していないといいな。治療費とか払わなきゃいけなくなったら嫌だし。でもまあ、記憶喪失ならいいか。一度すべてを忘れてもらって、仕込み直すくらいしないと、二度と会いたくないな。
ふーやれやれと教室へ向かうと、出入り口付近にこちらを見て立っている人影が。あれは、双子の兄の睦。二卵性双生児であることは明らかなのに、顔も考えていることも気味が悪いくらい似ている私たちだ。
「皐、奇跡的に同じクラスだったよね。ところで大丈夫だった? さっきの人。あの人も一緒のクラスだから、気をつけてね。もしものときは僕を呼んでもいいから」
「睦……あんた今、何て言った?」
「ん、どこのこと? あ、あの日向って人も同じクラスだよ。なんで皐の後ろから突進してきたのかは、男子が先を歩いていたから、並び順的に不明だけど」
「……弟よ。とても素晴らしい情報をありがとう。あ奴を成敗しやすいわけだな」
「あー、そう取るか。なら心配ないね。えっと、兄だけど。僕のが一分早く出てきたんだよ。いくら何でもそこは忘れないようにね、妹よ」
「さて、どうしてくれようか……」
「黒いことを考えているときの顔になっているよ。そしてすでに僕の声は届いていないようだね、妹よ」
「聞こえていたよ、全部。というか、表情には出ていなかったと思うんだけど?」
「うん。普通の顔だった。ただ、そういうことを考えているんだろうなって思って」
「まあ、いいや。席、どこだろう」
「そこだよ。あ、僕の斜め前だ、近いね。当然か。隣の席は誰だろうね。出席番号が僕の前……あっ」
ん? 黒板に張り出されているし、見に行こうかな。やっぱりいいや。どうせすぐに分かるし、ね。かっこいい人だといいな、この私でも胸がきゅんとするくらい。
「皐、あなたは芸能人にも関心ゼロなんだから、それもはやハードルが高すぎるどころの話じゃないでしょ」
「事実っていうのは、伏せておくためにあるんだよ、睦」
「あーっ! 素敵なレディ、席が隣だなんて。これもそれもあれも、運命ですね」
……貴様か。
「やっぱり。まあ、応援しておくよ、皐。お達者で。日向君、僕の妹をあまりいじめないでやってください。無理だと思うけど。じゃ」
「うあ。今おみくじを引いたら絶対に大凶だ」
「皐さん、どうしてそんなことがわかる……」
一発顔にぶち込んでおいてやる。ありがたく思え。
痛いですう、と呟きながら、隣の席の男子が座っている。そのとき、ガラガラと大きな音を立てて、前の扉が開いた。当然、担任の先生が入って来る。
「……はい、静かにしてください」
なんかお決まりのようなセリフだね。赤ぶち眼鏡もフツーだね先生。などと考えていたら
「うそ、戸田先生?」
左隣の女子が呟くのが聞こえた。そんなに嫌な先生なのだろうか、とそちらを向くと、反応してくれた。ちょっとびっくり。
「あ、間宮さん。はじめまして。戸田先生に習ったことある?」
「いや、ないけど」
あなたはどちらさんだよ。
「あたしもないんだけどね、あの先生好きなんだ。英語の発音がきれいで」
「そうなんだ。さっきの反応は嫌そうに聞こえたんだけど、そうじゃないの」
「ああ、嫌だよ?」
なんで。好きな先生なら喜ぶでしょう、普通。
「あのさ、担任の先生が英語科だと、朝の挨拶が『へろーえぶりわん』とかじゃない? そういうテンション、なじみにくいから」
そうとも限らないんじゃないか。
思ったが、そっかー、とだけ言っておいた。静かにしなくちゃいけない雰囲気だし。最初からイメージを悪くはしたくないし。
「初めましてなので、みなさん立ってください」
いや、やっぱり意外と普通の先生だよ。特にテンションが高いようにも見えないし。
「おはようございます。……はい座ってください。えーっと、知っている人も多いでしょうが、今年この三年一組の担任を務めさせていただきます、戸田祐子です。英語科の教師です。ちなみに、大根は嫌いではありません。どちらかというとうさぎさん派です。一年間、よろしくお願いします」
えーっと、ん? 今のは、自己紹介なのか?
大根が嫌いじゃないとか言われても、そんなものは聞いていないし、第一、何にちなんでいるのか分からないよね。そして、うさぎさん派って? まあどうだっていいんだけど、もう一個の選択肢はかめさんでいいのか?
「間宮さん、それは違います」
「先生、私はまだ何も口にしてはいません。いろいろ考えてはいましたが」
「心の声が大きすぎて、口走ってしまったのでしょう。うさぎさん派かナンカレー派の話を私はしているのです。両方とも諦めきれないけれど、どちらかと言われたらうさぎさんを選びます。あなたはどちらですか?」
「いえあの、うさぎさんとナンカレーは同格じゃありませんよね。その問題自体が問題を抱えちゃっていますよね」
「問題はきちんと問題として成立しています。さて、どちらですか? ああでは、みんなに聞いてみましょう。うさぎさん派かナンカレー派か。手を挙げてください。うさぎさん派の人ー」
あ、聞くの? この先生、本当に先生かな。大丈夫かな。この人に給料払いたくないよ、私。税金というものを通してでも。
「誰もいませんか? じゃあ、ナンカレー派の人ー」
当然のように誰一人として手を挙げない。と思いきや、一人挙げた。斜め後ろの席の、私の双子の兄、睦が。
「え? 質問の意味と意図、分っていて挙げている?」
「当たり前じゃん。何アホな声出しているの、皐。僕は迷わずナンカレー派だ」
「間宮君以外の人は、決められないということでしょうか」
いやちょっと、これはもう耐えられないな。
「あの、先生」
「どうぞ、間宮さん。発言を許可します」
「許可されなくてもします。あの、この質問に意味はあるのですか」
「許可されない場合の発言は、かなりの割合で避けましょう。意味のないことは、今はしませんよ」
「せんせー!」
右のほうから元気な、聞き慣れた声が。この声は、洸。
「坂下さん、ですね。発言を許可しましょう」
「ありがとうございます。今の質問というのは、イヌ派ネコ派や、朝ごはん白米派パン派と、同様の質問ですか?」
「どうでもいい質問なので却下します」
先生、やっぱりあなたの給料、三分の二ください。私だけに。残った三分の一は、クラスのみんなに分けて。それで許そう。
「それでは、私からの自己紹介はここまでです。次はみなさんにやってもらおうと思います。面白おかしくしてくださいね。じゃあ、出席番号が……日向君から。お願いします」
え、ああ、ちょうど真ん中の出席番号の人か。中途半端だと思った。そうすると、私の順番は次なのかな。
「えー、日向夏斗です。皆さんと同じクラスになれたことを光栄に思います。好きな科目は美術ですが、そんなことはどうでもよく、これから過ごす一年が素敵なものとなることを願っています。一年間、よろしくお願いします」
パチパチとまばらな拍手。まあ、知っている人も多いしね。じゃあ、私か。行こう。
「次は明弥さん」
……ああ、順番に規則性はないのね。わからないけれど、どうでもいいや。考えるだけ面倒臭い。
名前を呼ばれて前へ出たのは、髪の色素が薄い、くるくる天然パーマの子。へえ、初めて見る。かわいい顔しているなあ。
「明弥、蓮花。去年、転校してきました。……本が、好き……」
「はい、時間切れー。座ってください」
え? 時間制限があったの? 初めに言おうよ、先生。
「制限時間は十秒です。日向君は早口だから結構喋れたけれど、明弥さんはゆっくりだからねー。残念」
「先生、たったの十秒で何を面白おかしくしろと言うのですか? まあ、そんな指示に従うつもりは毛頭ないですけど。訳がわかりません」
あえて丁寧に言ってやった。しかし彼女は淡々と返す。
「そこが頭の使いようですよ、間宮さん。それから、発言するときは許可を得ましょう。次は、坂下さんね」
「まったく回答になっていませんが」
「返事はしました」
「いえだから、回答になっていないと言っているんです。何をさせたいんですか」
「むちゃぶりです」
ああ、そう。
少しでもまともに受け取った私がバカだったってこと。はあ。もう、この人とは関わらないことにしよう。……殺意が芽生えてくるから。
「はいっ、坂下洸です。天然バカだってみんなは言うけど、絶対に違います。初めましての人、違いますからねー。それじゃあ一年間、仲良くしてやってくだ……」
「時間でーす」
「えー? 最後まで言わせてくださいよ。もうすぐですから」
「機会はみんなに平等にめぐってきます。諦めてください。人生、そう簡単に思い通りにはなりませんから」
「そんな大きな話なんですか? 全然気づかなかったですよー」
「たかが自己紹介、されどです」
この時間に次の人を指名しろって。効率の悪い人間。本当に脳みそを持っているのだろうか。少なくとも同類だとは思いたくないね。
「ねえ、皐」
睦が呼んだ。振り返って目を合わせる。
「あんまり変なこと考えないでね。殺意が芽生えてくる、とか同類だと思いたくない、とか。やめてね」
「すでに思っているから。分かっていて言っているんでしょ、睦。しょうがないんだって。私にそう思わせているのは向こう。何一つこっちに悪いところはないから」
「まあ、思想の自由なるものがあるからね。束縛することは出来ないけど、一定の条件みたいなものがあるでしょ。気をつけてよね。あくまでも思うだけにとどめてよね」
「うん、まあ、努力しようかと考えてみようか、思案するのが、やっぱり面倒だな」
前へ体の向きを戻すと、誰かの発表が終わったところだった。まったくもって聞いちゃいなかったよ、そこの男子。ごめんね。
「間宮君、お願いします」
「はいはいはい」
睦の番か。聞いていよう。
「間宮睦です。双子の兄です。この世に一人しかいないとよく言われているし、そう思われますが、現状は知りません。一年間、どうぞよろしくお願いします」
またもまばらな拍手。その行為は偉いことなのか何なのか、私には判断しかねるけど、面倒じゃないのかな。
「ちょうど十秒ですね。じゃあ、そのまま間宮さんね」
「面倒なのでこの場でします。間宮皐。多分、きっと、おそらく、もしかしたら、十四歳であるのではないかと思われます。よろしくお願いします」
ふう、終わった。座ろ。
「間宮さん、前へ出てくださいね。次は……」
「えー?」
「……ん、みなさん、どうしました?」




